宿命の闘い Battle of Destiney
ライルとアリアは、その男と向かい合う。
表向きは品の良い紳士といった風貌と服装をした壮年の男に。
その男は、抜き身の長剣を持ち、ギラギラと怒りの眼差しを叩きつけてくるライルを目の前にしても、いささかの動揺も見られない。ライルの心の全てを見透かすかのように、その深い紺色の瞳で静かに見詰め返してくる。
その男の名を、サカムビットという。
表向きは、物資の輸送と流通網を持つ、サイモンという名前のやり手の大商人だ。
そして、その裏の顔は、麻薬『霧の華』を独占して製造し、闇で荒稼ぎしている男だ。ジューダス王国と闇の契約を結び、この国を徐々に弱体化させている男。禁断の魔術に手を出し、闇に墜ちた魔術師でもある。
そして……ライルの宿敵である。
ついにライルは、ここまで辿り着いた。
心を襲う痛みに、もがき苦しみ、幾多の闘いを生き抜いて、ようやくここまで辿り着いた。
ライルは右手に持つ愛用のバスタードソードの切っ先を、少し離れた前方に立つその男へと向ける。
「サイモン……いや、サカムビット。……サカムビットっ !!!! お前を叩き潰すために、俺は今日まで生き抜いてきた。ここで決着をつけるっ! てめえを地獄へ叩き込むっ !!」
凄まじい怒りと殺気を溢れさせているライルだが、サカムビットは含み笑いをして受け止めている。その瞳が油断無く、目の前に立つこの男の様子を観察している。やや間をおいて、サカムビットは滑らかに口を開く。
「年長者に対する礼儀というものを知らぬようだな。まあ、ここまで生きて辿り着いた労に免じて、許してやる。それで、お前の用件はなんだ? 金か? それとも、くだらぬ正義感か? いいや、違うな。お前のその目……怒りと憎しみに満ちた目……恨みを晴らすためといった所だな?」
ライルの瞳に、一層激しく憎悪の炎が燃え上がる。
「そうだっ !! お前の『霧の華』のせいで、俺の親父は……母さんも妹も……俺は、俺は絶対、お前を許せねえっ !!!!」
しかし、そのライルの怒りの眼差しを、サカムビットの瞳は全て吸い込んでゆく。その深い紺色の瞳が、妖しげに煌めいている。
「もう少し、詳しく教えてくれないか? それを私に告げてからでも遅くはなかろう。私は逃げも隠れもしない。私が直接、お前に何をしたというのだ? どんな罪を犯したというのだ?」
「……中毒になって暴れ出した親父は、俺の母親と妹を殺した。俺はそれを止めようとして、親父を殺してしまった……。お前のせいだ !!!!」
悲しみの入り交じった、ライルの凄まじい怒りの火花は、サカムビットの瞳の深淵へと深く深く飲み込まれてゆく。表向きには、その瞳に憐れみや同情さえも浮かんでいるかのようだ。ライルは少し困惑している。
その動揺を、サカムビットは見逃さない。視線にさらに力を込めてゆく。それは、ただの視線ではない。見る者の心を操るための呪縛の力を秘めた視線だ。
サカムビットは、胸の内でほくそ笑んだ。
今の所、彼の思うままに事は運んでいる。
そして、間違いを辛抱強くさとす優しき年上の兄のように、穏やかによどみなく告げる。
「そうかな? 『霧の華』に溺れた、お前の父親の弱さが招いた事ではないのか? 父親を止められなかった、お前達家族の責任ではないのか? 私は確かに『霧の華』を売りさばいた。それは、人々の心が『霧の華』を求めていたからだ。どうしようもない絶望、悲しみ、孤独……それを忘れさせてくれる夢のような薬だ。その危険性を知らずに買い求めた者などいないだろう。皆、それを承知で手を出したのだ。お前の恨みは、逆恨みというものではないか? 私自身が、この手でお前の家族を皆殺しにしたのなら話はわかる。お前の恨みも当然といえよう。だが、そうではないぞ。私は、私のビジネスをしただけの事だ。その取引に応じる、応じないは、それぞれの人々次第だ。手を出さない選択もあった事を忘れないで欲しいものだな」
「なんだと……な、何言ってやがる……」
サカムビットは妖しく光る両目で、ライルをゆっくりと呪縛に陥れてゆく。ライルが動揺したのを見て取り、さらにその呪縛を強めてゆく。ライルは、そのサカムビットの瞳から目をそらす事ができない。
異常な気配に気づいたアリアが叫ぶ。
「ライルっ! その人の言葉に惑わされてはいけません !! 何か企んでいます!」
「うるさい修道女だ。しばらく黙っていろ」
カッと見開くサカムビットの両目から、凄まじい呪詛がアリアの目に放たれた!
アリアは声を出すことができなくなってしまう。手も足も金縛りに遭ったようにピクリとも動かない。呪力を用いて相手の精神に働きかける、一種の瞬間催眠だ。
サカムビットが陥れようとしている呪縛に気づき、必死で抵抗するライルだ。しかし、既に身体が思うように動かなくなってしまっている。
「ぐ、くっ……お、俺は、俺は、お前を倒す。『霧の華』で、こんな思いをしなきゃならねえ人間は、俺一人で充分だっ! もう誰にもこんな思いさせたくねえっ !! だから、だから俺はお前を……」
「ふん。少し遅かったようだな。悪夢と戯れて、そのまま眠れ。二度と目が覚める事はないだろうがな。フフフフッ」
不敵な笑みを浮かべながら、サカムビットは召還の言葉を唱えた。
『奈落に住まう悪夢の化身よ。我が魂の契約に従え。……出でよ、ナイトメア・デーモン!』
サカムビットとライルの間に、黒い闇の塊がぬうっと伸びてくる。形は不定形。漆黒の霧のような闇が立ちはだかって、ゆらめいている。しかし、その闇から発せられる邪悪な意志は、ライルの後ろにいるアリアにも痛いほどに感じられる。
ぞっとするような無感情な声で、サカムビットは告げる。
「この者の魂を捧げる。お前の望みのままに喰らい尽くせ」
サカムビットの命じるまま、ナイトメア・デーモンの黒々した塊が、ライルの身体に吸い込まれてゆくように消え去った。その瞬間、ライルを強烈な眠気が襲う。不自然な耐え難い眠気が、強制的に彼を悪夢の世界へと引きずり込んでゆく。サカムビットの呪縛によって身体が硬直しており、立ちつくしたままライルは意識を失い、悪夢の深淵へと墜ちていった。
ナイトメア・デーモン。
言葉通り、『悪夢の悪魔』である。
取り憑いた者の精神を揺さぶり、悪夢へと引きずり込む。悪夢によって相手の心の最も弱い部分を責め立てて、魂が弱った所を貪り喰らう。この呪縛に打ち勝つには、悪夢の中で自らを見失う事なく、最後まで抵抗して追い払うしかない。
しかし、それは普通の人間にはまず不可能だ。アリアのように神に仕える身の者か、精神の鍛錬を積んだ熟練の魔術師で、意志の力が強い者でなければ無理だ。下級の悪魔で、サカムビットとは魂の契約を通じて結ばれている。黒魔術の儀式によって召還されたこのナイトメア・デーモンに魂を最期に捧げる契約を交わして、サカムビットは望む時にこの悪魔の力を借りる事ができるのだ。
妖しい悪夢が、ゆっくりとライルの心を浸食してゆく……
子供のライルがいる。
彼は父親が大好きな少年だった。
彼の父は、素朴な感じのする優しい心根の男だった。
貧しくも、父と母、それに妹の四人家族はにぎやかに暮らしていたのだ。
農作業を黙々とこなす父。
その側で、土を掘り起こして遊んでいるライルと妹。
遠くから、夕飯の支度ができた事を呼びかける母。
父の側へ駆け寄るライルと妹。
汗が光る顔でにっこりと笑いながら、子供達の頭をポンポンと優しく叩く父。
そんな父親が、大好きだった。
しかし……
浴びるように酒を飲む父。
我慢できずに酒を取り上げる母。
それを殴り倒し、蹴りつける父。
泣きだす妹。
父の腕にしがみつくライル。
「止めて! 父さん、止めて!」
鋭い痛みがライルの頬に走る。
暗転
笑っている父。不自然に。
『霧の華』の包み紙をひらひらと振りながら。
それを無視して家事と内職を続ける母。
怖くて近づけないライルと妹。
「(いつか、いつかきっと、元の父さんに戻る)」
暗転
刃渡りの長いナイフを持って暴れる父。
妹を抱えてうずくまる母。
父親の刃物が、母の背中に吸い込まれる。
自分の身体は、全く動かない。
血
妹の泣き声。
それも止まる。父のナイフが、妹の胸に飲み込まれた。
……血……血……血……血……
身体がようやく動く。倒れた二人をさらに刺そうとする父の胴にしがみつく。
「止めてよ、父さん、父さんっ!」
父は息子の髪をぐいと掴んで引き剥がし、その胸をナイフで突く。鋭い痛みがライルを襲う。そして再び、父は倒れている妻へ何度も凶刃を突き立てる。
「嫌だ、止めて! 父さん! お母さんを殺さないで! 嫌だ、父さん、父さん! 何でだよ。止めてよ! 痛い、痛いよ、父さん、もう止めて !!」
力を振り絞り、父を突き飛ばしたライル。
よろよろとバランスを失った父は、ナイフを持ったまま、騒々しく階段から転がり落ちる。
恐ろしい静寂が訪れる
呆然としていたライルは、血まみれの母の身体を仰向けに返す。
……死んでいる
妹を抱き起こす。
妹の胸からは血がまだどくどくと溢れている。
それを止めようと、彼は必死で手を当てるが、どうにもならない。
手が真っ赤に染まってゆく。妹の身体は急速に冷たくなってゆく。
その呼吸が、止まった
階下を恐る恐る覗き込む
そこには、首からの出血でできた血溜まりに、父親が不自然な格好をして倒れていた。
刃渡りの長いナイフが、根本まで首に食い込んでいる。
その反対側から切っ先が飛び出して、キラリと冷たく光っている……
どこからともなく、彼の頭に家族の声が響く
『どうして、俺を殺すんだ? 前に、あんなに遊んでやったじゃないか』
恨めしそうな父親の声
『どうして、お母さんを助けてくれなかったの? ひどい子ね……』
責めるような母の声
『お兄ちゃん……ひどいよ。自分だけ助かって』
不満そうな妹の声
「違う、違う、違う、違う、違う、違う、違うっ !! 俺は、俺はそんなつもりじゃあ……」
含み笑いをしたナイトメア・デーモンの声が響く
『ウソはツクナ。オマエは生きたいと思ったハズダ。ダカラ、怖くて動けナカッタ。手遅レニナッタ。……認メロヨ……。お前ハ、自分が生きるタメだったラ、平気で家族を殺せル。そんなヤツが、生きていていいトデモ思ってるノカ?』
「違う、違うっ! ぐ、くそっ……お、お前なんぞにだまされるか……」
すると、血だらけになった父の姿が目の前に現れた。
自分の喉に刺さったナイフを指さしながら、父は告げる。
『こんな事して、のうのうと生きていていいとでも思ってるのか? 図々しいやつだな。お前なんてな、生まれてこなければよかったんだ!』
「あ、あ、あ、あ、ああああああああああああああああっっ !!!! 」
黒い野獣のように荒れ狂う心の闇が、彼の心の傷をさらに深く深くえぐり取り、傷口を無理矢理押し開げて引き裂いてゆく。ライルの心を果てしない深淵へと引きずり込んでゆく……




