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ノエル vs 女魔術師 Noel vs Witch

一方、ローブを着た女と対峙している魔術師ノエルだ。



 彼は感じる……間違いなく、目の前に立つ女性は魔術師だ。それも、かなりの腕前だ。女の全身から、溢れんばかりの魔力を感じる。既に、女の身体に何かの魔法がかけられている事をも彼は察知している。おそらくは、何らかの防御の呪文であろう。


 相手も、ノエルが魔術師だという事を見抜いているようだ。油断無くノエルの様子をうかがっている。ノエルも慎重に女を観察している。


ふと、彼は気づいた。

この女魔術師は、彼の顔見知りの人物と全く良く似た顔立ちをしているのだ。


「あなたは……もしや、魔術アカデミーの主席の……」

「オリビアを知っている? 何者だ、お前は」


「私はノエル。主席オリビアの弟子の一人です。あなたは……」

「そうだ。私はアロセール。オリビアは、私の双子の姉だ」



 ノエルの師匠であるオリビアは、現在の魔術アカデミーの主席だ。類を見ない魔術師で、その実力を誰もが認めてアカデミーの主席を務める女性である。まだ四十に満たない歳で、歴代の魔術アカデミーの主席の中では最年少で就任した。


 オリビアは奔放な知識欲を見せる弟子のノエルを、型にはめ込む事無く、その才能を引き出してくれた恩人だ。彼女の存在なくしては、今のノエルはありえない。魔術に限らず様々な知識を追い求め、実戦ばかりに魔術を駆使するノエルを異端視する者も多いのだ。主席が何かと彼を庇ってくれていなければ、とっくにアカデミーから追放されていたに違いない。そうなれば、アカデミー所蔵の貴重な呪文書に触れる機会を失い、現在のような実力を彼が身につける事はできなかっただろう。


 そのオリビアから、彼は彼女の双子の妹の事を耳にした記憶がある。禁断の魔術に没頭して魔術アカデミーを追放された男と共に、行方不明となってしまったという。



「オリビアの弟子か。ならば、手加減はしない。私の道を否定した姉の育てた弟子にはな」


「主席は、ずっとあなたの事を心配しているのです。もしも私が出会う事があったなら、あなたに伝えて欲しいと頼まれました。『もう一度、共に生きよう』と」


アロセールの顔が怒りに燃える。


「はっ! よくも抜け抜けと。彼は私のものだ。そうオリビアに伝えろ」


「(やはり、主席とこの人、それにサカムビットは……)私はできれば、あなたとは闘いたくありません。どうか、その集中を解いて頂けませんか?」



 アロセールが、すぐにでも呪文を解き放つ用意をしている事を見抜いているノエルだ。しかし、答えはない。アロセールの集中が、さらに高まっていくのを感じるばかりだ。


「仕方ありません。……では」



ノエルも瞬時に戦闘モードに入った。心を切り替えて、一瞬の迷いや集中力の揺らぎが命取りとなる、魔術師同士の闘いに没頭する。



 魔術師同士の闘いでは、呪文を封じられてしまえば決着は容易につく。しかし熟練した魔術師同士では、それも難しくなってしまう。魔法に対する抵抗力も強くなるからだ。レベルの低い者でも、精神を抵抗に専念する事で、かなり耐える事ができてしまうのだ。それでも、高位の者がかなりの精神力を注ぎ込めば封じ込める事も可能だが、万一失敗した場合の危険が大きい。無駄に精神力を消耗した結果、簡単に敗北する事になってしまう。


 だから、『静寂』や『麻痺』、『緊縛』、『眠りの雲』などの呪文は、魔術師同士の闘いの幕開けにおいては使用しないのが常識だ。相手の精神力が弱ってきて、生かして捕らえたい場合などには使用する事もあるが。 その事は、この二人ともよくわきまえている。



二人は同時に呪文の詠唱に入った。



 アロセールは高いトーンの声をあげて、流れるように正確に呪文を唱える。『氷』の属性を象徴する規則正しいルーン文字の印を、美しく宙に描きながら。



《凍える天空より舞いしきる、小さき氷のかけら達よ。我が願いに応え、寄り集まりて斬り裂く氷の刃とならん……アスト・シルヴァス・サラモニーク、ス・ノルディス、カタスト・パルス、ドュ・ケセ・オーディアス! 》



ノエルも無駄のない洗練された動作で詠唱を行う。



《風よ。大気を動かす力よ。我が願いに応え、荒れ狂う嵐となりて吹きすさべ……アスト・シルフィス・サラモニーク、ス・ダルディス、ウィブルス・サルク、ドュ・ケセ・トルニュードス! 》



 アロセールの『氷の刃』、ノエルの『嵐の風』がぶつかりあう。鋭く襲いかかる無数の氷の剣がノエル目がけて放たれるが、それも局地的に生じた荒れ狂うつむじ風の暴風の壁に巻き込まれて、ノエルの身体に届く事はほとんどない。幾つか飛んでくる氷の刃を、ノエルは小走りに次々とかわしてゆく。しかし、その分彼の集中力が分散してしまい、小さな竜巻も破壊力を削られて、女魔術師に向かって、真空のかまいたちを発生させる程の勢いにはならない。



 二人は暴風をはさむように対峙していたが、ノエルが氷の刃を避けるうち、再び二人は間に遮るものなく向かい合う形となった。アロセールはそれを見て、次の呪文をすかさず唱えている。



《大気に満ちるマナよ。我が願いに応え、妖しき眠りの雲を呼べ……アスト・サチュバス・サラモニーク、ス・ユープス、メリローズ! 》



 それは『眠りの雲』の呪文だった。新米魔術師でも唱えられる、初歩の初歩の呪文をなぜかアロセールはノエルに向かって唱えたのだ。彼ならば抵抗することは容易だ。そんな呪文を、あえてアロセールは解き放つ。ある狙いがあるのだ。



 それに気づいたノエルは、足を止めて心を傾け、『眠りの雲』がもたらす眠りの誘惑に抵抗する。その間も、『嵐の風』に対して完全に集中を解く事がない。熟練した魔術師になると、このような事も可能となる。



 アロセールは、『眠りの雲』を唱えた直後に、既に次の決め手となる呪文を詠唱し始めていた。『眠りの雲』は、小走りに移動するノエルの足止めをするための、捨て呪文にすぎない。彼女の狙いは、最も得意とするこの必殺の呪文にあった。複雑な呪文ををよどみなく詠唱してゆく。



《万物を形作る小さき存在達よ。マナの力の導きにて、元ある姿へと還れ……アトマス・ノルク・ディスティングス、ス・リグトゥス・シュニラス・トリク、……》


これは『分解』の呪文。

物質の結合を断ち切り、粉々に分解する高度な上級魔法である。


 彼ら魔術師達にはわからない概念を用いると、『物質を分子・原子レベルにまで分解』してしまう恐ろしい呪文だ。大きな岩や頑丈な鉄製の大門とて、一瞬で消し去る破壊力がある。ノエルにもまだ扱えるレベルではない。魔術アカデミーでも、唱えられる魔術師は主席オリビアと次席の二人しかいない。



しかし、一瞬で『眠りの雲』に打ち勝ったノエルも、呪文を唱えている。



《漂う塵となりし炎よ。我が願いに応え、寄り集まりて焼き尽くせ……ゲヘナ・ラ・トリク・バストロニーク、ケセ・モイ・パラルス、ス・タンガス・ドゥルバース! 》



 一瞬早く、ノエルが呪文を唱え終えた。上級魔法になるほど呪文が長く複雑になるため、先に唱えたアロセールはまだ『分解』の呪文を唱えている最中だ。ノエルの指先から、小さな炎の塊が飛び出す。それを見て、アロセールは勝利を確信した。



 この男が唱えたのは『火球』の呪文。この程度の呪文ならば、この闘いの前にあらかじめ自らの体に施しておいた、『耐火』の呪文の効果で耐えきれる。



 しかし、ノエルが『火球』を放つために指さした先は、女魔術師ではなかった。


 彼はどうしたことか、勢いが弱まりつつある暴風の下方の床辺り目がけて、『火球』を放ったのだった。彼の指先から放たれた小さな炎の塊は、進むにつれて大きく膨れあがり、暴風の下方で爆発を起こす。その爆発の熱波が二人の頬をかすめる。


「(気でも狂ったか、この男?)」


あと一言で『分解』の呪文を唱え終わろうとするアロセールがそう思った時だった。




 その瞬間、なぜか弱まっていたはずの暴風の勢いが一段と増して、大きな竜巻となって凄まじい威力の真空の刃を次々とアロセールへと繰りだした!



 全くの不意をつかれ、まともにその一つを身に受けたアロセール。ローブが切り裂かれ、大きな傷が左肩口から斜めに胴を走ってぱっくりと口を開ける。しかし、そんな大きな傷口の割に血は直ぐさま噴き出してはこない。痛みもそれほどではない。しかし、じわじわとその傷口から血が流れ出してきたかと思うと、どくどくと止めどなく血が溢れ出してきた。アロセールは、一呼吸遅れてやってきた灼けつく痛みにくずおれる。


(真空の刃に切り裂かれた場合の傷口の特徴だ。『かまいたち』とも呼ばれる現象で、おとぎ話などでは、三匹のかまいたちという妖怪による攻撃とされる。最初の一匹は足をかけて転ばし、次の妖怪は深く斬りつけ、最後のかまいたちはその傷口に血止めの薬を塗って逃げてゆくという。深い傷口の割に、出血が少ないのが特徴だ。しかし、動脈まで傷が達していれば、もちろん大量の血が溢れ出してくるが)



「な、なぜ……?」


信じられないといった感じで目を見開き、思わずつぶやくアロセールに、ノエルは静かに告げる。



「温度差です。あなたが最初に唱えた『氷の刃』で、この辺り一帯に冷気の塊が生まれていました。風の力とは、密度の違う空気がもたらす現象なのです。温かい空気ほど軽く、冷たい空気ほど重いのです。ですから、温度差が激しくなればなるほど、竜巻の勢いは増す事になるのです。


 たまたま、あなたが最初に唱えた呪文が『氷の刃』だったので、それを利用させてもらったのです。次に『火球』を唱えることで、下方で局所的に温められた空気が爆発的な上昇気流となったのです。まあ、あなたが『氷の刃』を唱えていなくても、私は自分で唱えていましたが」



「『空気の重さ』……『上昇気流』だと? 何を言っているのだ? わからない……」


アロセールはがっくりと顔を床につける。血が石畳に広がってゆく。




「すみませんが、私はまともな魔術師ではないんですよ。仲間内からは、異端者呼ばわりされているんです。『科学』の知識を使わせて頂きました。純粋な魔術勝負でしたら、あなたの勝ちでした。でも、これは実戦ですから。あなたの実力は、主席オリビアに肩を並べていると思います。『分解』の呪文を耳にした時には、正直言って冷や汗が出ましたよ。その前に唱えた『眠りの雲』の使い方といい、あなたは最高クラスの魔術師と言っていいでしょう。見事でしたよ」



 大量の血を流しながら気を失って横たわるアロセールを抱き起こし、血止めの応急処置を施しながらノエルは告げる。そして、まだ闘いが繰り広げられている危険な大広間から連れ出してやるのだった。



 確かに、純粋な魔術の勝負ではノエルはこのアロセールに負けていた。しかし、ノエルの飽くこと無き知的好奇心は、それ以上の実力を彼に与えていた。実戦的な戦闘能力では彼の実力は底知れない。

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