ティナ vs 闇の精霊使い Tina vs Elemental Master of Darkness
細身の中年の男と対峙したティナ。
その男は、すかさず召還の言葉を口にする。
「闇に憩う我が僕よ。封じの壁を今解かん……闇の契約に従いて、主たる我に仕えよ! 出でよ、ガルバック!」
男の足元の影から、真っ黒い大きな獣が飛び出した。黒い炎に包まれた、人間よりも大きなオオカミのような姿。シャドウ・ビーストだ。目と口は真っ赤に染まり、白銀の牙が鋭く光る。男の脇にバッと地を踏みしめて、喉を不気味に唸らせながらティナを睨む。驚くティナだ。
「闇の精霊使い !? ほとんどいないはずなのに……」
「ほう。詳しいじゃないか、女。ならば、観念すべきだという事もわかるだろう?」
『闇の精霊使い』……その素質を持ち、なおかつ訓練を積んだ精霊使いは、ほとんどいない。というのも、闇の精霊は力が強過ぎて、制御する事が難しいのだ。また、闇の気質に向いた者は、短命の者が多い。『闇』と『死』は、非常に近い関係にあるのだ。資質があっても、闇の精霊を制御できるようになるまでの訓練中に死んでしまう者が大半なのだ。
しかし、その厳しい選抜に耐え抜いた闇の精霊使いは、他の属性の精霊達よりも数倍も力の強い闇の精霊を操る事ができるのだ。闇の精霊の力は、中級~上級魔法に匹敵する破壊力がある。しかも、魔術と違って複雑な呪文の詠唱など要らない。こうして瞬時に召還し、戦いを命じるだけでよい。高レベルの魔術師でも、打ち勝つのは難しい相手だ。たとえ勝てたとしても、満身創痍になるだろう。それほど手強い相手だ。
(実は、牢獄にいたダミアンを看守達ごと虐殺したのは、この男だ。名をモルグスという)
しかしティナは、格上の相手に迷う事なく、自らの炎の精霊を召還する。
「我が僕よ。封じの壁を今解かん……炎の契約に従いて、主たる我に仕え、その力貸せ。出でよ、フレキ!」
ティナは右の紅玉のピアスから、炎の精霊フレキを解放する。
精霊の召還には、その気質に応じた現象を必要とする。闇の精霊は、影があればそこから召還できる。実質上、影の無い場所は存在しないと言っていいので、あの男はどこでも闇の精霊を召還できる。そういった意味でも闇の精霊使いは有利なのだ。炎の精霊は、少しばかりの火があれば召還できる。しかし、炎の属性を封じ込めた玉石を用いる事で、そこへ使い魔を封じて召還が可能となる。ティナは元々炎の気質を自然に持つ紅玉を用いてサラマンダー達を封じている。
紅蓮の炎に身を包むサラマンダー、フレキが躍り上がり、ティナの頭上で身構える。彼女は、あえてもう一体のサラマンダー、キリーを召還しなかった。そのかわり、キリーに与えた分の気の大半をフレキに送り込む。
闇の精霊に対抗するには、力を二体に均等に分散させたのでは、たちまち両方とも倒されてしまうだろう。素早さに勝るキリーよりも、パワーに優れるフレキを選んだのだ。
「なるほど。炎の精霊使いだったか。だが、火トカゲごときでは、我がシャドウ・ビーストの相手ではない。持ってせいぜい、数分だ。その間に、ガルバックに一撃与えられるかどうか、という戦いになるぞ、炎の精霊使い。勝ち目はない」
「やってみないと、わからない。なめるなっ !!」
にらみ合いがしばし続く。
男は不敵な笑みを浮かべると、ティナへの攻撃をシャドウ・ビーストに命じた。
「行けっ、ガルバック! 女共々、八つ裂きにしろっ !!」
男がバッと手を振ると、闇の獣がうれしげな咆吼を上げ、牙を剥いてティナの方に一気に飛びかかる。その突進力たるや、まばたきする間もないほどだ。
ティナも瞬時に反応している。
「フレキっ! お願いっ !!」
主の命令に従い、フレキは紅蓮の炎を一層激しく燃え上がらせて、シャドウ・ビーストを迎え撃つ。漆黒の炎と、紅蓮の炎が絡み合う。フレキは、自分の喉元を狙って襲いかかる鋭い白銀の牙を紙一重でかわし、シャドウ・ビーストの胴体に巻き付いた。そのまま、あらん限りの力を込めて締め上げてゆく。
しかし、黒き獣にはフレキのその炎も、締め付ける力も、全く通じない。近くに寄ってきた事を幸いと、フレキの胴に噛みついて力任せに引き剥がした。そしてフレキをくわえたまま、勢いをつけて何度もフレキの身体を地に打ち付けてゆく。炎の精霊は、為す術もなく叩きつけられている。凄まじい力だ。
一瞬その攻撃に間が空いた隙に、フレキは力を振り絞り、闇の獣の右目に牙を立てた。フレキをくわえ込んでいるシャドウ・ビーストの顎の力が緩む。フレキはその瞬間に逃れようと身をねじるが、怒り狂ったシャドウ・ビーストは本気を出した。
先程までは、与えられたオモチャをすぐに壊さないように気をつけていたのだ。フレキをくわえる顎にあらん限りの力を込める。フレキの身体が確実に壊されてゆく。
そして壁に向かって突進し、右目に噛みついているフレキを身体ごと預けて壁に打ち付けた。フレキの牙が折れ飛ぶ。シャドウ・ビーストは、さらに思い切りフレキを振り回しては、何度も床に叩きつけてゆく。
もうフレキには、闇の獣に一撃加える余力などない……
この精霊達の数瞬の戦いの最中、ティナは男に向かって突進する。護身用の短剣を抜き放ち、身体ごとぶつけるようにして相手に襲いかかろうとする。
フレキの力では、あのシャドウ・ビーストに勝つ事などできない。
ティナは初めからその事は承知していたのだ。フレキは、シャドウ・ビーストを一瞬でも足止めさせておく事が目的だった。彼女の真の狙いは、闇の精霊を操る男、本人だ。それしか勝つ方法はない。
しかし……
男はティナの狙いを全て見切って、短剣を突き出すティナの手首を両手でつかんで、そのまま地に投げ倒した。ティナは息が一瞬止まるほど、背中にひどい衝撃を受けてしまう。その手から、短剣が弾き飛んだ。
男は仰向けに倒れるティナの上にのしかかり、両手を彼女の首にかけて、締め上げてゆく。ティナは男の手首をにぎりしめて、振りほどこうともがくが、男の腕はぴくりともしない。
「そうだな。お前にはこうするしかなかっただろう。だが、これで終わりだ、炎の精霊使い。火トカゲ共々、地獄の業火で焼かれるがいい。お前達は、そうした炎が好きなのだろう?」
なおも力を込めてティナの首を圧迫してゆく。シャドウ・ビーストの相手をしていたフレキも、もう瀕死の状態だ。黒い獣に軽々と振り回され、何度も地に打ち付けられた末、首筋をガッチリくわえこまれ、ぐったりとしている。その牙もかぎ爪もボロボロに折れ、片目はひどく打ち付けた衝撃でつぶれてしまっている。フレキの身体の炎がどんどん下火になって、勢いを失ってゆく。
男の手によって、ティナは息を吸い込む事ができない。絶体絶命の危機だ。男は勝利を確信して、ニヤリと彼女の目を見下ろす。
それでもなぜか、ティナの瞳には輝く闘志の炎がまだ燃えている。
全ては、彼女の計画通りの展開だった。
息は、吐くことならかろうじてできる。
その残る呼吸で、彼女は勝利の一手を打った。
「……封じの壁を今解かん……炎の契約に従いて、我に仕え、その力貸せ……出でよっ! キリー !!」
ティナの左の紅玉のピアスから、もう一体のサラマンダー、キリーが召還されて男の身体に巻き付いた。燃えさかる炎が男を取り巻く。
「なっ!? 二体だとっ!? 馬鹿な……」
気の大半をフレキに分け与えたものの、人間一人を殺傷するには十分な炎をキリーは燃え上がらせている。男が驚きに目を見開いてティナの首から手を離し、身体に巻き付くサラマンダーを引き剥がそうともがくが、どうにもならない。
男がたまらず、シャドウ・ビーストを呼び戻そうとしたその時、ティナが拾い上げた短剣で男の喉を滑らかに切り裂いていた。最後まで驚きに目を見開いたまま、男は絶命した。主を失ったシャドウ・ビーストは、契約が解消されたために、再び闇の中へと溶け込むように消え去った。
「精霊を一体だけだと思いこんだ、あんたの負け。確かに、あんたの方が私よりも強かった。でも、言ったでしょ? やってみなくちゃわからないって」
ティナの作戦……それは、男に近づき、不意を突いてキリーによって奇襲する事だったのだ。短剣は、男に近づくための囮にすぎない。追い詰められ、残る攻撃手段がそれしか無いと男に思い込ませる為だ。
その時間を稼ぐためには、フレキの方にシャドウ・ビーストを引きつけてもらわねばならない。より多くの気をフレキに分け与え、キリーには奇襲に必要な最低限だけ残しておいたのだった。
危険な賭けだった。
フレキの頑張りがなかったら、彼女はシャドウ・ビーストに殺されていただろう。また、男が何らかの武器で反撃してきたら、こうはいかなかった。勝利を確信して油断し、その手でティナを絞め殺そうとした男は、自ら墓穴を掘ったのだ。
ティナはキリーと共に、床に力無く横たわっているフレキの側に寄る。
『フレキ……大丈夫?』
ティナの側に控えるキリーの問いかけに、フレキは横たわったまま、微かにうなずく。
『うむ。お前こそ、よく主を守ってくれた。ほとんど私に気を渡したというのに、あの炎、見事だったぞ。お前も、もうフラフラだろうに。人の心配をする余裕などないだろうが』
キリーは左右に首を振る。
『ううん。あなたよりはずっとマシ。それに、マスターを守るためだもの。全然平気』
『そうか……』
フレキは、そう告げるキリーに対して残る片目だけで笑う。
もう、わずかばかりも身体を動かす力さえ残っていないのだ。
そんなフレキに、主人のティナが声をかける。
「ごめんね、フレキ。こんな事させちゃって。本当に、ありがとう」
ティナの頭に、弱々しくも、きっぱりと告げるフレキの声が響く。
『我が主よ。もったいないお言葉です。あなたの為ならばこの命、いつでも差し上げます』
フレキがその身にまとう炎がなかったら、ティナは迷わず彼を抱きしめていただろう。思わず涙が出るのをグッとこらえて微笑むと、ティナは再びサラマンダー達をピアスへ封じ込んだ。自分の身体が許すギリギリのところまで、ティナは自らの気をボロボロに傷ついたフレキへとゆっくりと送り込んでいく。フレキは紅玉の中で、主人の心からの感謝がこもった温かな心地よい生気を、心ゆくまで味わっていた。
これほど強い信頼の絆で結ばれた、精霊使いと精霊達も珍しい。ティナは両親と死に別れた時から、自分に忠実に仕えてくれるこの炎の精霊達の存在に、どれだけ孤独な心を支えられてきただろう? 彼女は『主人と使い魔』という関係以上の愛情を、この炎の精霊達に注いでいた。そのような優しい主人に、彼らは惜しみなく力を貸した。
モルグスとシャドウ・ビーストの間には、このような強い絆などなかった。フレキとキリーの力を信頼し、迷う事なく男へと向かったティナ。主人の信頼に応えて、見事にそれぞれの役割を果たしたフレキとキリー。
ティナ達を圧倒的に凌ぐ力を持ちながら、あの闇の精霊使いが負けたのは、この絆の力の差だったのかもしれない。




