2-3
僕には頼れる親類縁者もいなかった。
父も母も早くに両親を亡くしていて、祖父母からのお年玉は10歳の頃には封鎖された。
だから本当に天涯孤独なんだ。
そんな僕の妹を名乗る人物は不審者以外の何者でもないはずだけど……。
「あっ! 彩陽ちゃん!」
「……なんでいるの?」
と思えば、妹を名乗る人物は緋空ちゃんだった。
保健室の奥にあるカウンセリング用のソファに、チョコンと行儀よく座っている。
「運動会が近いから、今日は午前で終わりだったの」
「そう……なんだね」
だからと言ってなんでこっちに来たんだろ。
僕はソファに座る彼女に近づいた。
「鍵は渡してるよね……?」
「彩陽ちゃんと帰りたかったんだもん」
耳打ちして聞いてみると、緋空ちゃんも口を尖らせながらそう返してきた。
また波風立てるとよろしくない印象が僕に上塗りされるんだけど……。
チラッと後ろを向けば、ヒソヒソと相談する様子を白衣の養護教諭は睨むように見ている。
「なんで……」
「だって抜け駆けするかも知れないし……」
なんの抜け駆けかは聞かなかった。
言わなくても分かる。
1人で死んだりしないよ……というか死ぬつもりはないし。
するとある程度まとまったと思ったのか馬淵先生は言葉を挟んできた。
「それで? いい?」
腰に手を当ててこちらを見ている。
若いのもあってか切れ長の目から物凄く圧を感じる
「んで? これはどういうこと。アンタはひとり暮らしなんでしょ? この子に『妹です。赤い髪の彩陽ちゃんはどこですか』って言われたんだけど」
彼女は、顎に親指を当てたまま訝しんでいる。
先程の気だるげな様子と違って、今はなんか敵意のようなものを感じる。
何かを問い詰めるような視線に、居た堪れない気持ちにさせられながらも僕は誤魔化さず白状することにした。
「この子は昨日から預かってる子で……」
「白水緋空です!」
そう言いかけたところ、緋空ちゃんが何かに気づいて大きな声で挨拶した。
その様子に先生は少しだけ顔を綻ばせる。
「あら、自己紹介できて偉いわね。でも、どういう関係なの? 妹じゃないのよね?」
「ごめんなさい、そう言わないと追い帰されちゃいそうで。えっと、んー……」
ただ彼女も答えあぐねていた。
僕もどこから話したものかなと、頭を働かせると、ひと足先に答えに辿り着いた緋空ちゃんが口を開く。
「あっ! 運命共同体です!」
どこで覚えたのか分からない言葉を口にする。
正直それで理解できるとは思えないけど、共犯者とか心中相手とか言われなくてよかった。
「運命……えっ……?」
「あ、いやっ! あのですね……」
そして緋空ちゃんが先生を困らせてくれたおかげで、僕も話しやすくなった。
通り魔事件の被害者であることを喧伝して回るのもどうかと思ったけど、大人ならまぁいいよね。
「先月にあった通り魔事件の子なんです。両親を亡くしてて、まぁ境遇も似てるから僕が預かって……みたいな」
口の中が苦くなるような思いで伝えると、僕の事情を知ってるのもあって先生も納得したようだった。
本当? と目を向けられた緋空ちゃんはにこりと笑って首を縦に振った。
「そうなのね。星影さんと同じ家なら……緋空ちゃんだっけ? 1人で帰れる?」
先生は緋空ちゃんの隣に座って足を組んで、彼女の目を見て優しく伝えた。
「帰れない……です」
「そんな状態で家から送ったの? 小さい子のメンタルケアに気は使ってるわけ?」
緋空ちゃん越しに馬淵先生の刺すような視線が飛んでくる。
なんで僕なの、それは押し付けた佐藤さんに言ってよ……。
とはいえ養護教諭とは思えない鋭い視線には、反論も出来る気がしない。
というか鍵は渡してるし、朝は1人で帰れるって言ってたなかったっけ……?
こちらをチラチラ様子を伺うように見てくる緋空ちゃんに僕の肩から力が抜けた。
「ケアはしてるつもりで……いや、はい。すいません少し甘かったです……」
「そっ、とりあえずじゃあ保健室で預かるけど……いい子にできる?」
「はい! 良い子に出来ます!」
緋空ちゃんが弾けるような無垢な笑顔を馬淵先生に向けている。
それを初めて食らった先生は切れ長の目がまん丸に開いていた。
そしてそのキラキラとスパークルした視線はこちらに向いて、また緋空ちゃんは笑う。
「彩陽ちゃん、大人しく待ってるね!」
「うん。じゃあ先生、お願いします……先生?」
口をパクパクさせていた先生は、そう問いかけるとやっと我に帰ったように視線をこちらに向け直した。
「え、えぇ……あとで来校証もらってくるわ」
「ありがとうございます。緋空ちゃん、帰りに迎えにくるからいい子にしててね」
「うん!」
頭を撫でると満面の笑みでこちらを見つめてくる緋空ちゃんに、僕も口元の力が少しだけ緩んだ。
それにしてもランドセルを背負って高校までやってくるなんて。
「それじゃ、僕は失礼しま————」
予鈴が鳴る前に教室に戻ろうとすると、ドカンと大きな音が保健室に響いた。
「ハルちゃーん! 絆創膏ちょうだい!」
ガサツな音を立ててドアが開いたと思えば、大きな声をあげて女子生徒が入ってくる。
ハルちゃんって……あぁ馬淵先生の下の名前か。
「咲山……もっと静かに入れないの?」
入ってきたのは同じクラスの咲山花蓮。
ミルクチョコのような焦茶色の髪の毛を横で結った小柄で顔の小さい女子。
大きな音を出したことを注意されて、気にする様子もなく後頭部を手で撫でて、えへへと笑う。
棚を物色しながら先生に言葉を放り投げている。
「いやー急いで来たから勢い余っちゃってさ!」
「はぁ……今取り込み中なんだよ……」
「えーそうなんだ。じゃあ勝手に貰うねー」
とりあえず僕も教室へ戻ろうと、緋空ちゃんに手を振って保健室から出ようと立ち上がってソファから歩き出す。
救急ケースを開けて絆創膏を巻く咲山さんの背中をそのまま通過しようとすると、足音で馬淵先生以外の存在に気づいたのか、ぐるりと首が回って目が合った。
おぉ〜と口を丸くして、視線を大きく動かすと僕、緋空ちゃん、馬淵先生の3人を往復させている。
「……あぁ! その子が噂の星影さんの隠し子?」
「ち、違うよ! うちで預かってる子だよ!」
いきなり決めつけるように言われてつい声が大きくなってしまう。
噂……噂って何!?
「あぁそうなの? 隠し子だったら面白いのにね。年齢的にも」
「面白くないよ! 大問題になるって……!」
正直、咲山さんはよく分からない。
明るく誰とでも分け隔てないけれど、クラスの中心とかではない。
文化祭とか凄いノリノリなのに、打ち上げとか来ないタイプ。
掴みどころがない。
「そんなに必死にならなくても誰にも言わないのにー」
「そんなこと言われても違うし……!」
「そこの2人、保健室では静かにしろ。子供がいるんだ」
「あーはいはい、ごめんねー」
僕が慌てて否定しても先生が注意しても、咲山さんは気にすることなく、手に取った絆創膏のゴミをゴミ箱に捨てた
なんだこの人。
「あっ、そういえば……ねぇ星影さん!」
そんな風に思ってると、絆創膏を巻いた彼女は何かを思い出したようにこちらに近づいてきた。
「あのさてかさ! そういえばさ! ギターやるでしょ? エレキはできるの?」
いきなりなにを……?
思いつきで話をされても頭が追いつかない。
いきなり手を掴まれて「だよね? だよね?」とゴリ押されて頭が混乱しそうになる。
「エレキもアコギも……できるけど」
「やっぱりー? そうだよね、爪とか……うん! やる人の爪だもん!」
それを聞くと、今度は無遠慮にグニグニと僕の指を撫でててうんうんと首を縦に振った。
ハハハと愛想笑いをして見せるも、彼女はそれを一切気にせず、こちらに詰め寄って僕の手をサワサワと撫でている。
なんかちょっとイヤらしい触り方に背骨がむずッとする。
「あの、さっきから何……?」
緋空ちゃんもなんかこっちを見てるし、早く教室に戻りたいんだけど……。
でも咲山さんは止まらない。
「……あ、そうだ! 今度軽音部に来てよ! あなたのギター聞いてみたいな!」
「いや……それは……っ?」
嫌だなぁ……。
「星影さんのギター聴いてみたいからさ、ユーチュー……およ?」
手を撫でられながら断る文句を探していると、逆の手が斜め下に引っ張られた。
グイと引っ張られてぎゅっと抱きしめられている。
視線を下ろすと緋空ちゃんが敵意のこもった目付きで咲山さんを見ている。
「どうしたのかな? えっと……」
「白水緋空です……」
「クレアっていうんだ! 可愛い名前だね」
その言葉に緋空ちゃんは何も言葉を返さなかった。
ただじっと腕を抱きしめて、視線を私たちの手に向けている。
「あーこれかぁ! ごめんね? えへへ、仲良しになっちゃった」
「っ! 彩陽ちゃんとは私が……」
「星影さんって彩陽ちゃんって言うんだね! これまた可愛い名前だ」
怒った顔をしてるのに、咲山さんは全く怯まず笑って言葉を遮っている。
その様子に口までまん丸にして愕然とする緋空ちゃんだけど、その原因である当人は全く気にせず僕の目を見つめてきた。
「それじゃあね! 話せてよかった! また話そうよ! ギターの事とか音楽の事とか! ハルちゃんバイバーイ」
そしてバタンと、扉を閉めて去って行った。
台風……というより事故現場の緊急車両みたいなやかましさだった。
口をパクパクさせながら、緋空ちゃんも見たことない顔をしてる。
さらに言うと馬淵先生もといハルちゃん……も、頭を抱えている。
「敬語くらいは使えって……まったく」
緋空ちゃんこちらの腕をさらに強く抱きしめたまま、保健室の扉の向こうを明確に敵視してる。
「咲山さん、自由な人だよね。クラスでもあんな感じでマイペースだし……というか痛い。痛いよ緋空ちゃん」
トントンとタップすると、少し腕を絞める力が緩んだ。
ご立腹な天使の視線の行き場をこちらに変えて、強く射抜いてくる。
「そんな目で見なくても良いんじゃないかな……?」
「でも、なんか嫌だった……」
「そんな嫌だったの?」
緋空ちゃんは首を縦に小さく振った。
別に自由すぎるだけだから、気にしなくてもなぁ。
そんなことを思いながら彼女を見ても、腕を抱く力は緩んだとはいえ強いままだった。
「彩陽ちゃんがどこか行っちゃう気がしたから」
あー、そう言う……。
愛しさを含めて口を尖らせてそう言い捨てる緋空ちゃんは、やっぱりこの世のものとは思えないほど愛くるしい。
「あーなにかな? 嫉妬かな?」
「彩陽ちゃんは私とずっと一緒なの!」
そう冗談を言うと怒る女の子は、希死念慮を抱えてるとは思えない。
僕は優しく、緋空ちゃんの頭を撫でて微笑んだ。
「そうだね。これからずっと一緒にいよっか」
生きて、これから先へ。
そう願いながら。
「ちょっと、家族愛に浸るのは良いけど星影はさっさと教室戻る。もう予鈴鳴るから」
「あっはい」
じゃあ待っててね。
そう僕は頭をポンポンと撫でると、緋空ちゃんは少しだけ安心したように微笑んでいた。




