9-1
マンションのエントランス前、派手な赤いダウンにサングラスをかけた男の人が僕を見つけて手を振っている。
「やーやー! 探したよ」
「佐藤さん……?」
赤いダウンに青いデニムに白シャツに金のサングラス。
完全に輩なそれは、少し周囲の視線を集めている。
呆れを隠して奥歯を噛むと、スラックスの太もも部分の布が引き締まった。
あれれと思いながら見ると、緋空ちゃんがもうひとつの手で布を強い力で掴んでいた。
「どうしたの?」
「……」
返事をせず唇を噛んでいた。
何かを感じ取ったのだろうか……。
「日曜にわざわざ出かけるなんて、本当に仲良いんだね」
佐藤さんはパリコレモデルが失神するような大股で、こちらに歩いてくる。
彼は笑顔だったけれど、近づくにつれ手を握る力も強くなっていく。
ただ僕は今ひとつその理由が掴めないでいた。
佐藤さんってパッと見は輩だけど、別に怖い人じゃない。
生活費の振り込みもきっちりしてくれているし、定期連絡的な感じで緋空ちゃんの様子を確認するほどしっかり者。
いやまぁ親戚の子供を関係のない女子高生に押し付けるのはどうかと思うけど、だからと言って責任を放棄するような大人じゃない。
小学校との細かいやり取りは全部やってくれてるし。
見た目完全に輩なのに。
「緋空ちゃんが元気そうでよかった。どこに行ってたの?」
「鏑山に行ってました。なにか絵を描く題材があればなって」
「へー、絵か」
チラリとサングラス越しに見下ろすと、しゃがみ込んで緋空ちゃんと目線の高さを合わせる。
「うん、そっか。やっぱり絵が好きなんだね、緋空ちゃんは」
ただそれでも彼女の緊張は抜けない。
僕もつま先に力が入った。
「今日は何の用ですか?」
「あーうん。緋空ちゃんを引き取ろうと思って」
「……えっ?」
その瞬間、無意識に奥歯に力が入っていた。
「いまなんて……」
「えっ? だから、緋空ちゃんを引き取ろうと思って
「なんでですか……いきなりすぎません?」
「いや、冷静に考えたらまずいでしょ? 1人暮らしで頼れる身内のいない女子高生に子供の面倒押し付けるなんて」
今更正気に戻らないでよ。
やっと……やっとなのに……。
「それに、絵が好きならこっちでもサポートできる。小学校から連絡が入ったんだよ『絵の才能があるからサポートしてあげてほしい』って」
それは僕も言われた。
美術部の人に話しかけられて、緋空ちゃんの話を聞かれて「あの子の未来を潰さないで」って釘を刺された。
「それは……そうですけど」
「嫌だ……戻りたくない」
「————っ! 佐藤さん、緋空ちゃんはこう言ってるし流石に少し唐突すぎませんか?」
緋空ちゃんのそんな言葉に、僕も背中を押されて私も立ち塞がってみせた。
「そう? 押しかけたのがいきなりだったし、サポートは早い方がいいでしょ」
全く気にせず小首を傾げながら、佐藤さんはこちらを見下ろした
人種が違うというか気質が違うのを感じる。
この子の繊細な気質を掴めてない……!
「でも緋空ちゃんは嫌だって言ってますけど」
「そりゃあ環境が何度も変わるのは嫌だと思うよ。ただ、このままはやっぱ良くない」
ただ、彼はこちらの視線をものともせずアメリカ映画のように肩をすくめる。
「でも……私、彩陽ちゃんといたい……」
「気持ちは分かるけどね。戻っておいでよ。改めてウチでも話をしたんだ。部屋も用意したし学校まで送り迎えも出すから」
想像を超えてお金を持っている様子でそう言う佐藤さんは、きっと本当のことを言っているのかもしれない。
絵のサポートなら、きっとウチより環境はいい。
けど、緋空ちゃんの態度は変わらない。
ギュッと腕に抱きついて、僕を後ろに引っ張った。
「嫌ッ……!」
強い敵意の込もる視線が佐藤さんに向けられている。
やっぱり普通とは思えない拒絶反応だった。
「あの、一旦今日は帰っていただけないですか?」
「マジ……? ウチはマジで大丈夫だよ? 受け入れる準備もできてるんだけど」
「嫌っ! 彩陽ちゃんが良い……!」
その声色の持つ力強さは、僕と佐藤さんで目を合わせてしまうほどだった。
ただ、その意味を僕は理解した。
「とりあえず、一旦帰ってもらえますか? 僕たちで話しますので」
「いや、それなら俺も……」
「一旦ですから。やっと緋空ちゃんが明るくなったんですから、また刺激しないでください」
この子の希死念慮を佐藤さんは知らない。
そして、両親の死に加えてそれを加速させたのは……結局この佐藤さんの家族なんだ。
トラウマじみた何かを植え付けられたのか、それとも別の……。
なによりも考えたくない。
とにかく緋空ちゃんとも落ち着いて話して、また後日、佐藤さんとは話そう。
やっと落ち着いたのに、またバラバラは僕も嫌だったから。
「はぁ……まぁ分かったよ。とにかくある程度の荷造りはしておいて、近いうちにまた迎えにくるよ」
☆
部屋に戻って、夕食を食べ終わるまで会話という会話はなかった。
それでも、口を開いて僕は緋空ちゃんに伝える。
「一緒にいたいよね」
素直に、僕の気持ちを先に伝えた。
緋空ちゃんといたい。
少なくとも、佐藤さんなんかよりは僕の方が資格があると思ってる。
安心して僕のそばにいて良いんだ。
「うん……私も彩陽ちゃんとが良い」
改めてその答えを聞いて、僕は少し屈んで緋空ちゃんを正面から抱きしめた。
背中に腕が回る。
ほんのりと暖かい体温をお互いに分け与える。
「お別れしたくない……」
「うん、僕も。だからね? 佐藤さんを説得してみる」
「ほんと?」
顔を引いてこちらと目を合わせて、不安そうに口にした。
「うん、今度佐藤さんに連絡する。そこで話をしてくるから」
「……私、信じるね」
不安と光をいっぱいに蓄えたグレーの瞳に、ぐにゃりと歪んだ僕がうっすらと見える。
緋空ちゃんの震える声が僕の耳を撫でて、電源に繋がれたような力が全身に湧き上がった。




