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通り魔から小学生の女の子を助けたら同居と心中を申し込まれた女子高生の話  作者: 鳩見紫音
9.生きている限り

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9-2

 佐藤さんはなんと話し合いの都合を翌日に合わせてくれた。


 話し合いをするなら出来る限り早くしたいだろうから。ということで。


 呼び出したのは喫茶店、佐藤さんは待ち合わせ丁度にやってきた。


「やーやー時間は気にしたけど任せちゃったね。あれ、頼んでないの? コーヒーでいい?」


 柔らかな態度に気負っているのが自分だけと気付かされ、さらに緊張した。


 僕の説得次第で緋空ちゃんとお別れになってしまうから。


 ここにはいない彼女の手を握るように、僕は膝の上の拳に力を込めた。


「あの子がやっと明るくなれたんです。今になってまた環境を変えるなんて勝手じゃないですか?」


 早々に僕は切り出した。

 乾く口を頼んだコーヒーで潤して、ぐっと奥歯に力を込める。


 佐藤さんはうーんと言いながら、首を回している。


 パーカーの胸の部分にプリントされた、赤い四角に白抜きされているブランド名がとてつもない圧を放っている。

 金色の腕時計も相まって、まるで全身でこちらを睨んでいるようだった。


「それに僕に預けられることなく佐藤さんの家にいたら、ずっと暗いままだったかもしれないんですよ」


「ケア出来なかったのは確かにウチの責任かもだけど……」


 かもというより、原因の可能性もある。


 希死念慮のきっかけが両親の死だったとしても、孤独を加速させたのは佐藤さんの家なのだ。


「だからと言って、ウチの家族はネグレクトしてたわけじゃないんだよ?」


 ずっとあの家でも1人だったと言っていた。

 部屋もなく、隅で絵を描いていただけ。


 しかもそれを不気味がっていたんだ。

 理解することなく、しようとすることなく……!


 喉からすぐそこに出ようとした怒りを発散する前に、佐藤さんは言葉を続けた。


「あの子にどう向き合ったらいいか分からなかっただけ、様子を見てあの子から心を開いてくれるのは待ってたんだ」

「いやでも……! その結果、僕の家で生活したいと言い出したんですよね。待つだけで向き合おうとしなかったんじゃないですか? 僕はあの子と向き合って……」

「あっ、コーヒーいただきますね」


 熱を持って声が大きくなりかけた時、佐藤さんはテーブル側で様子を伺った店員さんに手を挙げた。


 張り詰めた肺が一瞬萎んで、場の空気が緩んだ。

 ふぅと体の重い息を吐き出して、コーヒーを口にして間を置くと、目の前の男は口を開く。


「うん、まぁ向き合えなかったのは事実だよ。君は緋空ちゃんの絵を見た?」

「もちろん」

「そっか。なら分かるでしょ」


 佐藤さんは腕を組みながらふぅと息を吐いて、見下ろすようにこちらを見る。

 余裕なのか、伝わってないのか、何にしろ「結果は変わらない」と言われてるみたいで奥歯がすり減るほど腹立たしい。


「あの絵を見て、どんな印象抱くと思う? 最初はおかしくなっちゃったかと思ったさ、でもそれが元々持ってた芸術性なら理解できる気がする」


 気がする……?


 緋空ちゃんの希死念慮が絵を不気味なものにして、怖くなるのは理解できる。

 けど、そこから彼女を理解しようとはしたの……?


 正直、素性の知れない僕のような相手に親戚の子を預ける時点で、理解できる生き物とは思えない。


 なんで僕のこの言い分を聞いて、今ものんびりコーヒーを飲めるんだ。


 軽薄なこの人を信用できるはずがない。


「いやいや、そんな睨まないでよ」

「だって僕は関係ない人間だったんですよ? そんな人に押し付けるみたいにしておいて理解できる気がする……?」


 あの時の僕は常に独りで、寂しい気持ちがあったから共感した。


 だから受け入れたけれど、冷静に考えてみて提案をする側も、提案を受け入れる側も異常だ。


「あー分かってる。でもその時は……あの子のことを知らなかった。心の傷にむやみに触れるべきじゃないと思ってた。だからあの子が君と住みたいと言っても止めなかった」

「僕からしたらそっちの事情は知らないですよ……!」

「そうだね。でも今は俺たち家族も少しは分かってあげられる」


 両腕を組んだまま肘をテーブルにつけて、佐藤さんはこちらを射抜くような面持ちで見つめてくる。


 少しずつ視線に熱を帯びてきているのはわかった。

 アメリカ映画みたいな芝居がかった身振りに腹は立つけど、言葉はしっかり届いてるようだ。


 さらに彼は言葉続ける。


「小学校から絵の賞に提出する際に住所をどうするか聞かれてね。その時に色々話を聞いたんだ。ほら、君から『元気ですよ』としか聞かなかったから」


 しかし、その言葉で彼の本心が見えてしまった。

 両手のひらを天井に向けたハリウッド俳優のようにこちらへ訴えかける。


「絵の才能がある子なんだろう? なら、うちで環境を用意する。隅っこで描いてるんじゃなく、もう少し伸び伸びできるように」


 あぁそうか。

 この人が目をつけたのは緋空ちゃんの才能だ。


 絵の才能のある子を囲い込みたいんだ。


 そう理解した瞬間に、目の前の快活そうなアウトドアなおじさんが、漫画に出てくる醜悪な富豪に見えてきた。


 神経が熱を持ち始める。


「それはもう僕の家でも出来ます。今でも部屋余ってますし」

「迷惑をかけるわけにも行かないよ」


 そんなの建前でしょ……!


 体の内側から真空管アンプで掻き鳴らすような轟音が湧き立つけど、喉元で押さえ込む。


「改めて正直なこと言って……いいですか」

「構わないよ」


「佐藤さんの家に緋空ちゃんを戻すのは反対です」


 戻すという言い方はペットみたいで嫌だったけど、帰すという言葉を使いたくなかった。


 自分の家以外で帰る場所は彼女が決めるものだから。


「……理由は?」

「あなたと暮らして緋空ちゃんが笑顔になれると思えないからです」


 奥歯を噛み締めて、目を見て言葉にした。


 それに対して、不満の面影を見せることなく佐藤さんは口を薄く開いて息を吸った。


「……たしかに、そう言われても仕方ないな。付き合い方を間違えたのは事実だから」


「そうですよ。やっと緋空ちゃんの笑顔が……」


 空っぽじゃなくなってきた。

 ハッキリとした心中宣言は、漠然とした不安の行き先に変わってる。


 少しずつ、そんな暗いビジョンが変わってるんだ。


「それは分かってるつもりだよ。最初に君に会った時のあの子の顔を見てビックリしたから。こんな顔をするんだって」


 そう言いながら今度は背もたれに身を預けた。

 前に後ろに、大きな手振り、空間を使ってこちらに話しかける。

 動きは妙に騒がしいが、やはり目には真剣さがこもっている。


「だからこそ、向き合い直そうと思って」


 真剣で浮つきのない口調だった。

 でも……僕には納得がいかなかった。


「妻とも話し合った。絵の才能の話を聞いて、改めてあの子のことを知らないことに気づいたんだ。そして向き合おうって決めた」


 それはエゴじゃないの?


 自分が失ったものを取り戻そうとするように、緋空ちゃんを迎えようとする姿は受け入れ難いものがある。


「あなたは親じゃないですよね……?」

「うん、けど……それは君もだろ?」


 それで何も言えなくなった。


「これは学生の君を気遣ってという意味もある。けど、それ以上にあの子が宙ぶらりんになってる状態は大人として放っておけない」


 強い視線に体が緊張する。

 コーヒーを少し飲んで落ち着けようにも、カップを取る手が少し震えていた。


「やっと安定したんですよ……! 緋空ちゃんがずっと何を言ってたか知ってるんですか……?」


 死にたい。パパとママに会いたい。

 グズリのこもった声で僕に言ったことを覚えてる。


「それは知らない。知らないけど、金だけ渡して養育を任すなんて不健全な環境を押し付けるわけにはいかない」


「不健全……!?」


 内臓が焼けるように腹が立った。

 あの日々を不健全ときって捨てられたみたいで。


 でもこちらのショックに塩を塗るように、佐藤さんは続ける。


「そうだろう? 押し付けたのは俺たち家族だけど、君も自分のやりたいことや仕事をしてお金を稼いでるんだろう? 作曲だっけ? 君だって才能のある子なのに、その時間を奪うわけにはいかない」


「問題ないです。あの子がいないと作れない曲もあります」


 それでも、視線の色は変わらない。

 壁に向かってアピールしてるみたいで、妙な切迫感で背中が熱くなる。


 息が詰まりそうに


「でも……でも! ウチのが近いんですよね?」

「あぁそれは問題ない。妻が送り迎えをしてくれることになったから。頑張ったんだよ、その環境を作るためにもさ」


 色々と妻の負担を楽にするために、お金を作ったり個人的な時間を割いて家事を手伝ったりと、緋空ちゃんを受け入れるために動いたらしい。


 それでも受け入れられない。


 視線に圧が増えていく、もう行ってしまいそうになる。

 足でも掴むように、なにかを伝えないと……。


 苦しい、苦しい。

 なんで緋空ちゃんと一緒にいて、一緒にいたいと言ってもらった僕がこんな……!


「もういいかな。俺としては最後まで納得してほしいと思ってるから」


 けどなにか……なにか……。

 何か言わないと……!


 そう思って立ち上がった。


「じゃあ僕が……僕が、あの……緋空ちゃんと相思相愛だとしたら!」

「……ふざけてる?」


 自分でも少しラインを超えた言葉だったことに気づいて、奥歯が痒くなった。

 ふざけてはない、家族として僕たちは……。


「……はい、すいません」


 そんなことを思って言葉にしたが、流石に佐藤さんも視線が鋭くなっていた。

 もう一度、座り直す。


 何か佐藤さんでも止められない理由を考えたけど、自分でも訳わからないことを言ってしまった。


 けど……お互いに家族がいない中で寄り添って生きてきて、それに近い感情を緋空ちゃんに抱いているのは間違いない。


 家族としての愛がある。ふざけてるつもりなんてない。


「で、でも……緋空ちゃんはやっぱり望んでない……」


「うーんまぁね……はぁ、もういいか」


 すると佐藤さんは諦めたように言葉をこちらに投げてきた。


「一応吐き出すだけ吐き出してもらって納得してもらうつもりだったけど……もうないみたいだね」


 はっきり言うとね。と、佐藤さんは軽く伸びをしながら前置きをしてさらに続けた。


「君の意思って関係ないんだよ」


 その言葉に、頭が動きを止めた。

 理解が追いつかなかった。


「どう言うことですか?」


「家庭裁判所でも俺は彼女の監護者として認められてる。わかる? 親権者が不在の時の後見人。それに対し君は自立出来てるとはいえ未成年だろ? 争ってもそっちでの養育は法的に認められることはないよ」


 争いになっても勝てない。

 だからもう諦めてほしい。


 暗にそう伝えられた。


「じゃあそう言うことだから、とりあえず来週末までによろしくね。ここのお会計はこっちでしておくからゆっくりして行って」


 そう言って佐藤さんは言ってしまった。

 正直、心は折れそうだった。


 視界が薄暗くモノクロになっていく。


「せっかく……せっかくなのに……」


 そう1人で言葉を漏らすと、首から力が抜けていく。


 対決のつもりで臨んだこの話し合いだけど、あちら側からしたら言い分を聞いて落ち着いてもらおうというだけだった。


 才能に目をつけて、自分の身内として囲う。


 緋空ちゃんをそんな風に扱おうとする佐藤さんを到底容認出来ないけれど、打つ手のない事実に頭の中が泥で埋まるみたいに真っ暗になった。


   ☆


「彩陽ちゃん! どうしたの?」

「バスの時間的に来ると思ってさ」


 バスから降りる緋空ちゃんと目が合うと、ちょこちょこ小走りてこちらにかけよってきた。


「佐藤さんと話……してきたよ」


 すると、彼女の顔がさらに明るくなった。

 視線には、何か期待のようなものが乗っているようにみえた。


 ……結局、何も変わらなかった。


「彩陽ちゃん?」


 ただただ話して、緋空ちゃんとのお別れは変えようのない事実だと見せつけられた。


 大人が憎い。


 僕が大人だったら、彼女を引き取れたかもしれない。


 養子……とかの関係を結んでもいい。


「そうすれば、家族になれるのに……」

「……どうしたの?」


 ついつい漏れた声を拾って緋空ちゃんはこちらを覗き込んだ。


 その顔色で、僕がどんな顔をしていたのがわかってしまった。


「ごめんね、緋空ちゃん」


 そして、その一言で緋空ちゃんの表情に雲がかかった。


「……お別れ……なの?」

「ダメだった。僕はまだ未成年だし、どうにもならない……」


「……」


 光が失われていく。


 やっと明るく、一緒に笑えるようになったのに、あと少しだったのに。


「行こう……?」


 すると、緋空ちゃんに手を引かれる。


 もう諦めてしまったのだろうか。


 僕自身も、緋空ちゃんにどう向き合ったら分からなくて力無くついていった。


 毎朝2人でいつも通っていた道。


 緋空ちゃんと通る道は朝の澄んだ空気とは違って、人や車の生きた呼吸みたいなものが混ざっている気がする。 


 冷たく乾いているのに、どこか湿度を感じる。


 そんな茜日と青空が混じり紫色へと変わりつつある冬空を眺めていた時、繋いでいたはずのグッと力がこもり思い切り体が引かれた。


 「っ? ……え!?」


 緋空ちゃんの向かう先、赤信号だった。


 車の通りが遅くないその横断歩道に体ごと突っ込んでいこうと、僕を引っ張って体から飛び込もうとしていた。


「ちょっ! 緋空ちゃん!」


 大きな声をあげて、彼女を思い切り引き戻した。


 胸の内の衝撃を抑えこむように車道側の信号を見ると、黄色信号から赤信号に変わった。


 そして眼前を勢いよくトラックが駆け抜けた。


 トラックの風圧が僕の顔を撫でて、髪が一瞬持ち上がる。

 そしてクラクションが遠ざかるにつれ、遅れて恐怖がお腹から迫り上がる。


 もし、僕が止めていなかったら……?


 僕はともかく、緋空ちゃんはきっと……。


「なに、してるの……緋空ちゃん……?」

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