4-1
緋空ちゃん。どうか僕を罵ってください。
普段だったらきっと殺してくださいとまで思うだろうけど、緋空ちゃん相手なので罵るところまで。
僕はダメなお姉ちゃんです。
☆
運動会当日の朝、僕は5時に起きてお弁当の準備を始めた。
緋空ちゃんからのリクエストはそれなりの品数だし、失敗を考慮して早く料理をしなければならなかった。
早起きの甲斐あってか、時間こそかかったものの、料理自体はなんとかできた。
緋空ちゃんもお弁当に詰めた様子を見て喜んでくれて、いくつかを朝ごはんにして送り出すと、時計は7時30分を指していた。
その時です。
悪魔が僕の口を勝手に使って囁いたのです。
「9時開会式だし……30分仮眠しようかな」
ただ、僕はどうしようもなく眠かったのです。
眠気のあまり運動会の会場で爆睡は流石に論外。
だから仮眠したのだけど……その結果が、今。
「1時間遅刻はまずいって……!」
起きた時に時計は10時を回っていた。
「遅刻はダメだからね!」
緋空ちゃんの声が起きてすぐ頭に響いて、秋にも関わらず全身から汗が吹き出した。
用意していたお弁当をカバンに詰め込み、急いで部屋を飛び出した。
「ごめん、緋空ちゃん……!」
喉を鳴らしてゼェゼェと音を漏らしながら、バスに乗り込む。
渡されたプリントだと、3年生の競技は午前の最後で、徒競走も午前の真ん中より少し後ろ、多分間に合う……はず……!
「油断したな……はぁ……!」
早く早く急いでとバスの運転手さんに心で念じながら、到着を待つ。
お弁当は……持ってる。大丈夫。
息を整えながら、頭の中で焦りと整理を繰り返す。
指にたくさんついた切り傷が、絆創膏の中の汗でじんわりと沁みる。
「動画も撮らなきゃいけないのにな……」
傷だらけの指、とんでもない早起き。
毎朝こんなことを僕のお母さんはしてたのかと思うと、頭が上がらないかも。
そんなことを考えて、焦りから目を逸らす。
☆
緋空ちゃんはどんな子と聞かれれば、寂しがり屋で死にたがりな天使のような女の子と答える
笑顔が可愛らしくて頭もいいし、絵に関しては天才的。
僕の知ってる部分はそこまで。
もちろん知らない部分もある。
例えば……運動はあまり得意じゃないみたい。
「ふふん! 頑張った」
結論から話せば、緋空ちゃんは徒競走では最下位だった。
ただしかしながら彼女は自慢げに、僕に向かって胸を突き出した。
「偉いね。よくがんばりました」
「でも、彩陽ちゃんは遅刻だからね」
バスから降りたら走って学校まで向かった。
緋空ちゃんの勇姿を見ておこうと思ったわけだけど、校門で止められた。
保護者受付というものをしなきゃいけないみたいで、また手間取るかと思えば「赤い髪の彩陽ちゃん」と小学校でも話してるみたいですぐ伝わった。
チェック表には保護者(姉)と記載されている。
佐藤さんが正式には保護者なはずだと思うんだけど……。
とはいえ赤髪が目立ったおかげで徒競走には間に合ったし、目立ったせいで遅れて校庭に入るところを緋空ちゃんにがっつり見つかった。
「あと少しで走っちゃうところだったよ」
待機列に並びながらとても不服そうな顔をしてこちらを見ていたけれど、ありがたいことに徒競走の全力疾走でそれを引きずりはしなかった。
「まぁ遅刻は……色々あったんだよ。うん、ほら、無事に頑張る姿を見れて良かったよ」
見送ってから爆睡したことを誤魔化す。
緋空ちゃんは首を傾げながらこちらを上目遣いで見上げた。
「そうなの? お弁当ある? あと少しでお昼だよ?」
「うん、持ってきてる。だから楽しみにしてて」
「楽しみ!」
周囲の空気が暖かくなるような笑顔をこちらに向けた緋空ちゃんは、また自分の席へ戻って行った。
ツインテールの黒髪をぴょんぴょん揺らしながら。
こうして見ると本当に普通の小学生だ。
逆に僕の方が浮いている。しっかりした緋空ちゃんの保護者の髪型がトマトみたいに真っ赤なんだから。
帽子とか関係なく赤組を表明してしまっている。
3年3組の白水緋空ちゃんは名前の通りの白組なのに。
「……というか」
少しだけ、目についたことがある。
緋空ちゃんは、クラスのスペースの中でも1人ポツンと座っていて、誰とも話していない。
周りから話しかけられるようなことがないのはまぁ……わかるとして、少し避けられてるように見えたのが気になった。
「緋空ちゃん……もしかして」
無視……されてない?
「彩陽ちゃん嫌われてるの? 私と一緒だね!」
その言葉を思い出す。
周囲の子供の緋空ちゃんを見る視線が少しだけ、いやこちらにも突き刺さるほど痛い。
「あの言葉って本当に……」
いやいや、でも仲良いグループの子と違うクラスって可能性も……。
緋空ちゃんは視線に気づいているのかいないのか、それを受け流すように周囲に目を配っては地面を見ていた。
運動会の熱や喧騒の中、彼女の周りだけは冷たく静かな空気が包んでいた。
☆
「これからお昼休みに入ります。体育館を開放しておりますので、お弁当を食べる際にスペースがない場合はご利用ください」
「美味しいねっ!」
「あ、あのさ……聞きたいんだけど」
大変心苦しいことを聞くのだけど、さらに前置きして僕は続けた。
「緋空ちゃんって友達は……いるのかな?」
「……」
おにぎりを片手に押し黙ってしまった
言い方が分からない……けど、間違った……?
いや多分間違った。仲良い子とかいるって聞けばよかったかな?
「あー、えっとね!」
「いないよ」
緋空ちゃんは静かにこちらに見た。
寂しさとか、そんなものは感じさせず、味のない視線だった。
「それは……えっと」
「あのね、パパとママがいなくなってからどうしたら良いか分からなくなっちゃったの」
それは……僕と一緒だった。
僕もどうしたらいいか分からなくて、髪を赤く染めたり……どうにかしようと頑張ってけど、浮いてしまっている。
緋空ちゃんも同じらしい。
高校生なら自分から避けたりしてくれるからマシだけど、小学生はそれで大丈夫なんだろうか
「緋空ちゃんは大丈夫? 何かされてない?」
「悪口とか言われたりするけど、黙ってれば満足してどこかに行っちゃうしからいいの」
物を隠されたり……とかは無いらしい。
ただ周りからは疎まれるような視線を投げつけられている。
「それは……」
言葉に詰まった。
僕ですらどう言ってほしいか分からないのに、かける言葉が見つからない。
あんな視線を学校で日常的に浴びてると思うと、内臓がズレたように胸の奥が落ち着かない。
僕自身が受ける分には耐えられるけど、こんな天使のように穏やかな子が、そうやって爪弾きにされてると思うと耐えられない。
機会を見て転校とかしたほうがいいんじゃ……。
「前はね、色んな子と仲良くできたけど、パパとママがいなくなって上手くできなくて……」
あの事件か。
それを聞いて、なんとなく理由は理解できた。
普段の緋空ちゃんは明るいのに、事件で暗くなったことで浮いてしまったのかも。
そして、まだ子供なクラスメイトは心のバランスを崩していることに気付かず攻撃してしまっているのだろう。
同じようなことを言ってる大人に最近会ったばかりだから、子供ならなおさらそういう傾向が強いのかもしれない。
「そっか……あっ、ほら唐揚げにハンバーグ。リクエストしたもの、いっぱい作ったから」
「うん! 彩陽ちゃんありがとう!」
あんな風に言われた後も緋空ちゃんは元気で、
「良かった、元気はあるみたいだね」
「うん、私は大丈夫だよ! 学校も、嫌なことも、あと少し我慢すれば彩陽ちゃんとずっと一緒だもんね!」
「……あー」
それは……どう受け取るべきなのか。
言い回し的にはやっぱ「あと少しで死ねるから全部楽になる」って意味だよねこれ。
それは、やっぱりダメだよ。
こんな後ろを向いてる前向きさは……肯定できない。
「んふふ〜美味しい!」
「良かった。僕も緋空ちゃんのために生きるの楽しいよ」
生きるのが楽しい。
言葉の後半をボソボソと濁して、わずかな抵抗をしてみせる。
自分の奥の「この子となら死ぬのも悪くないかも……」というモヤモヤに蓋をして。
どんなに笑って、おにぎりを口にして幸せそうにしても彼女はどこか後ろを向いている。
それがあるから、今を生きれる。
あと少しで終わるから、頑張れる。
ダメだ。ダメだダメだダメだ。
死のうとした上に希死念慮を未だに抱えている僕だけど、だからと言って彼女を肯定しちゃダメだ。
僕が手を引いて、生きる道を一緒に歩かなきゃ。
これは僕が生きるためでもあり、緋空ちゃんが生きるためでもあるんだ。
この子の笑顔と、明るい本来の絵を僕は見たい。
「美味しいね。彩陽ちゃん、ありがと……むぐっ」
だから、僕は彼女を抱きしめた。
緋空ちゃん越しに感じる、もういない家族の幻想と共に。
「彩陽ちゃん、力強い……苦しいよ」
「大丈夫だよ。僕はずっとそばにいるから」
こういう言い方しか今は出来ない。
でも少しでも貴方は1人じゃないって言いたい。
僕は1人じゃないと感じたい。
暗い夜の三瀬川で水遊びをする彼女の手を引っ張って、ゆっくりと気付かないうちにこちらへ。
それは川を渡ろうとした僕にしか出来ないんだ。
「うん……ありがと、彩陽ちゃん優しくて大好き」
頭を撫でる。
優しく、僕の体温が伝わるように。
僕から緋空ちゃんへの愛情が伝わるように撫でると、ふふッと身体が揺れて彼女の吐息が肩にかかった。
「彩陽ちゃん、ママみたいだね。優しい匂い」




