第二十五話 ブラストショック
アイスマンの試合映像を見終えた僕たちは、ハチローさんの提案でアルグジムにて練習を開始することになった。
「接近戦に穴あり、か」
僕はハチローが言っていた言葉を思い出す。
『それがヤツの、接近戦での弱点だからだ』
「つまり、接近戦に持ち込むまでの流れが必要ってことだもんな」
僕はバンテージ装着用マシンに手をかざしながら、フラッガの弱点を一つひとつ頭の中で整理していた。
やがてハチローがリングインし、僕もその後に続いてリングへ足を踏み入れる。
「リガ。これからフラッガ戦を想定したパーリングと、そこからの試合運びを練習する。
だが正直、ここから先はほとんど粗削りだ。
フラッガのような試合巧者が相手となれば、かなり厳しい試合になる」
「だろうね」
「そこで一つ提案だ。
お前、必殺技を作る気はないか?」
僕の心臓がビクッと跳ねた。
「必殺技?」
「ああ。
本来はど素人なんぞにやらせたい練習ではない。
だが時間がない。
ある程度スパーを重ねて、巧いヤツとの技量差くらいは見えただろ」
「ああ」
「その差を埋めるため、今回に限って特別に技を授けてやる」
「ふーん」
平静を装って返事をしたものの、胸の高鳴りはまるで収まらなかった。
僕はなんとなく、ハチローが教えようとしているパンチに見当がついていた。
「左フックか?」
「正解だ。
正確には左フックを決めるための右アッパーも会得する必要がある」
「右アッパーも?」
「順を追って説明する」
ハチローは対フラッガ戦を想定したプランを口にし始めた。
「まず一つ目。
ジャブ合戦で布石を打つ」
「布石?」
「まともにやり合えば勝ち目がないどころか、試合そのものが一方的になる。
それを避けるため、序盤はフラッガとのジャブ合戦に応じるんだ」
「ほうほう」
「二つ目。
ジャブ合戦の後に来る猛攻を、死に物狂いで回避しろ」
「死に物狂いで?」
ハチローの表情が徐々に引き締まっていく。
「理由はちゃんと後で話す。
最後だ──」
ハチローは勢いよく指を一本立てた。
「お前に授ける必殺技で、一発逆転を狙え。
ここが一番の勝負どころだ……!」
気付けばハチローは鬼神の如き形相で、僕を圧倒するように話していた。
「お、おお……!
とりあえず、一つずつ順番に聞いていきたいな」
ハチローは深く息を吐くと、先ほど話した三つの戦略について説明を始めた。
「まず第一に、お前とフラッガの能力には明確な隔たりがある。
それはわかるな?」
「ま、そのくらいはバカでもわかるよ」
僕はわざと軽口を返した。
「わかってるならいい。
このフラッガという選手、間違いなくお前との技量差を利用してくる。
要は純粋な技術戦だ。
ヤツとまともに打ち合えば、お前はどう足掻いても勝機を得られない」
ハチローは静かにため息をついた。
「だから、お前のやることは単純だ。
ヤツの戦いに付き合わないこと。
そして、最大の隙ができるよう相手を誘導することだ」
「誘導って、簡単に言ってくれるな」
僕は苦笑いを浮かべた。
「正直なところ、ほぼ素人のお前がプロの技術を持つ者に勝てる可能性は限りなく低い。
もう、なりふり構ってられないんだ」
そう言うと、ハチローは壁際に置いてあったミットを手に取り、静かに構えた。
「男なら腹を括れ、リガ」
「了解」
僕はグローブを装備すると、ハチローのミットへ拳を力強く叩き込んだ。
「で、具体的にどうすればいいんだ?
ただ練習してたって──オラッ!
勝てるわけじゃねえだろ……!」
僕は拳を振るいながら問いかける。
「今はウォーミングアップに集中しろ。
体が温まり次第、教えてやる」
「へいへい」
ミット打ちを終えた後、僕は全力でシャドーを繰り返した。
体が程よく温まったところで、ハチローが口を開く。
「お前は案外、一度覚えた動きをモノにするのがうまい」
「そうか?」
「それは間違いなく、お前の素質の一つだろう。
そんなお前だからこそ、今回は特別に教えてやる」
ハチローは片方のグローブをゆっくりとはめた。
「俺の現役時代の技──『ブラストショック』をな」
ハチローは「手本を見せてやる」と言わんばかりに、右拳を顎へ装填し僕を見据えた。
次の瞬間だった。
一気に間合いを詰めるや否や、屈みながら右足と左足をキュッとスイッチさせる。
そのまま懐へ潜り込み、僕の頬寸前で高速の左フックを止めた。
「はっや!?」
僕は遅れて身構える。
直後、ハチローの額からドッと汗が噴き出した。
「ふぅ……。
さすがに現役時代とまではいかないか。
衰えたもんだな、俺も」
「今のがブラストショックか?」
ハチローは一息つき、乱れた呼吸を整えてから答えた。
「ああ。
交互に足をスイッチしながらダッキングで相手の懐まで潜る。
そこから左足で位置を調整し、上体を起こす勢いを利用して最短最速で左フックを叩き込む。
相手がパンチを放ってくる最中なら、そのままカウンターとしても機能する」
ハチローは深く息を吐き、額の汗を腕で拭った。
「ふぅ……。
この技のポイントはなんだと思う?」
「……相手の攻撃に合わせることか?」
「半分正解だ」
ハチローは静かに首を横へ振る。
「重要なのは、ヤツに『もう読めた』と思わせることだ」
「読めた?」
「ああ。
お前は試合中、フラッガの猛攻を死に物狂いで回避する。
それを続ければ、ヤツはこう考える。
『技術では何も返せない』
『逃げることしかできない素人だ』とな」
ハチローはゆっくりと左拳を握った。
「そう思わせたまま、攻め続けさせる。
そして『このまま押し切れる』と確信した、その瞬間──」
ハチローはわずかに腰を落とす。
「予想外のダッキングで懐へ潜り込む。
左足で位置を合わせる。
そして起き上がりざまにブラストショックを叩き込む。
ヤツが組み立てた試合の流れごと、この一発でぶち壊すんだ」
ハチローはそう言うと、小さく笑みを浮かべた。




