第二十四話 ポジショニング
アノーラと拳を交えた翌日のこと。
僕はハチローの別荘を訪れ、『“アイスマン”ことフラッガ』の試合映像を確認していた。
『アイスマンのアイスジャブが炸裂ぅうう!!!
フラッガ選手、主導権を譲らないいい!!!』
実況席から響く声を聞きながら、
僕はフラッガの動きを分析する。
「特段速くはないね。
それに相手の動きも悪いみたいだし」
「なぜ悪いと思う?」
ハチローは映像から目を離さないまま、
僕に問いかけた。
「??
コンディションの問題か?」
「違う。
これがアイスマンの技術だ」
「技術?」
ハチローは険しい表情のまま、
僕へと視線を移す。
「アイスジャブ。
芯打ちと呼ばれる技術を用いた特殊なジャブだ。
これが相手の神経を麻痺させ、
身体を硬直させてるんだ」
「そんな技があるのか……!?」
さすがに予想外の答えに、
僕は思わず目を丸くした。
「会得難易度はかなり高いがね。
だが彼はそれをものにし、
これまで何度も対戦相手を苦しめてきた」
「なるほど。
それがアイスマンの由来ってわけか」
僕は再び映像へ視線を向ける。
『おおっと!!!
フラッガ選手、またもや相手のまぶたをカットした!!!
ブレッドカット炸裂だぁあああ!!!』
ハチローは画面に映るフラッガを鋭く見据えた。
「そうだった。
一番肝心なことを忘れていた」
「肝心なのって?」
「ブレッドカット――
まるでパンを切るように、
相手の皮膚をサクッと切り裂く特殊なパンチだ」
「皮膚を、切り裂くぅ!?」
「通称”カッターパンチ”。
アイスマンのそれは、この技の応用だ」
僕はその技を注視しながら口を開く。
「グローブに細工とかが……」
「されてねえよ。
バカな発言をするな、リガ」
ハチローは厳しく僕を一喝した。
「うーん。
そうなるとかなり厄介だな。
まぶたから上を狙われたら、
血で視界を塞がれかねない」
「そうだ。
だからこそ、
このパンチを迂闊にもらうわけにはいかない」
ハチローは一杯のコーヒーを口に含み、
カップをテーブルへ置いた。
何かを考え込むように、
顎へ手を添える。
「リガ。
お前目線、
この男に通じるキーパンチ、
つまり有効打になりうるパンチは見つかったか?」
「皆無だよ。
わかるわけねえだろ、
ハチローさん」
僕は即答した。
「そうだな。
実は一つ、
お前にピッタリのパンチがある」
「ピッタリのパンチ?」
「左フックだ」
「フラッガの攻撃はジャブ主体だ。
ジャブで相手の動きを封じ、
選択肢を奪う。
いわば塩漬けの戦法に長けている。
一方で、
お前は付け焼き刃だが、
ガードを固めてから攻撃へ移るのが
そこそこうまい。
これはお前の大きな武器の一つになる」
「その割にはスパーでよくボコされてるけどな」
僕は半ば冗談交じりに笑った。
「そんなものは今だけだ。
基礎を身につければ、
お前は次第に誰の目から見ても
厄介な選手になれる。
そういうポテンシャルは秘めている。
これはむしろ、
有効に使うべき強みだ」
「強みねえ……」
なんとなく褒められている気がしなかった僕は、
再び動画へ視線を移した。
「相手はジャブ主体。
お前はガード中心の受け主体。
それらの強みを最大限活かす戦法に必要なのは、
ほぼ間違いなく左フックだ」
「なぜ左フックなんだ?」
ハチローは伸びをしながら凝った背中をほぐした。
「まずは基本を知るべきだな」
そう言うと席を立ち、
白い板と黒いペンをテーブルへ置く。
「いいか。
まず、お前はサウスポー、左構え。
そして相手のフラッガは右構えだ。
この時、
お前と対戦相手は
有利なポジションを取り合う関係にある」
ハチローは円形の磁石を六個取り出すと、
僕とフラッガの位置関係について
レクチャーを始めた。
「まず原則として、
ファイターは真正面から殴れる位置を
取らなければならない。
これはわかるか?」
「?
ああ、
まあなんとなくは」
「ここに一選手三つずつ、
磁石を配置している。
中央が頭。
横二つが両拳だ。
これを使うとわかりやすいんだが……」
そう言いながら、
ハチローは磁石の配置をわずかに変えた。
「この配置。
相手の真正面から少し外れ、
逆に自分の真正面へ相手を捉えている状態。
これが現状、
ベストなポジション取りだと言われている」
「つまり、どういうことだ?」
ハチローは少し笑みを浮かべた。
「相手をより一方的に攻撃するための位置取りだ」
僕はその図を見て、
はじめてポジショニングの重要性、
その一端を知った。
「そういうことか。
つまりこの位置取りは、
自分のやりたいことをやりながら、
相手のやりたいことをやらせない。
そういう位置を取るって意味なんだな」
僕はそれを言葉にしながら、
ポジショニングの重要性を噛み砕き、
ゆっくりと飲み込んだ。
「……!」
ハチローは目を丸くした。
「驚いた。
お前、
案外賢いんだな」
「賢い?
何が?」
「さすがというべきなのか。
頭ではわかっていても、
それを言葉にできないプロやコーチは
それなりにいる。
それをこうもあっさり言語化するとは。
やはりお前、
素質あるかもだな」
ハチローは自然と笑みを浮かべた。
「あまり変に褒めるなよ。
で、
本題は左フックについてだろ。
どうして左フックが重要なんだよ?」
僕は話を本題へ戻すように、
ハチローへ問いかけた。
ハチローは一瞬だけ考え込み、
静かに答えた。
「簡単だ。
それがヤツの、
接近戦での弱点だからだ」
そう言うと、
ハチローはゆっくりと映像の電源を落とした。




