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NEU BOXER  作者: 乙籠一
22/26

第二十二話 技術の壁


翌朝。


昨日の疲れを身体中に引きずりながら、僕は地下鉄でスナガ駅へ向かっていた。


「まさか、こんなに早く二度目が来るとはな……」


次の試合までは定期的にバロットジムへ通い、実戦形式の練習を積む。


昨日、ハチローさんはそう言っていた。


思わず欠伸が漏れる。


その一方で、視線は自然と車内を見渡していた。


スラム育ちの癖は、そう簡単には抜けない。


(ハチローさんは、もう着いてるんだっけ)


左拳を握る。


一昨日、ラウズに何度も叩き潰された拳だった。


(次は勝ちてぇ……)


そう思う。


だが、


(一日や二日で……ラウズは超えられねぇ)


その現実だけは嫌というほど分かっていた。


地下鉄は揺れ続ける。


考え事をしているうちに、車内アナウンスが流れた。


『まもなく、スナガ。スナガです』


気付けば目的地へ着いていた。



駅を出る。


人混みを抜けた先に、巨大な建物が姿を現す。


バロットジム。


初めて足を踏み入れたあの日、僕は完膚なきまでに叩きのめされた。


「よし。」


「やるか。」


小さく気合いを入れ、扉を開く。


熱気が一気に押し寄せる。


サンドバッグを打つ音。


リングを叩く足音。


選手たちの怒号。


一昨日と変わらない空気だった。


「おっ、来たか!」


真っ先に駆け寄ってきたのはハチローだった。


「ハチローさん。」


「早速で悪いが、さっさと着替えてこい。」


「もう練習か?」


「ああ。」


ハチローは短く頷く。


「今日はお前にコーチがつく。」


「コーチ?」


「特別だ。」


それだけ言うと、ハチローはリングへ向かって歩いていった。


「……?」


理由も分からないまま更衣室で着替えを済ませる。


そしてリングへ戻った、その時だった。


僕の前に、一人の男が立っていた。


見覚えがある。


忘れるはずがない。


昨日、僕を完膚なきまでに叩きのめした男。


ラウズだった。


「よう、小僧。」


低く落ち着いた声。


「元気そうだな。」


「ラ、ラウズ……!」


ラウズはじろりと僕を見る。


「“さん”を付けろ。」


短く言い放つ。


「今日からお前の技術指導を任された。」


一歩近づく。


「よろしくな。」


僕はいつでも動けるよう全身に力を張り巡らせ、ラウズを鋭く睨みつけていた。


「そう睨むな、リングチャンピオン。お前にぴったりの練習相手を連れてきた」


ラウズはそう言うと、リングの外へ視線を向けた。


その先から、一人の女性が静かにリングへ上がってくる。


宝石の散りばめられたティアラを身につけたその姿には、どこか気品が漂っていた。


「紹介しよう。ジェムファイトのリングクイーン、『アノーラ・メヌスェン』だ」


「女だと?」


僕はアノーラを鋭く見据える。


「どこが僕にぴったりなんだ?」


「今に分かる」


ラウズはそれだけ言い残すと、無表情のままリング中央を後にした。



「ハチローさん、ジェムファイトって何だ?」


「知らねぇのか。やれやれ……」


ハチローは呆れたようにため息をつく。


「ジェムファイトってのは、女性ニューボクサーたちが競う大会だ。このアノーラはそこで結果を残してる技巧派の選手でな。手数と組み立ての巧さには定評がある」


「なるほど、実績はあるのか」


僕は鼻を鳴らした。


「けど、僕には勝てないだろ」


しかし、ハチローは眉をひそめる。


「侮るな。今のお前じゃ、いなされるぞ」


その一言には妙な重みがあった。


僕はハチローの表情がわずかに強張ったことを見逃さなかった。


僕とアノーラを残し、他の者たちはリングを降りていく。


リングに静寂が訪れる。


僕はアノーラの一挙手一投足を目で追っていた。


無駄のない立ち姿。


呼吸。


歩幅。


その何気ない所作の一つひとつが、不思議と目を引く。


(なんだ、こいつ……?)


(今までのニューボクサーと違う……?)


そしてブザーが鳴る。


僕とアノーラが向かい合う。


軽く頬を払われたような感覚。


「うぐっ!」


遅れて衝撃が走る。


僕は弾かれた顔を戻す。


(……今のは?)


そう思った時には、アノーラはすでに僕の懐へ入り込んでいた。


「ぐうっ!」


右アッパーが顎を正確に突き上げる。


(速い……)


(いや、違う……)


(目で追えないんじゃない)


(動きに無駄がなさすぎる……!)


僕は即座に左ストレートを放つ。


しかし、アノーラは紙一重でかわす。


(パンチ一つひとつは重くない。


けど——)


(全ての動きが正確で、パンチが当たらない……!)


僕は正面からの攻防では分が悪いと瞬時に判断した。


だからこそ、あえてガードを固める。


まずは受ける。


相手の癖を見極める。


「聞いていた通り、手詰まりだと亀になるようね」


アノーラは両肘を締めると、淀みなく拳を打ち込み始めた。


ガードの上から、小刻みな衝撃が次々と伝わる。


(やはり弱点はパンチ力だな)


僕は静かに機をうかがう。


そして、上体を捻りながら右手でアノーラの左ジャブを弾いた。


「!」


「隙だらけだぜ」


僕は右ストレートを屈んでかわし、その勢いのまま左フックをこめかみへ振り抜く。


(決まる……!)


そう確信した。


決められると確信していた。


しかし。


アノーラはわずかに上体を引くだけで僕のフックを外す。


そして、前のめりになった僕の右こめかみへ、丁寧に左フックを添えていた。


(なっ……!?)


僕の身体がぐらりと揺れる。


体勢を崩しながらも、僕は必死にアノーラを目で追った。


僕はこの時、初めて体験した。


ニューボクシングの『技術の壁』を。


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