20話 ボクはシロン
「――はい……はい、そうです。ボクが知っているのはそこまでです」
「うむ、よく分かった。協力に感謝しよう」
療養室前の廊下にて。
無造作に置かれた二つの椅子が、何とも言えない寂しさを醸し出していた。そこには先程までシロンとアークトゥルスが座っていたので、まだ少しばかり熱を保っていたが。
「中にいる二人に見舞いをするかどうかは君の好きにしたまえ。儂は局長室におるから、追加で思い出したことがあれば連絡せい」
「分かりました。それでは――」
シロンは軽く会釈をした。
しばらく床に視線をやって、敬意を示すだけなら必要ないくらい長く俯いていた。そして、顔を上げた時には局長の背中は遠いところにあった。
足音が全く聞こえなかったので局長が遠ざかっていたことに気付けなかったのか、それとも知らず知らずの内に考え込んでしまっていたのか。
シロン自身もよく分からなかった。
「はぁ……」
時間とは残酷なもので、このように何気なく暇をやり過ごしている間も、我々の意図を介さず遠慮なく過ぎ去る。
それは忙しい時分も然り。
時間は何よりも重く、何よりも価値があると心の底で理解している。
しかし、明晰な知能を持ち合わせたヒトである以上、意味のない『遊び』が恋しくなる。何にも縛られないような解放された時間が。
そう、人間ならではの悩みというヤツが、彼女の脳内を満たしていたのだ。
「――失礼します」
散々足踏みをした挙げ句、シロンは慎重に療養室へ入った。ゲミンガたちを起こさぬように。
これはどうでもいい時間。
ちなみに見舞いは大切だ。
それはどうでもよくない時間。
「お久しぶりです……って、寝てますよね」
結局やるかやらないかなんて、自分が一番よく分かっている。ただ気分が乗らないだけ。
飛び出すこと自体は簡単なのに。
「ええと……何を話そう……」
つまりは恐怖からの逃げだ。
何もかもから逃げたいという願望が、書き表すまでもなく表面に滲み出している。
今のシロンがそうだ。
(あ……スピカさんの顔が見られる……)
誰にも言えなかった悩みだが、実はシロンは逃げたがっているのだ。
この世界のあらゆる事柄から逃げることで、幸せになりたいと望んでいるのだ。幸せとは解放。
彼女は解放されたがっているのだ。
「……綺麗」
ふと彼女は、ゲミンガたちのベッドの脇に視線を向けてみた。そこには緑色の光を纏ったガラスの小瓶がちょこんと佇んでいた。
無機物の癖に生物みたいな存在感を溢れさせていたので、誰が置いていった物かすぐに判別できた。
「イオ君だ……いや、ダメ……ボクはイオ君のことを考えちゃダメなんだよ……」
シロンは、興奮する自分を落ち着かせるようにそたっと言い聞かせた。
その理由は明白。逃避行の障害になるからだ。
あの少年の顔を思い出す度に、共に過ごした時間が鎖のように連なって体に巻き付いてくる。
時間、束縛、どちらも不愉快なものだ。
「ふぅ……」
大きくため息をして、シロンは決心を固めた。
生まれ育った境遇、共に歩んだ仲間、それらを取り囲む世界。その全てに別れを告げると。




