16話 塵芥
湿気のないカラッとした暖かい風が、男女の間をすり抜けるように吹いていた。
ここはリブラ魔法管理局の屋上。
数ヶ月前にイオが初めてブラキウムに襲われた場所であり、今はシロンの憩いの場でもある。
眩しい日光が彼女の姿を照らし出していた。
「――休憩、ね」
「どこか変かな?」
シロンは日向ぼっこでもしているのだろうか。
それにしては、彼女が纏っている雰囲気が随分と暗いような印象を受けるが。
そんな少女の心の内を察してか、イオは要件を伝えることをせず、静かに隣に寝転がった。
「疲れてんのか? 昨日から変だぞ」
「気にしないで……って、まさかとは思うけど『耳』でボクの心の声を聞いてたりしてないよね?」
「いや、聞く訳ないだろ。どんだけデリカシーないヤツだと思われてんだ俺は」
「ふふふっ、それならいい」
彼女は笑って見せたつもりなのだろうが、口元は全く笑っていなかった。ふふふ、と意味を為さない文字列を吐き出しただけに終わったのだった。
そんな彼女の応答を最後に、二人の間から会話が消え去った。
イオとしては、シロン自らが胸の内の悩みを告白することに意義を感じるのだが、どれだけ待っても彼女の口が開かれることはなかった。
よっぽど話したくないらしい。
「シロンって、今どこを見てんの? ずっと寝転がって空を見てるだろ」
「どこって……空だよ」
「だから、空のどこ?」
「んー……強いて言うなら太陽以外かな。太陽は眩しすぎて、そこにあるだけで苦痛だからね」
「……そっか」
現在の天気は快晴。
一点の曇りもない青空が、視界の端から端まで一杯に広がっている。そう、彼らは屋上に寝転がっているので、まるで空に包まれているかのような感覚を味わえたのだ。
ここでイオは、とある話題を持ち出した。
「俺は月を見てるよ。いや、見てると言うか場所を予想してるだけだけどな」
「え? 月なんてどこにもないけど」
シロンは驚いた様子でイオの顔を見て、空の隅から隅まで見渡した後、またイオの顔を見た。
彼は、にやけ面でシロンを見返した。
「実はあるんだ。太陽が眩しすぎて見えないけど」
「ど、どの辺!?」
「その辺……ほら」
イオはシロンに分かりやすく説明するために、彼女と肩をくっ付け合った。そして、そのまま腕を地面と垂直に立てて月がある場所を指差した。
それから何とも面白いことに、シロンはイオの腕にナメクジみたいに引っ付いて、血眼になって空を睨み付けていた。
どれだけ睨んでも、そこに月はないのに。
「俺の話をちゃんと聞いてたか? 見えないって言ったばかりだろ」
「でもあるんだよね!?」
「あるけど見えないんだよ」
「……そうなんだ」
そこでようやくイオの言わんとすることを理解したのか、シロンは残念そうに肩を落として元いた位置に寝転がったのだった。
彼女の瞳はどこか寂しそうだったが、一々イオが慰める訳にもいかない。
見えないものは見えない。それが現実なのだ。
「――ねぇ、どのくらい高い山に登れば見える?」
「まだ諦めてなかったのか」
「答えてよ。どのくら――」
「山に登ったくらいじゃ絶対に見えないぞ」
「え? どうして?」
「どうしてって……まさか」
イオはシロンとの会話であることに気付いた。
そうだ、そもそもここは異世界だった。
もしかすると元の世界で当たり前だったことが、こちらでは知られていない事実だったりするのではないだろうか。
そう思い立ち、近くに置かれていた白のブロックをチョーク代わりに手に取った。
「……? 何を描いてるの?」
「なあ、シロン、夜空の星がどれだけ遠くにあるか分かるか?」
「雲の上のもっと上。小さい頃に本で読んだよ。風魔法で空高く飛んだ魔法使いでも、お星様には届かなかったって」
「ははっ……そうかよ。実はな『もっと上』どころの話じゃないんだぞ。これを見てくれ」
イオが屋上の床に描いたのは、地球と月と太陽の位置関係を簡単に表した図だった。
それらが異世界の天体を説明できるか定かではないが、温度環境やら日照時間、更にはカレンダーの仕組みなどから鑑みるに、ここは地球とほぼ同じ条件の星だと思ったので、彼は太陽系を描き表した。
シロンは不思議そうに覗き込んでいる。
「これが俺たちの星。これが月。これが太陽だ」
「……? え? どういうこと?」
「そして、俺たちが普段見ている夜空の星ってのは――」
イオはおもむろに立ち上がって、遠く離れた場所に白い線を描いた。
彼はアルファ・ケンタウリやオールトの雲を知っておらず、おおよその距離感しか知らなかったが、それでも十分な遠さを表現できたと感じた。
少なくとも、そこにいたシロンを絶望させるのには十分だった。
「――見てみろ。この辺から向こう側にあるんだ」
「う、えぇ……? 本当に……?」
シロンは、目を白黒させた。
にわかには信じられないだろうが、たった数百年前に生きていた地球人も似たような認識だったので理解が及ばないのも無理はない。
当時の人類は地球を平面として、星々が地球を中心に回っていたと考えていたし、宗教的な観点から見てもそのような解釈は珍しくなかった。
元の世界とは違って、この異世界には風魔法で空を移動する手段があるので、地球が球体であること自体は知られている模様。
しかし、天文学や物理学は未発達なのか、宇宙に関する知識は欠如しているらしかった。
それがシロンの反応にも確かに表れていた。
「宇宙っていう暗い空間に、俺たちの星がポツンと浮かんでて、そこにいる塵みたいなのが俺たち」
「ボクたち塵なの!?」
「時間的にも空間的にも、広く見ればな。
だから、悩みなんて忘れろよ……なんて勝手なことは言えないし、シロンにとって重大な悩みってのは薄々分かってる。最近は明らかに様子が変だったしな。
それでもな、俺たちは宇宙から見たら本っっっ当にちっぽけな存在なんだ。あってもなくても変わらないような、それこそ零に限りなく近いものだ。そう考えたら一時的かも知れないけど悩みは忘れられるぜ」
「そっか……あってもなくても変わらない……塵みたいなもの……」
「俺が言いたいのは『卑屈になれ』ってことじゃなくて……まあ、とにかくスッキリしただろ?」
イオは、立ち上がって背中を伸ばした。そのままシロンを見下ろすようして返答を待った。
彼が一番待ち望んでいるのは、彼女の完全復活だからだ。これまでのように塞ぎ込んでいては、こちらまで暗い気分になってしまうし。
「――ありがとう、色んなことを教えてくれて」
「そうか」
「何だか体が軽くなったかも。助かったよ」
シロンはそう言って、ニッコリと儚げな笑みを浮かべて見せた。
先程のぎこちない笑顔とは打って変わって、それは野に咲き誇る大輪の花のような印象の、彼女の心の底から出てきた笑顔だった。




