Fata Morgana
どこからともなく、微かな歌が聞こえていた。
幻聴などではなく、それは確かに旋律を伴った、はっきりとした、ソプラノの女性の歌声だった。
限りなく透明なのに、悲しい旋律。
讃美歌にも似た、祈りの歌。
だけど、私の中の記憶を揺さぶる、子守唄のような懐かしく優しい歌----。
これは、もう二度と会えない誰かに届けようとする歌だ。
幾つもの時代と、幾つもの世界を放浪してきた者だけに歌える鎮魂の歌----。
涙が自然に頬を濡らしていた。
ああ、これはご主人様の歌う遠い惑星の歌だ。
ご主人様の名前は----確か、モルガナだった。
モルガナ----それは海から来た女神を表す名前。
蜃気楼(Fata Morgana)を意味する名前。
幻を表す名前。
(思い出した……)
モルガナという名のはじまりの魔女など、始めから存在してはいなかった。
それは魔女達の死への希望から生まれた幻。
魔女達の『力』への渇望から出た望み。
魔女達の深い絶望から産みだされた----美しきレヴィアタン。
魔女達の集団的無意識が作り上げた、実在しないはずの魔女の女王----それがモルガナという実体を持ち、私を護り続けてきたのだ。
そのモルガナを、メリッサは己の全ての力を使い、自分の中に封印した。
更にその上から神罰の代行者として法王庁最後の封印、拘束特別術式NRVNQSRの拘束を自ら受けながら数百年間戦ってきたのだ。
(そう、これが、もう一つのモルガナの世界なんだ……)
今私が見ている世界は、モルガナがラボで再生したあの日の惨状とは、正反対の美しさだった。
淋しさ。
切なさ。
懐かしさ。
安堵。
安らぎ。
世界の全てに対する愛おしさ----。
雪のように舞い散る純白の花弁が、私に振り積もっている。
星の巫女達が人々から吸い上げ、濃縮して己ごと結晶にした『悪意』を全て引き受け、世界に戻す事で、モルガナは銀河系のバランスを自然に返しているのだ。
あまりにも孤独で、危うい作業----。
グラン・ルーメと呼ばれ、叡智の化身として崇められながらも、宇宙の崩壊すらさせかねない危険な存在。
「モルガナ……ううん、メリッサ……貴女が本当は誰かだなんて、もういいの」
モルガナの黒化が、ゆっくりと解けていくのが分かる。
もう、ベルリンのあの永遠の4月29日は終わっただろう。
そして、この世界の歴史は、何も変わらなかっただろう。
それでも、魔女達の魂は救われ、普通の少女としてそれぞれの人生を全うした。
私だけが、それを知っている。
「メリッサ……帰ろう」
歌が、止んだ。
「やっぱり、私のご主人様は、メリッサ……貴女だけしかいないの」
舞い落ちる白い花弁の中に、一枚だけ青いビロードのような花弁が落ちて来た。
私は両手でそれを受け止める。
「私は、最後の一瞬まで貴女の側にいたい」
青い薔薇の花弁を、私はしばらく見詰め、そっと掌から吹き飛ばした。
「私は、この惑星で生きていく……だから、貴女も一緒にこの不完全で不条理な惑星で一緒に生きて欲しい……!」
私がそう叫んだ途端、白い光の中から私に向かって細い腕が伸びてきて、私は力の限りそれを掴んだ----。




