細胞記憶
「マキナの記憶がどうして貴女に入ったのかは、正直言うと、はっきりとは分からないのよ」
でも、とメリッサは言葉を続ける。
「今まで私達人間については、記憶や学習を担うのは大脳皮質や海馬であり、『心』についても脳の機能が全て行っていると考えられてきてたわよね……」
「確かに……言われてみれば、魔女の灰を採取する時も、脳の灰が含まれているかが一番大事だったもの」
「でも、20年以上前に、その常識がゆらぐ論文が発表されたのよねぇ……」
メリッサが少し遠い目になった。
あぁ、そういえば、メリッサといっしょに定期メンテナンスを受けてる時に、ラボのスタッフ同士の会話でそんな話を耳にしたたかもしれない。
「んーと、それって、心臓移植後にレシピエントの人格、嗜好、行動がドナーと類似する変化を示す症例について、だっけ……」
「そう……だけどそれまでの医学界では、その
説はかなり異端視されてたわ」
はっきりした内容は覚えていないが、米国内の複数の病院で、脳ではなく、心臓のみ、あるいは心肺移植を受けた男女10名のレシピエントの人格や好みが移植前と変化した、というものだ。
「例えば、移植を受けた18歳の女性ドナーが、同い年のドナーが作曲してよく歌っていた歌を突然ギターで弾き始めた、とか、クラシックに興味のなかった男性が、バイオリンケースを抱いたまま交通事故にあったドナーが好きだったクラシックを急に聴き始めた、とか……他にも殺人事件で亡くなったドナーから移植を受けた人が顔も知らないはずの狙撃犯人の似顔絵を正確に書いた、とか……だっけ?」
「うん、これらの事例は、要するに、記憶は脳だけにではなく全身の器官……ひいては細胞の一つ一つに宿っている、という理論の裏付けとして主張されてるの」
「つまり、私達人間には心臓以外にも記憶を持つ部分があるという事?」
自分ではよく分からない。
でも、何かを触った時、何かを食べた時……記憶にはないけれど、何かを思い出しそうになる瞬間は、確かにある。
「……この論文の発表者らは「細胞記憶(cellular memory)」あるいは「全身的記憶(systemic memory)」の仮説に基づく解釈を提案しているわ」
そこでメリッサは話を終える。
「細胞全体に記憶があるのかぁ……なら、血液にもあるわよね」
「そうね。血液にも、唾液にも」
そう言われて、私はメリッサの唇の感触を不意に思い出して真っ赤になってしまった。
「……どうしたのアイリス?なんか顔が熱いけど……?」
あえて理由を分かってて言っているのか?
ちょっと意地悪そうな声は、分かってて言ってるのかもしれない。
「なんでもない……そ、そういえば他にも近年の研究では、心臓移植に限らず、他の臓器移植後にも、レシピエントが性格や嗜好の変化を経験することが報告されてるんじゃなかった?」
例えば、2024年に発表された研究では、心臓移植レシピエントの91.3%、他の臓器移植レシピエントの87.5%が移植後に何らかの性格変化を報告している。
これらの変化には、食の好み、感情、宗教的信念、記憶などが含まれており、医療行為による他者との融合は、心臓移植に特有の現象ではない可能性が示唆されているのだ。
「そうやって考えると、記憶っていうのは、単に『脳に保存されたデータ』ではなく、身体全体に刻まれた生命の軌跡そのもの、なのかもしれない わね……」
「……でも、その事と私の中にあるマキナの記憶がどう関係しているの……?」
ふむ、とメリッサは私の唇に人差し指を当てた。
「ここからは私の完全な推測なんだけど……マキナの『心』や『記憶』は、並列化するたびにキュアノス以外の惑星のクローンにも同じモノが蓄積られていたのよね……そして勿論、このアトランティスに設置されたクローンにもオリジナルは自分の『心』や『記憶』を少しずつ紛れ込ませていた……」
「人間の身体のように?」
話を聞いているうちに、私はなんだかマキナを単なる機械とは思えなくなってきていた。
(マキナはマキナなりに、自分の大事な感情を奪われないように、必死に頑張っていたんだ……)
人間よりも人間らしい機械。
惑星機構のためなら星一つ見捨てる事のできる機械----どちらも多分、本当のマキナなのだ。
「マキナが貴女に入ったのは、恐らく最初に惑星監督官の就任式が行われた時……アトランティスの火山の噴火で、私達もマキナのクローンも全て灰になった時だと思う」
「それが私……私の灰に紛れ込んだって事?」
メリッサはゆっくり頷く。
「貴女を選んだ理由は幾つか考えられるけど……
マキナは意思を持って、あえて貴女に入り込んだんと思う」
「そうは言われても、この私がマキナの大切な人生の断片を託せるほどの人間とは思えないけど……」
メリッサは笑う。
「そういうところが選ばれたんじゃないかな?」
「……いや、分からないんだけど……でも……」
もう明らかに酸素が足りなくなってきている。
それでも、私達は話すのをやめようとはしなかった。
「思うに、多分ね……マキナは…どうしてもメリッサの側にいたかったんだと思う」
「……ホントにそう思う?」
返事の代わりに私はメリッサを力いっぱい抱き締めた。
「これが私の気持ちなのかマキナの気持ちなのかわ分からないけど、私はこれからもメリッサと一緒にいたい」
「……私もだよ」
これまでに経験したことのないような揺れが、私達をこれでもかとゆさぶる。
熱はまだ感じない。
だが、カプセルの外はもう一面の火の海かも知れない。
ピシリ……パキ……ッ、と微かな音が耳に届く。
私達は、どちらからともなく抱き合う腕に一層の力を込めた。




