第十一部 パラドックスを超えて
「親殺しのパラドックス」
この言葉は聞いた事がなくても、「ある人が時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺してしまったらどうなるか」というような論争なら、知っている人は多いだろう。
これの答えは、「その時間旅行者の両親のどちらかが生まれてこない事になり、結果として本人も生まれてこない事になる。従って、存在しない者が時間を遡る旅行も不可能であり、祖父を殺せないため、祖父は死なずに祖母と出会う。すると、やはり彼は過去に遡り、祖父を殺す」の一つしかない。
これが俗に言う「親殺しのパラドックス」だ。
同じように、「過去に戻って生まれたばかりの自分を殺す」autoinfanticideというパラドックスもある。
これらのパラドックスは、未来へ行く事は可能だが、過去へと逆行する事は不可能だ、とする証拠として使われてきた。
だが、本当に過去へ遡る手段はないのだろうか?
僕はこうしたパラドックスの壁の上で、永い間考え続けてきた。
まず、未来へ行くのが可能だというのは、既に相対性理論で説明がされている。
光速度不変の原理というものがある。
これは、どこから観測しても光の速さは一定である、という原理だ。
ちなみに光速度は秒速30万キロで、時間と空間は繋がっていて、これがいわゆる時空である。
この光速度に近づいた場合でも、光は止まっては見えずに、僕から秒速30万キロで進んでいる。
では、どうすれば僕は未来へと行けるのか?
答えは時間だ。
もし僕が光速度に近い速さで宇宙に1年滞在した後で地球に帰還すると、僕は1年後の地球ではなく、もっと先の未来の地球に帰還した事になる。
このような状況であれば、未来に行くのは理論上は可能----という事である。
まあ、片道切符で構わないのであれば、という註釈付きだが。
しかし、僕には過去へと行く手段がある。
そう、このカラビ・ヤウの森がautoinfanticideの壁を突き壊し、過去へとニューロンの根を伸ばし続ける限り、僕は何処までも過去へと下りていく事ができる----。




