第一章 4, 長女と婿
『鶯の声は死神と共に』をお読みいただき、ありがとうございます。
本作は、五年前に起きた少年の失踪事件をめぐるミステリーです。
完結まで、毎日3話ずつ投稿する予定です。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
第四章 長女と婿
桐谷和子について一通り整理したあと、AYAが次に開いたのは長女、桐谷恵理の資料だった。
四十八歳。
現在も桐谷姓を名乗り、夫の雅之と暮らしている。
「今度は二人一緒に見るんですか?」
あかねが聞いた。
「その方が分かりやすそうだから」
AYAは恵理の名前の隣に、夫の名前を加えた。
**桐谷恵理 四十八歳**
**桐谷雅之 五十歳**
二人が夫婦になるまでを、時間の順に追うことにした。
---
恵理は和子の長女として生まれた。
妹の沙織とは違い、地元を離れることなく育った。
容姿は特に目立つ方ではない。
学校でも人の中心に立つようなタイプではなく、自分から何かを始めたり、周囲を引っ張ったりすることも少なかった。
父親を早く亡くしてからは、母親の和子を手伝うことが増えた。
長女ということもあり、家事は一通りこなした。
料理をする。
洗濯をする。
掃除をする。
必要があれば妹の沙織の面倒も見る。
高校を卒業すると、市内では比較的大きな工場に就職した。
毎日決まった時間に出勤し、仕事が終われば家へ帰る。
特別派手な生活ではなかった。
恵理自身、それを不満に思っていたわけでもない。
桐谷家には、自分が残る。
恵理は若いころから、そう考えていた。
長女である自分が家を継ぐ。
結婚するなら、桐谷家に入ってくれる男性と結婚する。
和子から改めて言われなくても、それは恵理の中では決まっていた。
そのため、簡単に男性と付き合うこともできなかった。
誰かを好きになったとしても、結婚まで考えれば桐谷家の問題がある。
相手に名字を変えてもらえるのか。
この土地で暮らしてもらえるのか。
そんなことを考えるうちに、恋愛そのものから距離を置くようになっていた。
やがて恵理に、お見合いの話が持ち込まれた。
相手は、市役所に勤めている男性だった。
雅之。
五人兄弟の末っ子で、上には四人の兄がいた。
---
雅之もまた、目立つ人物ではなかった。
役所では真面目な職員として働いていた。
勤務態度に問題はなく、金銭面でも堅実。
容姿は悪いわけではないが、人目を引くようなタイプでもない。
服装も普通。
話し方も普通。
初対面で強い印象を残す男性ではなかった。
最初のお見合いも、特別盛り上がったわけではない。
雅之は話上手ではなかった。
恵理も、自分から次々に話題を出すような女性ではない。
それでも二人の会話が苦痛になることはなかった。
何度か会った。
食事にも行った。
雅之は五男の末っ子で、実家を継ぐ必要がない。
結婚後も地元で暮らすことができる。
桐谷姓になることにも、大きな抵抗はなかった。
やがて二人は結婚した。
雅之は姓を変え、桐谷雅之となった。
---
結婚したころ、恵理が雅之に抱いていた感情は、大恋愛と呼べるものではなかった。
一緒に生活していけそうな人。
真面目な人。
安心できる人。
そんなところから始まった。
しかし、一緒に暮らす時間が長くなるにつれて、恵理の気持ちは変わっていった。
雅之は派手なことをする人ではなかった。
仕事から帰れば、必要な家事を手伝った。
恵理が工場の仕事で疲れている日には、代わりに動くこともある。
和子にも自然に接した。
桐谷家の事情について何かを言われても、特に嫌な顔をすることはなかった。
家計が苦しかった時期には、自分の収入から生活を支えた。
役所から毎月入る安定した収入は、桐谷家にとって大きかった。
それまで余裕のなかった和子の生活も、少しずつ安定していった。
雅之は、いつの間にか桐谷家の中に溶け込んでいた。
和子も雅之を信用するようになった。
家のことで困ったことがあれば相談する。
役所の手続きで分からないことがあれば聞く。
家の修繕が必要になれば話し合う。
そうした日常が何年も積み重なった。
恵理にとっても、雅之との結婚生活は居心地のいいものになっていた。
お見合いで出会った夫を、恵理はいつしか心から好きになっていた。
そして二人は、子供を望んだ。
恵理にとって、それは桐谷家のためだけではなかった。
雅之との子供が欲しかった。
しかし、なかなか妊娠することはなかった。
恵理は不妊治療を始めた。
治療は続いた。
それでも、二人の間に子供が生まれることはなかった。
やがて恵理と雅之は、子供のいない二人での生活を続けるようになった。
夫婦関係が悪くなったわけではない。
雅之はその後も役所で働き、恵理も工場で仕事を続けた。
二人は変わらず桐谷家の離れで暮らした。
---
その後、沙織が悠真を連れて帰ってきた。
和子にとって初めての孫だった。
恵理にとっては甥になる。
雅之にとっても、桐谷家にやってきた初めての子供だった。
悠真は母屋へ頻繁に遊びに来るようになった。
和子は孫をかわいがった。
恵理と雅之も悠真をかわいがった。
悠真が成長してからも、その関係は続いた。
雅之は地域で仕事を続け、桐谷家との付き合いも長くなっていった。
和子にとって、雅之はもう「娘がお見合いで連れてきた婿」というだけの存在ではなくなっていた。
長い時間を一緒に過ごした家族の一人だった。
---
あかねが入力を終えた。
「こんなところですね」
AYAは画面を見る。
そこには、恵理と雅之が出会ってから現在までの経歴が並んでいた。
「雅之さん、結構長いんですね。桐谷家との付き合い」
「そうだね」
AYAはそれだけ答えた。
まだ、そのことに意味は付けなかった。
あかねが家族構成を開く。
残っている名前を見て言った。
「次は沙織さん?」
AYAはうなずいた。
「次は沙織さんを見よう」
新しいファイルが開かれた。
**桐谷沙織。**
十八歳で、桐谷家を出た女性だった。
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・地名・心理描写は架空のものであり、実在の人物や事件について、その動機や内面を説明するものではありません。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ペーストが重なってしまっていて申し訳ありませんでした。
物語は、五年前の失踪事件を追いながら、少しずつ真相へ近づいていきます。
続きは明日、3話投稿予定です。
感想や評価をいただけると励みになります。




