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猫と、彼女と、時々俺と。  作者: 桔梗


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6/9

俺と黒猫(朔side)

そして次の瞬間だった。


『顔に似合わず、君も苦労してきたんだな』


「……え?」


俺は思わず顔を上げる。

日向さんと目が合い、日向さんは雑炊の器を両手で包んだまま、「どうしたの?」不思議そうにこちらを見ていた。


「いえ……今、何か言いました?」


「私?何も言ってないけど……」


「……ですよね」


聞き間違いか?

いや……だが、俺はたしかに聞いた。

あれは、紛れもなく、男の声だった。

 

「ねえ、久世くん。ほんとに大丈夫?どこか、具合でも悪いの?」


俺は慌てて笑った。

たぶん、かなり引きつっていたと思う。


「……いや、すいません、何でもないです」


「本当に?」


「はい。ちょっと、寝不足みたいで」


「まあ、大学生って大変だよねえ」


日向さんは、何かに納得したように頷いた。


俺が下を見ると、足元のクロが、俺をじっと見ていた。

丸く大きな金色の目が、じっと俺を見上げている。

さっきまで日向さんを案じるように見上げていたその目が、今はまっすぐ俺に向けられていた。


まさかーー。

いやいや、ない。

猫が喋るなんてありえない。

いくら文学部でも、現実と幻想の境界くらいは理解している。


ーーだが、その時だった。


『なんだ?君……もしかして、僕の声が聞こえるのか?』


今度は、疑いようもなくはっきりと声がした。


「……っ」


俺は反射的に椅子から立ち上がった。


ーー猫が!!猫が喋った!!!


いや、正確には口は動いていない。

それでも、はっきりと声がした。

頭の中に直接、言葉が落ちてきた。


俺は全身の血が引くのを感じた。


「ちょっと、久世くん!?どうしたの?本当に大丈夫?」


日向さんが驚いて俺を見る。


『君、楓が驚いてるよ。騒ぐんじゃない』


クロは俺をじっと見つめ、まるで宥めるかのように言った。


「久世くん?」


日向さんは、とても心配そうな顔をしていた。


「あ……いえ……本当に、大丈夫です」


「いいから、一旦座って。水持ってくるから」


「いえ、本当に大丈夫なので」


「いいから、いいから。きっと疲れが溜まってるんだよ。ちょっと休憩ってことでさ!」


日向さんは水を持ってきて、俺に差し出すと、再び雑炊を食べ始めた。


***


「ごちそうさまでした!」


「お粗末さまでした」


「ほんとにおいしかった。また作ってほしいくらい」


「ご依頼があれば、また作りますよ。というか、作らせてください」


日向さんは少しだけ笑って言った。


「じゃあ、またお願いしようかな」


同時に、足元から鋭い視線が刺さる。

俺はクロを見ないようにして、器を下げた。


その後、日向さんは「食べたら元気が出たから、仕事に戻るね。久世くんは、無理せず、しばらく休んでなよ」と言って、仕事部屋へと戻っていった。


リビングには、俺とクロだけが残された。

 

冷蔵庫の低い音。 

外を走る車の音。 

遠くで鳴く蝉の声。

そして、テーブルの下から俺を見上げる黒猫。


俺はゆっくりとしゃがみ込んだ。


「……お前、さっき……喋った?」

 

クロは返事をしない。

ただ、尾の先を床に一度だけ打ちつけた。


「……いやいや、やっぱり……俺がおかしくなったのか?」


俺は頭を抱えて、一人呟いた。


『やっぱり聞こえていたのか』


俺は思わず口を押さえた。


「……やっぱりお前か!!一体、何なんだよーーお前」


『君こそ、何なんだ。不思議だな。僕の声は今まで誰にも届いたことがなかったのに』


クロは尻尾を揺らした。

その声色はどこか嬉しそうだった。


『というか、君。少し声を抑えないとーー』とクロが言いかけた時、仕事部屋の方から声が聞こえてきた。


「久世くん?」

 

俺は反射的に立ち上がる。


「はい!」


「何か話してた?」


日向さんは廊下から顔を出して、俺とクロを交互に見る。

クロは何事もなかったように、日向さんの足元へ移動し、そして彼女の足首に体をすり寄せる。

日向さんは嬉しそうに目を細めた。


「……えっと、クロと……話してました」


俺は何を言ってるんだ。

日向さんはきょとんとしている。


「クロと?」


「……はい。ちょっと、親睦を深めようかと」


日向さんはおかしそうに微笑んだ。


「そっか。どう?深まった?」


俺はクロを見る。


『君、余計なことを言うなよ』


クロの一声に、俺は笑顔を引きつらせた。


「……ま、まあ、少しだけ」


「ほんと?よかったね、クロ。久世くんと仲良しできて」


日向さんが嬉しそうに笑った。

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