第7話【土下座は前世を知っているものだけが使う】
足音が遠ざかっていく。
一度も、振り返る気配はなかった。
「お嬢様は戻りました」
そう言われるまで、俺は土下座をしたまま。
既に謝罪をする相手は、居なくなっている。
だから頭を上げてゆっくりと立ち上がる。
額と膝には、床から伝わった冷たさが残っている。
先日よりもより、はっきりと。
「出口までご案内いたします」
使用人に案内されて、屋敷の外へ。
彼の言葉は、以前より淡々としている。
屋敷の雰囲気が冷たく感じた。
丁寧だが、最初に来たときよりも距離があった。
出ると、扉は静かに閉じられる。
だが音が重かった。
(終わった、のか?)
屋敷を出たタイミングでも、その実感がまだ起こらなかった。
拒絶された実感すらない。
それは、『帰りなさい』や『お引き取りを』って言われず、使用人にも物理的な行動をされず、追い返されなかったのもあるが。
扉から門へと向かっていく庭の間にある道。
太陽は完全に昇っていて、空は水色に染まっている。橙色は少ない。
陽光が俺の影を長く伸ばしていく。
(謝罪、受け取ってもらえなかった)
ユリアナ嬢の言葉が、ゆっくりと頭の中で反響する。
『殿下は、わたくしに謝りに来たのではありませんわ』
『”安心したい”だけですわ』
『殿下、わたくしは”二度と捨てられない未来”を約束できない方とは、関われません』
はっきりと、俺に突きつけた言葉。
庭を歩いていく度に、足音と共に反響した言葉が何度も何度も。
正論であるが、ある意味断罪するような、冷たいもの。
でもそれだけ婚約破棄によって、ユリアナ嬢を傷つけた事になる。
明らかに俺が間違っていた。
時が戻れるなら、婚約破棄直前で俺を殴りたい。
(俺は、許される前提で来ていた)
土下座をして、前世の事だけじゃなくて、全部を話した。
それで許されて、戻れると思っていた。
ゲームと同じような世界だから。
パワーの強い行動をすれば、ゴリ押せると。
でも結果は違っていた。
俺がしていたのは、謝罪ではなく、回復魔法。
壊れてしまった関係すらも戻せるような、ありもしない回復魔法唱えていた。
だからこそ、『謝ったから戻る』と思っていた。
ゲームにも存在しないし、この世界にもないが。
「拒絶されたんだな」
罵倒もされず、感情もぶつけられなかった。
怒りでもない、失望でもない。
距離を取られ拒絶された。
俺が運営だったら、強制的に関係を戻せたかもしれない。
でもそうじゃない。
ゲームと同じであるが、セーブポイントに戻るということも出来ない。
「殿下」
視線の先には、門の外でクレア嬢が待っていた。
俺を見て、何かを考えているようだった。
そのまま門を通って、ルイッツホーフ家の敷地を出る。
額には敷地を出た後で、擦りつけた額の冷たさと膝の痛みが少し残っていた。
「クレア嬢」
彼女へ最後が聞こえないような声を出した。
「お疲れ様でした」
表情に感情は持っていなくて、ただ俺に話しかけただけ。
しかも王宮へ戻る道では、何も会話をしなかった。
俺は落ち込んでいたから、クレア嬢は考え事をしていたから。
(ーーああ。俺は、まだ取り戻していない)
『殿下は、わたくしに謝りに来たのではありませんわ』
頭の中で響く声。
ユリアナ嬢が言い放った声、そっくりそのまま聞こえてくる。
「こちらで問題ないでしょうか」
「ああ、大丈夫だ」
ルイッツホーフ家での土下座後、公務があるのでそのまま仕事を。
クレア嬢もいつも通りの補佐をしていた。
ただ、口数は少なくて空気が気まずかった。
彼女は門の前で待機していたはずだ。
確かに土下座を見たわけでもないが、戻ってきてからクレア嬢の様子が重々しい。
謝罪したことを知っている。
なのに、どうしてだ?
それでも公務は進めないといけない。
王太子として必要な事だから。
(許してもらえなかったな……)
公務をしていても、俺の中でその事が残り続けていた。
『”二度と捨てられない未来”を約束できない方とは、関われません』
その言葉が夕方になっても反芻していた。
ユリアナ嬢からは許してもらえなかった。という事実が残っている。
夜明けのくらいに謝罪をしたが、まだ立ち直れなかった。
夕陽が綺麗で空は橙色が大部分を占めている。水色は少しだけ。
綺麗なのに俺の心は曇っていた。
でも、『”二度と捨てられない未来”』、それさえ約束できれば、戻れるはずと思ってはいた。
(ユリアナ……)
彼女の顔は見なかったが、どんなものだったんだろう。
冷たい言葉だったのだけは覚えている。
「殿下、ちょっとよろしいでしょうか?」
突然、クレア嬢が話しかけてきた。
どうしたんだろうか。
俺達は誰もいない書庫へ行って、話を聞くことにした。
「今朝、殿下はユリアナ様に謝罪をされましたよね?」
「ああ」
その確認から会話は始まった。
静かで落ち着いた言葉。
問い詰めている雰囲気ではなさそう。
「許されたのでしょうか?」
「分からない。ただ、拒絶されたのは確かだ」
それだけははっきりと。
クレア嬢はため息を吐きながら、俺を見ている。
「殿下は、許されると思って、行かれたのですね」
「そうだ」
「確かに私も上手くいくと良いって、言いました。で、殿下は何をおっしゃったのでしょうか?」
俺はクレア嬢へユリアナ嬢に俺が前世の記憶を取り戻した事や、前世から好きだったこと、そして婚約破棄が間違っていた事を伝えた。
驚いている様子だったが、受け入れていた。
特に前世の事なんて、クレア嬢は信じてもらえないはずなのにな。
空想過ぎるから。
「そうですか。ですが、それは謝罪ではありません。ただの”確認作業”です」
クレア嬢はそれを聞いて、言葉は荒げていないが、はっきりとした怒りを見せていた。
「自分がまだ救われる側かどうかを、ユリアナ様に委ねただけです」
俺は何も言えなかった。
「殿下は、捨てたことを後悔したのですか? それとも、”捨てたのに戻らなかったこと”に動揺しているのでしょうか?」
また、何も言えなかった。
正論のボスラッシュだ。
「あの方の痛みを、”自分が楽になるための材料”にしたことが問題なのです」
クレア嬢が言っている事。
正しかった。
何も言い返せない。
(ユリアナの気持ちじゃない。”俺が救われるかどうか”しか見ていなかった)
彼女は”未来”の話をしていたんじゃない。
”覚悟が無いまま来るな”と言っていたんだ。
「殿下、全部正しいことをしているつもりですよね」
クレア嬢は一瞬だけ黙った後に、口を開く。
「ああ」
それに対して返事をした。
「だからズレているんです」
突き刺さるような言葉。
クレア嬢の目線も刺さるようだ。
(順番を間違えた。なら、次はーー)
同じやり方は、もう選ばない。
「それよりも、どうして殿下は”土下座”をしたのですか?」
さらにクレア嬢は言葉を続けた。
彼女は拳を握って、わなわなと震えている。
「あの、それはーー」
「殿下はありえないことをしたんですよ!?」
クレア嬢は一気に声を荒げる。
やはり見ていたのか。
「しかもあれは、”あなたの国”の謝罪方法です! この国ではしません! どうしてそれを行ったんですか!?」
荒げた声。
今まで聞いたことの無いような感じだ。
「俺の中では、それが最も強いものだと思っていた」
「強いもの、だからそれはあなたの国で行うことだからです!」
クレア嬢は俺を刺してくるように暴走している。
「ユリアナ様には、言葉や頭を下げるといったことで、問題なかったのでは!?」
確かにクレア嬢が言っている事も正しい。
あの”成功例”と同じようにやったはずだ。
なのに、現実は違う。
ユリアナ嬢は土下座を知らなかった。
確かに謝罪の意志は伝わっていたが。
「なのにどうして」
怒りを通り越して呆れながら、俺を見ている。
クレア嬢が怒ったのは、土下座をしたことに対してのようだ。
あれ?
「クレア嬢、どうして”土下座”を知っているんだ?」
俺はふと気になったことを質問してみた。
すると、一瞬だけ動揺していた。
「そ、それは」
クレア嬢の声が震えている。
落ち着かせようと、軽く机の端を叩いていた。
「君に土下座という言葉を言っていない。なのに、君は土下座って言っていた」
しかもこの世界において、土下座という謝罪方法は誰も知らないはず。
なのに知っているって、どういうことなんだ。
「それは……本で読んだことが」
わずかに間を置いて、そう答えた。
だが、その言い方に妙な引っかかりを覚えた。
「本で読む、か」
この世界にそんな謝罪方法があるとは思えない。
それにーー彼女の反応は、”知っていた”というより、”見慣れていた”ようだった。
「じゃあ、”スマホ”って言葉は?」
試すように口に出した。
一瞬だけ、クレア嬢の視線が揺れた。
ーー確定だ。
「……やめて」
ぽつりとその一言を口にした。
クレア嬢は頭を叶えながら、疲れた笑みを見せる。
「やっぱりな。君も、こっち側か」
そう言うと、クレア嬢は観念したように小さく息を吐いた。
「君ももしかして、転生したのか?」
「……はい。殿下と同じように」
やはりか。
というか、”土下座”で発覚するなんてな。
だから知っていたのか。
「何だろうな。転生した人に出会ったのって、不思議な繋がりだな」
「それ、言わないでください」
苦い顔で、そう言った。
「こっちも同じ気分だから」
はにかみながら、疲れた表情をしている。
クレア嬢に怒りの表情は無くなっていた。
転生バレで、それどころじゃ無くなったかもしれないが。
「ゲームのヒロインになれて、王太子と結ばれると思っていたのに」
確かにそうだよな。
その姿って、ヒロインだから。
あのゲームの主人公って、ヒロインだったし。
レオポルドは攻略対象だったから。
「ユリアナと婚約破棄したから、これで結ばれると思ったら、謝罪するなんて……」
完全に呆れていて、クレア嬢も狙っていたんだなって思った。
ヒロインだからそうなるよな。
王太子と結ばれるのが、ハッピーエンドの一つだったから。
「謝罪をするのも良くなかったのか?」
「そんなことはない、と思いたいだけれどね」
乾いた笑いを見せるクレア嬢。
やっぱり嫌だったんだな。
ハッピーエンドフラグが立ったのに、折れようとしているからな。
それでも、クレア嬢は背中を押そうとしていた。
謝罪が成功するのも祈っていた。
「だけどそれで殿下とユリアナが幸せなら、私は我慢しようかなってね」
よくあるのは、何が何でもハッピーエンドを狙うっていう感じなのにな。
俺を言いくるめたり、惚れ薬を使ってたりして、結ばれようするとか。
でも彼女は違っていた。
それでいいんだ。
気持ちを押し込んでいるだけかもしれないが。
「まあ、攻略対象はまだいるんじゃないのか?」
「うるさいって」
はにかみながらクレア嬢は、そう言い放った。
そしてクレア嬢は一瞬だけ視線を落として、言葉を続ける。
「私も同じ事をやりましたから」
再び困った顔で。
視線をどこか遠くに向けて。
「分かってるつもりで、全部選んで」
軽くため息をついた。
「それで、全部外しました」




