第6話【殿下は再び床に頭をこすりつけた】
【ユリアナ視点】
この日、夜明け後にわたくしへ使用人のサルチャクから報告があった。
まだベッドで起きてすぐに。
「殿下がお見えです」
朝早くから?
そして報告したサルチャクは、諦めているような目をして疲労を見せていた。
ただ、わたくしにとっては驚きもしなかった。
(やはり来ましたのね)
それだけの感情。
もう一度来るって事は予想できた。
先日の謝罪、殿下は頭を床につけて謝罪の言葉だけを伝えた。
跪いて、わたくしに許しを請うて。
明らかにおかしな状況。
しかも、何に対して謝罪をしようとしているのかを、何も言わず。
だからわたくしは、謝罪を受け入れられなかった。
婚約破棄に関する事かもしれない。
でも、それならば言ってほしかった。
理由も訊きたかったから。
謝罪だとすれば、今日は言ってくれるのだろうか。
「通しなさい。でも客間とは違う場所に」
わたくしはそうサルチャクに伝えた。
「かしこまりました」
寝間着から着替えて、殿下が通されたであろう部屋に行ってみる。
殿下が通されたのは小さいながらも庭がよく見える部屋で、わたくしにとってはお気に入りだったりする。
彼はどんな言葉をわたくしに言うのだろうか。
そう思いながら部屋に。
部屋に入ってみると、そこには既に先日を同じような体勢を取った殿下が。
「殿下」
わたくしは元婚約者でありながらも、冷たく淡々と言葉を話していく。
そして近くにある椅子に座って、話を聞くことにした。
「また謝罪ですのね」
「俺は君のために婚約破棄をした。だが、それが正しかったのか分からなくなった」
やはり謝罪は、婚約破棄に関することですのね。
分からなくなったって。迷っているじゃないの。
だからこそ謝っているのだろうけれど、なら婚約破棄する前に、気づかなかったのかしら。
私は何も言わずに聞いていく。
すると、殿下は前世に関することを話していた。
前世ーー伝承等で見聞きしたことがある。
別世界の人物が転生することがあると。
本当にあるのね。
しかも、殿下がその人物だなんて。
わたくしはそれでも驚きを見せず、ただ聞くだけ。
”推し”って分からないけれど、前世ではわたくしを好いていたのね。
確かにわたくしも殿下を愛しているけれど。
なのに何で、わたくしを婚約破棄するのかしら。
それに、逃げていたって。
「本当に申し訳ありませんでした!」
大きめの声で、殿下は謝罪する。
それから部屋には沈黙が流れていった。
わたくしは、殿下の言葉をすべて聞きました。
その上で、申し上げます。
「……殿下」
沈黙を破ったのは、わたくしの声。
「殿下は、わたくしに謝りに来たのではありませんわ」
彼にそう伝える。
すると驚きの表情をして、言葉を失った。
「”安心したい”だけですわ」
そう、わたくしに謝罪して様々なものを戻そうとしている。
彼が壊したのに。
だけど、彼をこれ以上壊したくない気持ちもある。
「確認したいのですけれど、前世の記憶が戻ったのは本当かしら?」
「あ、ああ。俺は亀山来人という高校生だった」
だからこそわたくしは、彼に一つ一つ確認していく。
「推し、つまりわたくしを前世から好いていたと?」
「そうだ」
殿下は即答していた。
だけど、胸の奥が少しだけざわつく感覚を覚える。
息を静かに吸い込みながら、次の質問を行った。
「イラスト……絵を描いていた、とか?」
「描いていた。一枚だけじゃなくて、何枚も」
殿下は全てに肯定して、嘘でないことを証明しようとしていた。
眉唾ものだけど、信じるしかないのかしらね。
前世のことに関しては。
「分かりましたわ。ですが、殿下はわたくしの未来を壊した自覚はおありで?」
「あ、ある」
狼狽えながら返事をする殿下。
正しい王妃として、これまで勉強などをしてきた。
彼の逃げによってそれが無駄になってしまった。
「それなのに、謝罪をしてすぐ戻そうと?」
戻れるなら戻ってもいいかもしれない。
無駄にはならないから。
「もしもまた窮屈になったのなら、捨てるとかはないでしょうね?」
いくら王太子とはいえ、わたくしがモノ扱いにされているようなもの。
それは承服できない。
「殿下、わたくしは”二度と捨てられない未来”を約束できない方とは、関われません」
わたくしにとっては、婚約関係に戻ることもやぶさかではない。
だけどそれは、もう一度壊される事が無いという保証が無いと、無駄になる。
息が詰まる感覚を覚えながら、わたくしの声はいつもより低くなっていた。
「わたくしは、”選ばれなかった未来”を、二度生きるつもりはありませんの」
今の殿下にはそれが感じられない。
だからこそ、わたくしは殿下に伝えた。
「それと殿下」
わたくしは立ち上がって部屋を出ていく。
ドレスをぎゅっと握りしめて、感情を込める。
「次にそのような姿勢を取るならば、”どう生きるか”を決めてからにしてくださいな」
彼にそう言い残して、謝罪の場は終わったのだった。
「…………」
扉を閉める音が、やけに大きく響いた。
表情を崩さずに部屋を離れていく。
まだ部屋の中には殿下がいる。
廊下を歩くときの足音は、いつもよりも一定に保っている気がしていた。
「朝の空気は、冷たいですわね」
太陽は完全に昇っていて、水色の空が見えている。
橙色の部分はほとんどない。
門の前の人通りだって、昨日と同じような流れが出来ている。
「はぁ」
ため息が出てくる。
わたくしは自室に戻ると、誰もいないことを確認して、手袋を外した。
それとともにほんの一瞬だけ、力が抜けた気がした。
「殿下、わたくしをどうしたいの?」
ベッドに腰掛けると、さっきの事を思い出した。
『前世』、『推し』、『安心したいだけ』、そういった言葉が頭の中で反芻している。
感情は起こらないけれど、悩ましい。
「破棄したけれども、異世界の記憶を思い出したから、戻したいって……」
都合が良い。
でも、嘘ではなさそう。
わたくしが好きで、わたくしの絵を描いていたなんて。
そこに、価値があることは理解できる。
けれど、それはーー惹かれる、とは違う。
そして、”誠実”とは別問題。
(過去を思い出したから、許される。好きだったから、戻れる)
わたくしも前世を思い出せば、殿下と何も考えずに婚約関係に戻れるのかしら。
ならば今すぐに、前世を思い出したい。
「そういう話ではありませんのに」
王太子や王は迷いがあってはいけないのに、今の殿下には迷いがありすぎる。
制御不可能なほど、自分で作った迷宮の奥へ奥へと、地図や灯りすらも持たずに進んでいるような。
わたくしは止められそうにない。
戻すにはどうすれば良いのか、と自分に問いたいくらいに。
殿下にとって、わたくしは何なのかしら。
「推し……」
ふと、『推しだった』という言葉を思い出す。
あまり理解できない言葉。
明らかに好いていたという事だけは分かった。
「わたくし、偶像でしたの? それとも”便利な安心装置”?」
自身で言葉に出しながら、窓辺に寄った。
少しだけわたくしの顔が反射している。
指で硝子を軽く叩く。
崇められていたの?
前世の殿下から。
わたくしを教会の神みたいに?
そうじゃないとは思うけれど。
ーーあの時。
婚約破棄を告げられた日のことを、思い出す。
言葉は整っていた。
でも、わたくしを見てはいなかった。
あの時、何かを言い返すことも出来なかった。
ええ、出来ませんでしたわ。
「本当、殿下は何を考えているのかしら」
『前世で好きだった』、だから捨てた後で拾いに来る。
わたくしはぬいぐるみみたいなおもちゃ、なのかしら。
いらなくなったけれど、捨てきれない。だから拾いに来る。
それと同じじゃない。
「随分と、都合の良い”愛”ですこと」
すると窓から日差しが入ってくる。
ほんのり映るわたくしの表情は穏やかだったが、目は冷たい。
「殿下は、わたくしを”選び直した”つもりなのでしょうけれど、わたくしは”一度捨てられた事実”を生きているのですわ」
手袋を付け直す。
ただ指が一瞬だけ、もつれてしまい少しだけ上手く付けられなかった。
再び付け直して、一息付ける。
そこからしばしの沈黙が流れていく。
「ええ。二度目は、ありませんわ」
あの時のわたくしは、もうどこにもいませんもの。




