第3話【婚約破棄】
数日後、王宮にある応接室。
そこで俺は立ってある人物を待っていた。
侍女を通じて、やってくるように伝えている。
「失礼いたしますわ」
やってきたのはユリアナ嬢。
礼をしながら応接室に入ってくる。
いつもと変わらない表情をしていて、何も不安に思っていない。
「来てくれてありがとう。時間は取らせない」
「殿下、どういった用件でしょうか?」
一呼吸置いて、伝えることにする。
「君との婚約を、ここで解消したい」
「……っ!」
ユリアナ嬢は驚いた表情をしていた。
確かにそうなるよな。
でも取り乱すこともなく、ただ考えているようだった。
「理由を、お聞きしても?」
次に彼女が口にした事は理由を訊ねるもの。
彼女には心当たりが無いようだ。
俺は彼女に視線を合わせず、書類を差し出す。
それは、婚約を解消する旨を書いたもの。
これによって、完全に俺とユリアナ嬢は婚約を解消することになる。
ユリアナ嬢は震えることなく、書類を手に取った。
ただ、指先が一瞬だけ紙の端を強くつまんでいるようだったが。
「理由か。これは、君のためだ」
「わたくしのため?」
きょとんとしている。
「君は、正しい王妃になる人だ」
それは間違っていないと思う。
ユリアナ嬢と結婚すれば、彼女は正しい王妃になれるだろう。
「だが、俺にはそれを受け止めきれなかった。それ以上の説明は、出来ない」
俺は謝罪をせず、ただ理由を伝えていく。
それを感情もぶつけずにユリアナ嬢は聞いていた。
言葉を遮らず、ただ淡々と。
俺の言葉が終わると、ユリアナ嬢が口を開く。
「わたくしが、殿下のお役に立てなかったのでしょうか?」
問いかけた声のトーンが、わずかに低くなる。
「いや。何も」
その問いかけに対して、俺は間を置かずに答えていく。
即答と言ってもいいくらいに。
確かに彼女は悪くない。
役に立っている。立てなかったことはない。
「これまでの尽力に、感謝している」
俺はユリアナ嬢に一礼をして出ていこうとする。
彼女は俺に縋るわけでもなく、ただ俺を見ていた。
「必要な手続きは、後日こちらで行う」
「分かりましたわ、殿下」
彼女は泣くことはなく、怒るわけでもなく、俺に対して一礼を返した。
姿勢は正しく、王太子の婚約者としては相応しいように思える。
だが、少なくとも今の俺には受け入れられなかった。
俺は応接室を出ていく。
この時点で、俺とユリアナ嬢の婚約関係は終わったのだった。
「何故なんだろう。どうして心は晴れないんだ」
応接室を出ていった後、心は曇ったままだった。
雲が消えていって、青空になるはずなのに。
開放感が訪れないなんて。
しかも強い喪失感が起きている。
ぽっかりと空いた穴。
そこに埋められるものが見つからない。
大切なものを失ってしまったみたいだ。
失った理由は、まだ分からない。
ただ、もう取り戻せないことだけは、分かっていた。
「何だろうな。すっきりしない」
心の中でもやもやしている。
ユリアナ嬢と婚約解消して、落ち着けるはずだったのに。
何か間違ったのだろうか。
迷ってはいないはずなのに。
壁に手を突いて、深呼吸をする。
「殿下、どうしましたか?」
王宮内を歩いていると、クレア嬢と出会った。
俺の様子を見て、心配そうに見ている。
そして彼女は見透かしたような目をしていた。
「いや何でもない」
「あの、そうは見えませんが」
心配かけさせまいとするが、クレア嬢にはお見通しだった。
やっぱり分かるよな。
「実はユリアナ嬢と婚約解消をしたんだが、何も満たされないんだ」
仕方ない。
ここは正直に事情を言おう。
「そうでしたか」
クレア嬢はそれを聞いて、少し俯きながら悲しそうな表情をしていた。
もしかしたら、解消したことがショックなのだろうか。
「お辛かったのですね」
それでも彼女は俺を慰めようとしていた。
察しながらも、柔らかい微笑みを見せて。
「……ああ」
「大丈夫です。今は様々な感情が混ざっているだけです」
クレア嬢は一瞬ためらってから、そっと距離を保ったまま言葉を掛けていく。
「そうなのか?」
少し楽になって、心が落ち着くような感じになる。
「はい。ですから、今は無理をなさらずに休んでください」
「ありがとう。すまなかった」
こんな時でも寄り添ってくれるなんて。
ただそれでも、完全には心は埋まっていない。
「いえ。変なことは考えないでくださいね」
「そうだな」
俺は今日の公務を済ませながら、部屋へと戻っていく。
今度、彼女にお礼をしないとな。
「上手くいかなかったな……」
そして今、王宮に帰る途中、さらに雨脚は強くなっていた。
空気が冷えているのだろうか、こすりつけた額の冷たさはまだ残っている。
だが俺は馬車の中だったのもあって、濡れることは無い。
馬車で来て良かったな。
俺は馬車の中で椅子に座って、考えてみることにした。
揺れる車内、それでも考える余裕は充分にある。
「……ああ、失敗した」
ユリアナ嬢は謝罪を受け取らなかった。
拒絶して、『帰りなさい』って言われた。
「だが、謝罪そのものが間違っていたわけじゃない」
”謝罪は不要”って言われたわけじゃない。
受け取る準備はユリアナ嬢にもあった。
俺の準備が悪かっただけ。
『はっきりとわたくしに理由をお伝えください』
ユリアナ嬢はそう言っていた。
だから受け取ってくれなかったのは、そこにある。
「問題は、説明不足だ、と思った」
理由をちゃんと伝えられなかった。
それが敗因。
誰だって理由が分からなかったら、困惑する。
「つまりーー説明すればいい、はずだ」
ちゃんとユリアナ嬢に説明すれば、受け取ってもらえる。
そうすれば、完璧なはずだ。
俺はそう信じるしかなかった。
馬車は王宮に着いて、そのまま中に入っていく。
「殿下、お帰りなさいませ」
王宮に入ると、作業補助をしているクレア嬢と出会った。
彼女は長い間、王宮での仕事をしている。
ある程度は信頼が出来る。
「出迎え、ありがとう」
軽く感謝して王宮内を歩いていく。
「顔色があまりよくありませんね」
彼女は俺を見て、そう優しく言い表していた。
そう見えるのか。
確かにな、謝罪が上手くいかなかったから。
「謝罪が上手くいかなかったんだ」
クレア嬢は俺がどこへ何をしたのか知らない。
簡単に結果だけを伝えた。
「あまり誠意を伝えられなかった」
「そんなことはありません」
だがそれでも、クレア嬢は穏やかな微笑みを見せながら話していく。
俺を庇ってくれるんだな。
「殿下は、誠意を尽くされたのだと思います」
確かにそうだ。
誠意は尽くした。
説明をちゃんと出来なかっただだ。
(少なくとも、間違っていなかったと、思いたかった)
「だから元気出してください」
クレア嬢は微笑みのまま、俺を励まそうとしてくれた。
そうだな。倫理的に問題ない。
「ありがとう」
彼女に感謝する。
それからクレア嬢と別れて、俺は自室へ。
椅子に座って、気持ちを落ち着かせる。
少ししたら侍女のレーナ・ニコシアが部屋に入ってきて、紅茶を置いた。
「殿下、お疲れ様でした」
レーナが笑みを見せている。
「ああ」
「謝罪に行かれたって話を聞きましたが」
やはりさっきの状況を聞いていたのだろうか。
確かに、他の人物だっていたからな。
聞こえるのも仕方ない。
「そうだ。ユリアナ嬢とな」
「ユリアナ様、ですか」
レーナは考えながら、考え事をしていた。
「彼女は、理由を求めていた」
自室だからというのもあるだろう。
より、レーナには詳しく話していく。
「なら、理由を説明すればいい」
「あの殿下、理由とは……?」
慎重な感じでレーナは訊いていた。
「俺は、彼女のためだと思っていた」
はっきりと、言い放つ。
ユリアナ嬢は間違っていないからな。
「…………」
するとレーナは沈黙してしまった。
どうしたんだろうな。
「あの、それは……殿下のお気持ち、ですよね?」
「そうだな」
勿論だ。
俺が弱く、彼女が正しかった。
彼女のためだと思っていた。
だから、身を引いた。
それが間違っていた。
「犠牲だと、そう言い聞かせていた」
「殿下、それをそのままお伝えするおつもりなのですか?」
「当然だ。誠実だからな」
間違っていない。
それしか言葉に出来なかったから。
「殿下、それは”犠牲”ではありません。選択です、殿下ご自身の」
眉をひそませながら、レーナは話していく。
「おそらく倫理だろう」
俺は倫理だと思わなければ、立っていられなかった。
「倫理に見えませんが」
小さい声だが、はっきりとしたものをレーナは伝えてくる。
いや、合っている。
「もう一度、謝罪に行く」
決めた。
ユリアナ嬢から許してもらうためには、こうするしかない。
「またでしょうか?」
「今度は、理由を説明する。前回より、完璧だ」
言葉が抽象的すぎたからな。
だからはっきりとしたものがいい。
「次は失敗しないからな」
理由もあるし、覚悟もある。
今度こそ完璧だ。
タイミングさえ間違えなければいい。
なお、その理由はーーユリアナ嬢の逆鱗を、正確に触れる内容だった。




