第2話【正しいより楽】
時間は数週間前に戻る。
いつものように公務が忙しかった。
「この部分だが、君はどう思う?」
俺は王都にあるシュナイエ王国の王宮において、青髪の子爵令嬢のクレア・ユングホルツ嬢に意見を求めた。
資料の確認をするためだ。
「私は、殿下のご判断が最善だと思います」
「そうか」
クレア嬢は決断をしなかった。
俺の判断が正しいと言ってくれた。
その途端に、肩の力が抜ける。
間違ってもいい。
そう言われている気がした。
ーー楽だ。
ユリアナ嬢は、違った。
あの人はいつも正しかった。
だから、俺は。
「君の意見で確信が持てた。ありがとう」
「いえ、殿下の考えは正しいですから。あなたは王太子ですので」
「王太子、か。確かにな」
俺はちょっとクレア嬢に笑みを見せる。
すると彼女も微笑み返した。
「ふふ、そういったところ、魅力的です」
「そう言ってくれると嬉しい」
クレア嬢は肯定的に捉えてくれる。
それが俺の心を惹きつけた。
婚約者がいるのにな。
クレア嬢は、迷うことそのものを否定しなかった。
それが、俺にはありがたかった。
「そうだよな」
俺は彼女に対して、そう呟いた。
だからこそ、意見を訊くんだよな。
(俺だって迷うよな)
「クレア嬢、ちょっと良いだろうか?」
何日かして、彼女に意見を求めた。
ちょっと遠慮がちに。
「迷われていますのね」
「ああ」
彼女は俺の様子を察して、優しく微笑んでいた。
少々安心する。
「俺だってただの人間だからな」
先日クレア嬢に言ってくれた事を返した。
「勿論ですよ。迷われるのは、真剣だからだと思います」
クレア嬢は頷きながら俺の事を肯定してくれる。
「私としてはーー」
そして意見を言ってくれた。
俺は楽になった気持ちになる。
「ありがとう。つっかえていたものが取れた気分だよ」
「ふふ、そんな所が私はお好きですよ」
笑顔を見せてくれるクレア嬢。
水が流れるように、俺は楽な方向へ心が向いていく。
「君は縛らないな」
「そんな。私はただ、殿下を尊敬しているだけです」
彼女がそう言ってくれる事に心が温かくなる。
「あのレオポルド殿下、お疲れではありませんか?」
少し経って、業務が終わったタイミング。
そこでクレア嬢は話しかけてきた。
「疲れか。そう見えるのか?」
「はい」
俺では気づかなかったが。
彼女は気がつくのか。
確かに自分の事を気づきにくいってよく言われるが。
「あの、よろしければちょっとだけですが、肩をほぐしてあげましょうか?」
「い、良いのか?」
俺が触ってみると、肩がかなり硬くなっている。
痛みも少々あるようだ。
やはり疲れているのだろうか。
「はい。ただ、殿下がご都合が悪ければ大丈夫ですので」
彼女は、距離を詰めすぎないよう、どこかで気をつけているようにも見えた。
「いや。少しだけ頼む」
ずっとやってもらうと悪いからな。
それに他の侍女に見られると、クレア嬢の居場所が無くなる。
だから少しだけ。
「ありがとうございます」
クレア嬢は俺の肩を揉んでいく。
優しく痛まないように。
「力は大丈夫ですか?」
「いや。丁度良い」
肩のこわばりがじんわりと取れるようだ。
こんなに硬くなっていたなんてな。
「ありがとう」
「いえ、微力ですが子爵令嬢としてお力になれて幸いです」
肩がほぐれると共に、彼女との壁も薄くなっていくようだ。
何でもは言えないものの、多少なら話せると思う。
クレア嬢は一瞬だけ肩を揉む手が止まったものの、すぐに再開する。
「殿下、一人で抱えすぎないでくださいね」
「そうだな」
「私は殿下の支えになれればいいのですから」
クレア嬢は優しい笑みを見せていた。ただ、少し何かを考えているようであったが。
俺はそんな事を気にせず、彼女の優しさを感じていた。
ここでは迷っていい。
それが俺を彼女へと近づけさせた。
優しい意見を貰えるから。
正しいかどうかより、楽な方に流れている気がした。
この日、俺は婚約者のユリアナ嬢に意見を訊いていた。
彼女も公務を手伝ってくれる。
公爵令嬢であり婚約者という立場から、クレア嬢よりも多くのことを行っていた。
それは助かっている。
「これに関して、君はどう思う?」
「殿下、もしかして迷っておられるのでしょうか?」
ユリアナ嬢は俺へはっきりとした目を見せていた。
感情を持たずに。
「そうだ。だから……」
俺の言葉を待たずに、ユリアナ嬢は回答を行った。
「判断は迅速に。迷いを見せるべきではありません」
その回答がそれだった。
正論であるが訊きたい回答とは違っている。
意見を聞きたかったのに。
ただ、ユリアナ嬢の視線はまっすぐで、声に一切の揺らぎを感じなかった。はっきりと芯が通っている。
「分かっている」
俺は少しだけモヤモヤとしながら、ユリアナ嬢へ返事をした。
彼女は平然としながら手伝いを続けている。
(癒してくれたらいいのにな)
クレア嬢みたいに。
ふとユリアナ嬢を見てみると、書類をめくる指先の動きが僅かに硬いようだった。
「殿下は王太子ですわ。民に迷う姿を見せてはなりまあせん」
それでも声はその揺らぎを一切見せていない。
「ああ」
ユリアナ嬢の意見を知りたかったのに。
確かに俺は王太子だ。王となるのに、迷いは禁物とも言えるが。
「そうだな」
ため息を吐きながら、返事をする。
「殿下、お疲れでは?」
「そう見えるのか」
ユリアナ嬢も分かるんだな。
俺の婚約者だ。
何回も見ていたら分かってくる。
「はい。ですが、迷ってはいけません」
彼女ははっきりと、俺に言った。
それでもユリアナ嬢は、一瞬だけ言葉を選んだように見えた。
だから、癒してくれたらいいのにな。
それが、王太子として間違っていることだとしても。
「俺は間違っているのか?」
「いいえ。ただ”迷ったまま進む”ことが、最も危険です」
「ああ、それは正しいな」
俺はユリアナ嬢の言葉に頷く。
「民を迷宮へ誘い込ませてはいけませんのよ」
「分かっている」
彼女は迷わないことが正しいみたいだな。
「だからこそわたくしは、貴方の婚約者として支えなくてはいけませんの。迷わないために」
「そうだな」
ただ、婚約関係という一本の糸だけで繋がっているという状態に思える。
その糸は俺をきつすぎないが、ほどけそうにない。
ああ、悩ましいところだ。
「結婚しても、ずっとそのままか?」
「勿論ですわ」
そうなるよな。
俺が王になっても変わらないな。
ユリアナ嬢は、いつも正しい方向を示していた。
「わたくしは、殿下を好いております」
彼女は柔らかいが揺るがない微笑みを見せた。
「好いているから、迷ってほしくはありません。わたくしは理想の王妃になりたいのです」
理想か。
ユリアナ嬢にとって、俺はどんな王太子や王であった方が良いんだろうな。
間違っていないし、むしろ正しいだろう。
だから彼女が婚約者なんだ。
「レオポルト殿下、少々よろしいでしょうか?」
「どうした?」
ある日、クレア嬢がが話しかけてきた。
俺は彼女と二人きりで話し合うことに。
他の人物に聞かれるのは問題あるから。
「私、怖かったんです」
「何がだ?」
すると最初、クレア嬢は俯きながら、言い淀んでいた。
少しずつ涙を流して、ぽつりぽつりと言葉を発していく。
明らかにただ事じゃ無い。
「責められている気がして。私が、ここにいてはいけないみたいで……」
とても悩んでいて、かなり辛そうにしている。
彼女はどうしてここまで。
「誰に?」
「ううん、私の思いすぎかもしれませんが。空気がどうしても怖い感じで」
確かにそう思うことはありえるだろう。
気まずい気持ちが、自分を追い詰めてしまうというのが。
「気にしすぎるな。大丈夫だ」
クレア嬢に優しく言って、落ち着かせようとする。
「私、殿下のお邪魔でしたか?」
「そんなことはない」
クレア嬢がいてくれるだけで、俺の公務だって少しは楽になっている。
心だって安心できるからな。
「でも、”身の程を知れ”って言われている気がして……」
「それってーー」
完全に一人しか思いつかなかった。
ーー思いついてしまった時点で、答えは決まっていた。
「ち、違います! あの方は私のために言っているのです!」
彼女は正しいことを言っている。
いじめてはいないかもしれない。
「だが」
「私よりも殿下が感情的にならないでください。私のために殿下が動いては、国が大変なことになります」
「……クレア嬢」
「私がここにいるかどうかより、国の方が大切です」
クレア嬢は俺を必死に止めようとしていた。
それはそうだが。
「大丈夫ですから。私、殿下や婚約者様のために王宮を出ますから」
どうしてそこまで俺の事を。それにユリアナを庇おうとしているなんて。
ユリアナよりも考えてくれるのに。
「そんなことをしなくていい。俺が守るからな」
「殿下、婚約者様を傷つけることだけはしないでください」
この状況においても、自分よりも彼女を優先しようとしていた。
「分かった」
クレア嬢は微笑み、涙を拭こうとしていた。
俺はハンカチを渡して、手が汚れないようにする。
大事だからな、君も。
夜、俺は寝室の窓辺で夜風に当たっていた。
眠れなかったから。
寒すぎない、丁度良い風が吹いている。
悩みが大きくなっているのもあるが。
「俺は、ユリアナ嬢と婚約したままで良いのだろうか」
この迷いは、王太子として王としての問題に直結している。
あんなに正しい彼女であるが、それが気づけば圧力になっていた。
彼女には迷いを見せられない。
それははっきりと、心を疲れさせていた。
このままだと、本当に迷ってしまうことになる。
「彼女は正しい」
言葉のひとつひとつに、間違いは無い。
道筋だって見つけてもらっている。
微笑みも完璧だ。
でも、余裕だけを見つけさせてもらえなかった。
「彼女には他にも愛される男性がいるだろう」
無理に俺と縛り続けたって、良くはない。
彼女には彼女の人生がある。
ユリアナ嬢は公爵令嬢だ。
結婚したいと思っている令息は何人だっている。
それに他国だって、狙うだろう。
ならば、見つけられるうちにユリアナ嬢との婚約を破棄したっていいのかもしれない。
「これは、彼女のためだ」
俺はそう思おうと述懐していた。
ただ、本当にそうなのか?
そう思いたかっただけか?
俺が楽な方に考えているだけかもしれない。
水が高いところから低いところに流れるように、俺の心もそうなっているだけなのだろうか。
「ユリアナ嬢……」
彼女は好きだけれども、俺は楽な方を選びたい。
王太子としての判断から逃げているつもりはない。
そう思い込もうとしていた。
「寝よう」
決断したら、眠くなってきた。
ベッドに入って眠りにつく。
この選択が、誰かを傷つけるのだとしても、今は考えないことにした。




