第1話【悪役令嬢は土下座を知らない】
俺は、人生で初めて土下座をした。
(最短で信頼を取り戻すなら、これしかないと思った)
形式も、言葉も、全部捨てる。
”誠意だけを見せる”ーーそのはずだった。
そして、その謝罪は思うようには進まなかった。
過去、別の人物への謝罪時、他の手段は上手くいかなかったからだ。
言葉で謝っただけだと、何か裏があるのではないかと疑われ、贈り物を送ったら、印象操作だと思われてしまった。
だからこそあの日は、土下座しか手段が残されていないと思っていた。
そして行った。
(段取りも、時間も、言葉も)
現実は上手くいかなかった。
「いや、違うな。完璧だった”つもり”なだけだ」
だからこそ、だろう。
とある”成功例”を、俺は知っていた。
だがそれは、物語の中の話だった。
それをあの日、痛感することになった。
時間を空ければ、その分だけ疑いは強くなる。
なら、間を置かずに動くべきだ。
ーーそう判断した。
馬車がとある屋敷の前で停まった。
俺はゆっくりと馬車から降りて、玄関へと向かっていく。
従者はいない。
ペトリコールの匂いが鼻に入ってくる。
雨が降らなければいいが。
扉の前に着いたら、扉を叩いて開くのを待った。
「どちら様でしょうか」
この家の使用人が出てきた。
俺の顔を見ても、見当がついていない様子だった。
使用人は扉を開けた瞬間、わずかに後ずさりして問いかけてきた。
「レオポルドだ」
「え?」
突然言ったからか、気づいていないようだった。
「シュナイエ王国、王太子だ」
”王太子”と言った瞬間、扉の向こうは空気が変化する。
使用人が息を飲んでいるようだった。
「お、王太子殿下……大変失礼いたしました」
使用人の謝罪の後に一瞬だけ静寂が訪れる。
そして、使用人は驚きながら俺を見ていた。
「ほ、本日は、その?」
静寂が破れたのは、使用人の緊張しながらの問いかけだった。
「ユリアナ嬢に会わせてほしい」
彼女は公爵令嬢で、この屋敷に住んでいる。
俺の目的は彼女だった。
(ここで言う。理由も全部)
そう決めていたはずなのに。
喉が、ひどく乾いている。
言葉を思い浮かべるたびに、何かが引っかかる。
ーー言えば、終わる。
何が?
分からない。
だが、言ってはいけない気がした。
「分かりました、中へ」
俺は使用人に案内されて、客間へ。
「王太子がお越しになられたって!?」
「紅茶をすぐに用意しなさい!」
侍女がバタバタと慌てている。
すぐにカップに淹れられた紅茶が出される。
湯気が立っていて、香りが鼻に入ってくる。
だが飲んでいる余裕はない。
椅子に座りながらユリアナ嬢がやってくるのを待っていた。
(ここで失敗するわけにはいかない)
時計の針が動く音だけが耳に入ってくる。
後は俺の深呼吸の音だけ。
(完璧にしないとな)
タイミングを間違えたら失敗する。
(俺は”正しいこと”をしに来た)
「お待たせしましたわ」
しばらくして、やってきたのは、ユリアナ・フォン・ルイッツホーフ嬢。
前に見たときと変わらない姿をしている。
ドレスを着ていて麗しい。
ユリアナ嬢は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を逸らした。
「……そのままで結構です」
距離を詰めようとした瞬間、彼女はわずかに後ろへ下がる。
「近づかないでくださいませ」
拒絶だった。
分かっていたはずなのに、その一歩がやけに遠い。
手を伸ばせば届く距離のはずなのに。
その一歩が、どうしても埋まらない。
「ユリアナ嬢」
彼女は、すぐには口を開かなかった。
一度、呼吸を整えるように間を置く。
「……お話は、伺います」
そう言ったものの、視線は合わせないままだった。
「殿下、本日はどういった……」
俺は彼女の言葉を言い終わらないうちに、床に両手と膝をつけて、頭も床につくくらい身体を折る。
礼服がしわになるが問題ない。
彼女の顔が見えなくなるが仕方が無い。
「どうも、すみませんでした!」
俺はユリアナ嬢に謝罪を行った。
額を床につけながら。
その瞬間、客間は静寂が襲いかかった。
「え?」
ユリアナ嬢のドレスの裾が僅かに揺れる音が聞こえるだけ。
「あの、今、何を?」
表情は見えないものの、使用人は驚いているようだった。
ユリアナ嬢も一歩遅れて驚いていた。
(早すぎたか?)
こういうのは先手必勝だと思ったが。
「殿下?」
「突然、どうしたんですの?」
俺の様子を見ているのだろうか、ユリアナ嬢も使用人も疑問を口にしていた。
「何故そんな事を?」
やがてユリアナ嬢は口を開いた。
困惑が混じったような感じで。
「貴方の礼服も床も汚れますわ」
「…………」
俺はこの状態のままでいた。
誠意を伝えるために。
「それにここは、王宮ではありませんわ」
分かっている。
だからこそだ。
「その姿勢は、どういう意味ですか?」
俺が行っている姿勢に疑問を持っているようだ。
だがさっきの言葉を含めて、ユリアナ嬢は察した。
「謝罪、ですか?」
「……そうだ」
合っている。
だから俺は肯定の返事をする。
「理由を、お聞きしても?」
ユリアナ嬢は落ち着きながらも訊いてきた。
訊きたいのは当然だろう。
ユリアナ嬢はいつも通りだった。
背筋を伸ばし、視線も逸らさない。
ーー完璧だ。
だからこそ、分かってしまう。
カップを持つ指先だけが、わずかに震えていた。
(やめろ)
言葉が喉元まで出かかる。
(それを言ったら)
震えが、止まらなくなる気がした。
(言えない。言葉にした瞬間、全部崩れる)
だが俺は言えなかった。
言葉を探したけれども、見つからなくて失敗する。
「俺の未熟さだ」
そして出てきたのは、抽象的な言葉だった。
だがこれ以上、言葉が出てこない。
しばらく静寂の時間が流れる。
長時間のように俺は感じられた。
「殿下、顔をお上げください」
俺は彼女にそう言われて、ユリアナ嬢の表情を見る。
「わたくしは、殿下が何をされたのかを知りません」
無表情で目を逸られ、返事までに間があった。
俺は何も言えず、ただユリアナ嬢の言葉を聞いていた。
「それは、”わたくしのため”ではありませんよね?」
突き刺さるような鋭い言葉。
ユリアナ嬢は視線を一瞬だけ、床に向ける。
「理由の分からない謝罪は、受け取れません」
感情を持たずに淡々と俺に伝えた。
その場では、何も変わらなかった。
「殿下のは”謝罪”ではなく、ただの自己満足です」
ユリアナ嬢はそう俺に伝える。
「そのような形で謝罪されても、困ります」
冷たい目は俺を拒絶していた。
「帰りなさい」
ため息を吐きながら、ただユリアナ嬢はそう言った。
「…………」
俺は何も言えない。
謝罪だからこそ、何も言えなかったからだ。
「もう一度謝罪に来るのであれば、はっきりとわたくしに理由をお伝えください」
ユリアナ嬢はそう言って、俺の前から離れていく。
俺は立ち上がり、彼女の様子を見ていた。
背筋は完璧に伸びていたが、指先が何となく震えているようだった。
でも、そのまま追いかけることもなく、立ち尽くしていただけ。
離れていくユリアナ嬢は、少し立ち止まるといったためらいはありながらも、振り返ることはなかった。
「紅茶、少々冷めてしまいましたが、飲まれますか?」
使用人はカップを見たまま答える。
「いや、いい」
俺は紅茶を飲むこと無く、屋敷を立ち去ることにした。
馬車に戻るまでの間、額には床の冷たさが残っていた。
外では雨が降り始めている。
そしてユリアナ嬢が言っていた通り、礼服は汚れていた。
謝罪は失敗した。
あの時と同じだ。
庭園で、紅茶を飲んでいた日もーー。
あの時も、気づいていたはずだ。
震えていたことに。
それでも、俺は。
見ないふりをした。
(段取りは決めていたはずなのに)
どうして俺がこんな事をしてもなお、理由を言えなかったのか。
何故、あの謝罪は失敗したのか。
少し前に起きた出来事からだった。
それでも俺は、すぐには理由を言えなかった。
言葉にするには、もう一度ーー現実に向き合わなければならない。
(そうか、やり方が足りなかったのか)
俺は分かった気になっていた。
ーー今にしてみれば、逃げだったのかもしれない。
前世の推しを、現実で傷つけた俺は最低だ。
(間違っているとは、思わなかった)
俺は、彼女が好きだった。
だから、壊した。
一番、取り返しの付かない形で。




