16話 『雪の日に 四』
「久しぶりだな、アル。元気にしているか?」
父上は見慣れた格好をしている。定期討伐をする時の簡易な武装だ。機動力重視で、革製の鎧が最低限の箇所を守っている。
父上の革鎧は長年使い古された物なので、お世辞にも綺麗ではない。枝葉に擦ったり、着脱する時についた細かな傷が、無数に刻まれている。
――そんな、無駄な部分を、俺は観察していた。
頭が停止して、状況が全く理解できない。
目の前に父上がいる。
そのことだけは、理解できた。
よく見ると、父上の他にもいる。
討伐隊の面々も、群衆の中に紛れ込んでいる。
目が合うと、それぞれが笑顔を返してくれた。
湧き出た疑問をそのままに、俺は口を開いていた。
「どうして父上が、こんな所にいるんですか?」
俺の質問に、父上はすぐには答えなかった。
俺の目をジッと見つめながら、重々しい口調で言った。
「アル。先日聞いたんだが……神官の任務として、陛下の護衛をしているというのは本当か?」
父上の言葉に、俺はより困惑が深まるのを感じていた。
……なんで、父上がそんなことを知ってるんだろう?
父上は、こう言っちゃなんだが、田舎のなんちゃって貴族に過ぎない。
王都の情勢なんて、知っているわけがない。
そんな父上が、どうして俺の任務のことを知っている?
俺が言葉に詰まっている間も、父上はずっと俺の目を見続けていた。
「……はい、そうですが」
「ということは……アル、お前もセイレーン領の乱を鎮圧しに来たのか? 少し前にも、神官様が一人来たのだが」
「神官が?」
神官……多分、聖官だろう。
直立する真っ黒な物体に目を向けると、父上はその視線に気付いたようだった。
「ああ。何なのか私にも分からないのだが、あれの中に、神官様はいるはずだ」
「やっぱり、そうですか」
つまりは、あの黒い直方体は聖官の産物という事か。何をしてるんだろう? 意味不明だ。
セイレーン領に真っ先に来て、乱を鎮圧してくれようとしているのは嬉しいのだが……なんだか、あまり頼りにならないような気がする。
……というか、そもそも反乱はどうなったんだろうか?
辺りを見回してみても、特に殺気立った空気は無い。
ひょっとして、既に鎮圧されてるのか?
――と、そこまで考えた所で、俺はある可能性に思い当たった。
なんだ、そういうことか……なるほどな。
セイレーン領で反乱が起こった。そう聞いていたのに、来てみるとそんな様子は無い。
代わりに、なぜか父上と討伐隊の面々――つまりは、エンリ村の中で戦闘能力に秀でた人たちがいた。
導き出される答えは――要は、セイレーン領で反乱が起こったことを聞きつけて、父上たちが先んじて鎮圧してくれた、ということだ。
俺とミーシャさんの婚姻は無くなったとはいえ、エンリ領とシエタ領の付き合いは長い。ミーシャさんを助けるために父上が動いても、なんらおかしくはない。
思考を覆っていた霧が一挙に晴れて、俺は清々しい気持ちで父上の質問に答えた。
「セイレーン領で反乱が起きたと聞いて、それを鎮圧しようと急いで来たんですが、父上たちが既に鎮圧してくれてるとは思いませんでしたよ!」
言いながら、父上に向かって歩み寄る。
久しぶりの再会だ。
二メートルも互いに離れていないで、もっと近くで話そう。
シャリン、という音がした。
父上が、剣を抜いていた。
見慣れた剣。
ずっと昔から、父上が愛用している剣。
「それなら――」
俺に剣を向けながら、父上は続けた。
「神官様は、私の敵だな」
呆然と立ち尽くしている俺を、複数の人間が取り囲んだ。
涼やかな金属音が何度も響き、それと同じ数の剣が、俺に向けられている。
剣を持っているのは、討伐隊の面々だった。
幾度となく言葉を交わしてきた、俺の……なんと言ったらいいのだろう?
友達ではない。かと言って、ただの同僚という言葉で表せるほど、薄い関係じゃない。
俺を可愛がってくれた、気の良いおっちゃんたち。
そのおっちゃんたちが、緊迫した表情で――魔物と相対している時と同じ表情で剣を握り、それを俺に向けていた。
おっちゃんたちの周りを、さらに沢山の人々が取り囲む。
幾重にも、幾十にも、群衆たちは円を作って、俺の周りを取り囲んでいた。
「……父上?」
呆然としたまま、俺は呟いた。
何か意味を込めたわけじゃなかった。
気付けば、口から漏れていた。
けれど、答えが返ってきた。
「反乱の中心は、私だ。神官様が乱を鎮圧しに来たというのなら……例え、それが聖女様の御意思に反するのだとしても――力の限り、反抗させてもらおう」
父上は剣を振り上げた。
微塵の狂いもない、美しい軌跡。
懐かしい太刀筋で、父上の剣が迫ってくる。
父上の剣だけじゃない。
全方位から、討伐隊のおっちゃんたちの剣が振り下ろされる。
それは、無意識だった。
聖国での一年と少し。
突如背後に出現する殺人ゴーレム――そんなのを相手にしてきた俺からしたら……父上の剣は、止まっているように見えた。
左手に碧色の剣が発現し、一瞬後には刃が霧に変性する。
霧は、あっという間に半径二十メートルのドーム型に膨張した。
放電――の直前で、俺は我に返った。
ゴーレムと同じ調子で攻撃しかけていたのを、慌てて修正する。
こんなのを流したら、一般人は死んでしまう。
――放電。
紫電が走る。
俺を取り囲む三桁の人間。
その全員の身体が、同時に強張ったのが見えた。
数秒後……ガチャン、という音がした。
一人のおっちゃんの手から、剣が地面に落ちた音だった。
その音を号令とするように、数多の音が重なって聞こえる。
膨大な数の人が、地面に倒れ伏す音。
それは、山崩れのようだった。
霧の外で、何も分からずに立っている人々。
その中央に立っていたのは、俺と――
「は、ははっ。やっぱり、もう……アルには、敵わないな……」
絞り出すように言って、父上がうつ伏せに倒れた。
ピクリとも動かない。
もちろん、父上は生きている。
四半刻もすれば意識は戻るはずだ。
父上の背中から視線を外して、俺は周りを見渡した。
広場はシンと静まりかえっていた。
身動ぎ一つ、する者はいなかった。
少しでも動いたら、次の瞬間には自分も同じようになるんじゃないか――たぶん、そう思っているんだろう。
何も考えられない。
自分が何をしたらいいかも分からないまま、俺は曇天を見上げた。
……王都の雪雲と、繋がってるんだろうか?
向こうでは既に雪が降っているが、ここではまだ降っていない。
そんな薄黒い空の下、真っ黒な直方体がそびえている。
真っ黒な液体――例えば、墨汁が形を持ったかのような、そんな色。
……あれはなんなのだろうか?
不思議な物体だ。けれど……嫌な感じはしない。
むしろ、初めて見るはずの物体なのに、どこか愛着のような物さえ湧いてくる気がする。
その、真っ黒な直方体が――俺の眼前で、ガラスの様に砕けるのが見えた。
音は無い。
けれども、パリンッという音が聞こえてきそうな様子だった。
瞬間的に亀裂が広がり、同時に直方体は崩壊した。
黒色の破片のほとんどは空中で消滅しているが……その一部は、周りに集まっていた群衆の頭上に降り注ぐ。
悲鳴が上がる。
逃げ惑う人々で、あっという間に場が混乱に包まれた。
とにかく危険から身を守ろうと、互いに互いを押しながら駆けてゆく。
後方から押されれば、バランスを崩す人も出てくる。地面に倒れた人は、一瞬後には群衆の足元に消えた。
大人たちの怒号が響く。
子どもが泣き叫ぶ声が、曇天に木霊している。
――そんな中、俺の視線は一点に釘付けになっていた。
さっきまで黒い物体があった場所。その中央。真っ黒な直方体の中から……現れた者。
二人だった。
一人は、小さな子ども。
真っ白な髪の毛を、大きな青いリボンで、一筋にまとめている。
その少女は、地面に大の字を描いていた。うつ伏せだから顔は分からない。
もう一人は、深紅の全身鎧をまとっている。
リボン少女の正面に、仁王立ちをしている。足の爪先から頭の天辺まで、肌色に露出している部分が無い。顔面も縦格子になっていて……その奥の様子は伺えない。
見た目からしてヤバいのも勿論の事だが、俺の目がソイツに釘付けにされていたのは、別の理由からだった。
――全身鎧を中心として、立ち昇る気配。
俺が過去に出会った中でも、確実に五指に入る大きさだ。
目を離そうにも……離せられない。
堂々たる態度で、仁王立ちをしていた全身鎧は――ふと、何かに気付いたのか、首をゆっくりと捻じった。
目が合った。
同時、全身鎧の輪郭が霞んだ。
それを認識できた時には、既に、俺のすぐ傍に全身鎧が現れていた。
――思ってたよりも、小さいんだな。
そんな場違いなことを思いながら……俺は、何もできなかった。
死んだ、と思った。
全身鎧は拳を振りかぶっていた。
「ぐぼッ!?」
口から血を噴き出して、男が吹っ飛んだ。
いつの間にか、俺の周りに見知らぬ男たちが集まっていた。
四人。
俺ではなくて、そのうちの一人を、全身鎧は殴り飛ばしていた。
いくら油断していたとはいえ、俺に全く気付かれず、こんな近くまで寄ってくるなんて……明らかに普通の人間ではない。
実際、残った三人の男の動きは、常人離れしていた。
けれど、全身鎧の動きは、人間離れしていた。
突如、男が一人消えた。
ワンテンポ遅れて、その男が上空五メートルできりもみ回転していることに気付く。
いつの間にか、全身鎧の右足が持ち上げられてることを勘案すると……どうやら、男のことを蹴り上げたらしい。全く、動きを捉えられなかった。
続けて全身鎧が行ったはずの動作も、俺はそのほとんどを捉えることができなかった。
気付いた時には、俺に迫っていた男たちは、全員が打ち倒されていた。
すぐ近くの地面にめり込んでいる男が二人。
遥か遠くの地面で、鉛筆転がりをしている男が一人。
そして……今、地面に落下してきた男が一人。
とても不思議なのだが……全員、原型を保っている。
全ての作業を終えた全身鎧は、落ち着いた様子で俺に目を向けてきた。
我に返った俺は、慌てて父上を後方に庇う。
……こいつは、聖官なんだろうか?
神官服を着ていたら一発なのだが……鎧しか見えないから、分からない。
だが、王国にいて……これほどの存在感を持つ存在で、教会関係者以外に有り得るだろうか?
俺の視界の中で、全身鎧は緩慢な動きをしていた。
いや、特別動きが遅いのではない。さっきまでの瞬間機動と比較してしまうと、普通の動作でも、じれったくなるほどゆっくりに見える。
俺の方を向いた全身鎧は、両腕を広げて――抱きついてきた。
「アルっ! 会いたかったわ!」
ふわりと、柑橘の香りがした。
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