15話 『雪の日に 三』
陛下の居室を出た俺は、そのまま数歩、真っすぐ進んだ。正面には、窓がある。
ジッと、窓の四辺を観察して……右手に握っている果物に意識が向いた。
唇を押し付けて、一口齧り取る。
甘い味。
コクリと、飲み込んだ所で、後方から声がかけられた。
「どういたしましたか、聖官様」
「四刻ほど外出します。その間、陛下の護衛をお願いしますね」
「あっ、それにつきましては――」
近衛の言葉を聞きつつ、窓枠の二カ所に設置されていた鍵を外す。
そうすると、軽く窓を押すだけで、容易に廊下が外側へと繋がった。
右足を持ち上げ、窓枠の縁に乗せる。
「行儀が悪くて、すみません。……急いでますから」
窓から飛び降りる。
足底と膝、それと腰に魔素を集中。ついでに、身体全体にも魔素を配分しておく。
どんどん地面が近付いてくる。
着地の瞬間、大きな衝撃が生まれた。
身体をバネのように使う。
落下の衝撃を利用して、俺は駆け出していた。
視界を流れる庭園は、緑の帯のように見える。
高速で接近してくる障害物を避けつつ、陛下からもらった果実を齧る。
ちょうど食べ終わった頃、遠くに見えていた城壁が、大きくなってきた。
唯一、壁が途切れている場所は、両開きの門。
常には開いている門は、一部の隙間も無く閉じられていた。
何人かの近衛が、門を守っている。
城壁は目算、高さ十メートル。
勢いを落とさないまま、俺は跳ねていた。
城壁を二歩走ると、視界が一気に開けた。
城壁の上には、唖然とした表情を浮かべる、何人かの近衛。
その向こう側には、閑散とした貴族街。
貴族街の中には、一際巨大な三つの尖塔が見えた。
城壁の上でさらに一歩走って、そのまま向こう側へ飛び込んだ。
王国に来た時、一度通った道を、逆向きに辿る。
いくらもかからずに王都教会に到着した俺は、豪華な意匠の施された扉を跳ね開けた。
一階ロビー、そこに設えてあるソファーに座っていた神官たちが、驚いたように立ち上がる。
「聖石室を使わせてもらいます」
それだけ言って、入り口正面に存在する巨大な扉に、俺は一直線に向かった。
右手に魔素を溜めながら、左手で扉を開ける。
頭上に手を掲げ、青球に向けて放出した。
頭の中で、目的地を描く。
たしか、あの辺りで教会があるのは――
『シュバルツ子爵領』
――
軽く酔った様な感覚と共に、俺は全く同じ場所にいた。
頭上では青球がゆっくりと回転し、円錐状に光線を放射している。
教会の造りは、規模は違えど基本的にはどこも同じだ。
聖石室から出ると、そこは一階のロビー。幾つかのソファーが並んでいて、その内の一脚に、神官が腰掛けていた。
驚いた表情を浮かべている。
それも一瞬で、視線が俺の肩へ流れたかと思うと、直後にソファーから立ち上がった。深々と頭を下げてくる。
「良くぞお越しくださいました、聖官様!」
スキンヘッドが光っている。
「セイレーン領で反乱が起きたと聞き、急ぎ来たのですが……今、同地はどのような状況でしょうか?」
「はぁ? セイレーン領ですか?」
呆けたような声を出しながら、初老の神官は顔を上げた。
「セイレーン領でも、反乱が起こっているのですか? 先ほど、別の聖官様が『エンリ領はどこか?』と聞いた後に、飛び出て行ったのですが……」
「エンリ領?」
思わず、耳を疑った。
別の聖官が……エンリ領?
どうして?
「はい。つい、半刻ほど前に……」
話している神官自身も詳細を分かっていないようで、困惑した表情を浮かべている。問い質しても、意味が無さそうだ。
「分かりました。それでは、私は急ぎますので、失礼します」
言って、俺は教会の出口へと向かう。
背後から「お気を付けて!」という声が聞こえた。
俺は返事をせず、小走りになりながら扉を押し開けた。
扉を抜けると、そこはシュバルツ領だ。
エンリ村近隣の中心都市。
エンリ村と比べるまでもないほどに、道行く人の数は多かった。
シュバルツ領に来るのは、これが初めてだ。『儀式』を終えてエンリ村の領主に着任したら、一度挨拶に訪れる予定だったのだが……当然それは、無かったことになっている。
エンリ領にいた頃は、初めて見るこっちの世界の都会は、どんな感じかな、なんて楽しみにしていたが……。
俺は少しの間立ち止まって、街の様子を見ていた。
エンリ村と比べたら、圧倒的に都会だが……王都には遠く及ばない。
けれど、街に流れる空気は温かい。
王都を覆う緊迫した空気とは正反対で……こっちの方が、活気に満ちている。
俺の眼前を、手を繋ぐ母親と娘の二人組が通り過ぎた。
繋いだ手を揺らしながら、互いに笑顔を浮かべている。
――その光景から視線を切って、俺は土路を駆け抜けた。
――
シュバルツ領からエンリ村までは、馬車で三日。
さらに、エンリ村からセイレーン領までは、馬車で一日だ。
森の中を突っ切ればかなり近道ができるから……全力で走って、セイレーン領までは一刻程度だろうか?
森の中を走りながら、さっき神官が言っていたことを思い起こす。
別の聖官が……なぜか、エンリ村へと向かっている。
――気になる。
気になるが……。
エンリ村で、何か変なことが起こっているとは思えないし……聖官が何かをすることも無いと思う。聖女様は、俺がエンリ村出身だと知ってるしな。
――全てが終わったら、帰りに立ち寄ろう。
そう結論を出して、俺は進路を真っすぐセイレーン領へと向けた。
森を抜け、川を跳び越え、速度を緩めないようにしながら駆け抜ける。
焦れったくなるほどに長い一刻が過ぎる頃。
空に立ち昇る、赤い狼煙。その根本まで、俺は辿り着いた。
セイレーン領……反乱が起こっているはずの街に辿り着いた。
街壁の外からは、怒号や、剣を打ち付け合う金属音などは聞こえてこない。
どうやら……想像していたよりも、酷い事にはなっていないらしい。
ただ――
セイレーン領の街壁は、五から十メートルほどの高さ。その上辺を越えて、ここからも――街の外からも見える構造物がある。
黒い。
直線的な構造をした……ここからは、その全体像は見えないが……あれは、直方体だろうか? 真っ黒な直方体が見えている。
「……何だ、あれ?」
呆然と、俺は呟いていた。
変な物を見慣れてきた俺にとっても、その真っ黒な直方体は、意味不明な存在に見えた。
魔物……ではないだろう。セイレーン領は国王直轄領だ。建物や道に、聖砂を多く使っている。他の街ならともかく、わざわざここに魔物が現れるとは思えない。
ということは、聖官か? あんな『能力』、聞いたこともないが。
まあでも、他の聖官が既に来ているのなら……安心だ。
安堵しつつ、そして首を傾げつつ、俺はセイレーン領の街門へと向かった。
街門は、閉じられる事もなく、大きく開かれていた。
それだけじゃない。衛士が一人もいない。そのことに、まず、俺は違和感を覚えた。
走る速度を緩めて街の中に侵入した俺は、さらなる違和感に襲われることとなった。
……人が、いない。
雪雲に太陽が遮られて、街は暗い。
人の気配が無い街を、陰鬱な空気が満たしていた。
俺は視線を上げた。
そこに鎮座する、真っ黒な直方体を見やった。
……あれが、原因だろうか?
そう思って、俺は、取りあえずその物体へと向かってみることにした。
俺の想像通り、直方体へ向かうという選択は、正しかった。黒い物体に近付くにつれて、そこに人の気配が集まっていることに気が付いた。
ザワザワと、複数人が会話している声が聞こえる。
怒鳴り声とか、そういう不穏な物ではない。どちらかというと、困惑しているような様子だった。
家々の間の土路を歩いて……大きな広場のような場所に抜けた。そこの中央に、真っ黒な直方体は存在していた。
遠くから見た時に想像していたよりも大きい。底面は十メートル四方、高さは十五メートルほどだ。
近くから見てもやっぱり真っ黒で、表面の質感は独特。光をほとんど反射していない。真っ黒な液体が、形を持ってそこにあるようだった。
少しすると、広場の騒めきは次第に収まっていった。皆一様に、突然現れた俺――教会の人間に目を向けている。
広場には、夥しい数の群衆が集まっていた。百や二百人ではない。桁が一つ上。明らかに千人以上はいる。
その中から……三十過ぎの、ちょうど陛下と同じ年ごろの男が一人、前に進み出てきた。
俺は身体を硬直させながら、その男のことを見ていた。
対して、向こうは……それほど驚いてはいないようだった。表情が少し硬いが、足取りに戸惑いは見られない。
俺の正面、二メートルほどの位置で立ち止まって、その男は言った。
「久しぶりだな、アル。元気にしているか?」
強張った笑みを浮かべながら……父上は、そう言った。
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