第3話「隣国の若様、交わる視線」
――前話末尾――
琉成は歩みを進めながら、目の前に広がる泉穂の景色を、ひとつひとつ確かめるように眺めていた。
やがて街道の先に、ひときわ高い山が見えてきた。
青々とした木々に覆われた山は、朝の澄んだ空気の中に堂々とそびえている。その中腹には、周囲の景色を見下ろすように、大きな山城が築かれていた。
朝日が屋根や城壁を照らし、建物の輪郭を鮮やかに浮かび上がらせている。陽の光を受けた城は、まるで山そのものが光を宿しているかのように輝いていた。
「おお……」
思わず足を止めた銀丸が、感嘆の声を漏らした。
その隣では、烈も目を細め、山城を見上げている。険しい山の斜面に築かれた城は、遠目にも堅固な造りであることが窺えた。
「民はあの城を、お天道様の宿る『御陽城』と呼ぶそうですよ」
琉成もまた足を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「御陽城……」
その名を口にしながら、改めて城の姿を見つめる。
「朝日が重なると、あのように見えるのでしょうな」
銀丸は眩しそうに目を細め、しきりに感心していた。
琉成は城の姿を目に焼きつけるように、しばらくその場に立ち尽くす。
やがて視線を少し下げると、山の麓に広がる田畑が目に入った。畑では人々が朝から仕事に励み、街道には荷を運ぶ者や町へ向かう者の姿がある。道沿いに並ぶ家々からは、暮らしの気配が感じられた。
その景色を見守るように、山の中腹には御陽城がそびえている。
「良い名です」
やがて琉成は、静かに息を吐いて呟いた。
その声には、飾り気のない感嘆が滲んでいた。
「杉田殿は、民からの信頼も厚いようですね」
琉成の言葉に、烈が小さく頷いた。
「噂だけでは分からぬこともあります。こうして実際に見ると、よく分かりますね」
「そうですね」
琉成はもう一度、御陽城へ目を向けた。
この地を治める杉田家は、どのような考えを持ち、どのように民と向き合っているのだろうか。
実際に会ってみなければ分からないことは、まだ多い。それでも、ここまで目にしてきた景色は、これから対面する杉田家への印象を確かなものにしつつあった。
琉成は胸の内に浮かんだ思いを静かに収めると、再び街道の先へと目を向けた。
「参りましょう」
その言葉を合図に、烈と銀丸も歩き出す。
三人は山の麓へと続く道を進み、やがて杉田館を目指して歩みを速めていった。
*
しばらく進むと、道の先に杉田館の表門が見えてきた。
御陽城を背にするように構えられた館は、城ほどの威容こそないものの、国主の居館にふさわしい落ち着きと風格を備えている。
門の内側には、すでに家臣たちが整然と並んでいた。家臣たちは皆、背筋を伸ばし、訪れる一行を迎えるために静かに待ち受けている。
琉成も自然と表情を引き締めた。
ここから先は、単なる旅の続きではない。
矢上家の次男として、杉田家と正式に顔を合わせるのだ。
琉成は姿勢を正し、門へと歩み寄った。
門番がこちらに気づき、控えていた家臣へ合図を送る。
やがて、重厚な表門がゆっくりと内側へ開かれた。
琉成、銀丸、烈の三人が門をくぐると、家臣の一人が一歩前へ進み出て、丁寧に一礼した。
「ようこそ、おいで下さいました」
「お迎えいただき、恐れ入ります」
琉成も姿勢を正し、礼を返す。
「矢上家の次男、琉成でございます」
「殿がお待ちです。こちらへどうぞ」
家臣に促され、三人は館の中へと足を踏み入れた。
廊下はきれいに磨かれ、板張りの床には朝の光が差し込んでいる。庭へ目を向ければ、植えられた木々や草花が丁寧に手入れされ、庭石も整然と配置されていた。
館の中には、慌ただしさはない。
行き交う女中や家臣たちは、それぞれの務めを滞りなくこなしながら、琉成たちの姿を認めると足を止め、静かに頭を下げていく。
そのたびに、銀丸は落ち着きなく辺りを見回した。
「立派な館ですなぁ!」
感心を隠そうともせず、思わず声を上げる。
すると、隣を歩いていた烈が慌てて銀丸の肩を軽く小突いた。
「おい! 声が大きいんだよ」
烈は前を歩く案内役の家臣に気づかれないよう、銀丸の耳元へ顔を寄せる。
「お前、ここからは絶対喋るなよ」
銀丸は真剣な顔で頷いた。
「へい……!」
声を落としたつもりらしいが、それでも思ったより大きな返事だった。
烈は額に手を当て、小さくため息をつく。
「だから、声が大きいって……」
「……すまねぇ」
今度こそ銀丸は口を閉じ、きちんと前を向いた。
そんな二人のやり取りを横目に、琉成の口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
旅の間、幾度となく見てきた光景だ。銀丸の遠慮のない言動に烈が振り回されるのも、もはや珍しいことではない。
もっとも、ここは杉田家の館である。
琉成は小さく息をつき、気持ちを切り替えるように前を向いた。
廊下を進むにつれて、周囲の空気も次第に改まっていく。すれ違う者の姿は少なくなり、館の奥へ向かうほど静けさが増していた。
やがて、案内役の家臣が大広間の襖の前で足を止めた。
「こちらでございます」
「ありがとうございます」
琉成は静かに頷いた。
その背後では、銀丸が先ほどまでの様子を改め、口を真一文字に結んでいる。烈もまた背筋を伸ばし、主の後ろに控える者として表情を引き締めていた。
琉成は襖の向こうに思いを巡らせる。
これから対面するのは、この地を治める杉田家の当主だ。どのような人物なのか。何を考え、何を重んじているのか。
確かめたいことは多い。
けれど、まずは礼を尽くし、相手の言葉に耳を傾けることが先だ。
琉成は静かに息を整え、襖の前で姿勢を正した。
家臣がその場に座り、襖を開く支度を整える。
わずかな間が流れた。
その向こうでは、謙造をはじめとする杉田家の者たちが、琉成の到着を待っていた。
*
大広間には、静かな緊張が満ちていた。
上座には謙造が座り、その隣には正室の巴が控えている。少し下がった位置には与一と楓が並び、その後ろには重信の姿があった。
一方、下座には沙耶が座り、その後ろには弥月と雅が控えている。
皆、正面の襖へと意識を向けていた。
誰も口を開こうとはしない。
こうして一同が揃い、矢上家から訪れる客を待つ時間は、いつもより長く感じられた。
沙耶は膝の上に置いた手を見つめ、指先をそっと重ねた。
矢上家の次男として訪れる彼が、どのような人物なのか。父や与一が何を話し、どのような判断を下すのか。気になることは幾つもあった。
その後ろでは、雅が興味を抑えきれない様子で、ちらりと襖へ目を向けていた。
一方、弥月は表情を変えることなく、正面を見据えている。
背筋を伸ばし、微動だにしない。その姿はいつもと変わらなかったが、相手が矢上家の次男である以上、油断するつもりはなかった。
やがて、部屋の外から家臣の声が響いた。
「矢上家次男、琉成様にございます」
その瞬間、広間の空気がわずかに張り詰めた。
謙造は襖へ目を向け、落ち着いた声で告げる。
「お通ししろ」
「はっ」
家臣が襖に手を掛け、ゆっくりと開く。
その向こうに、琉成が姿を現した。
その後ろには銀丸と烈が続いている。三人とも、先ほどまでとは違う引き締まった表情をしていた。
琉成は広間へ入ると、案内された位置まで静かに進み、腰を下ろした。銀丸と烈もその後に続き、琉成のすぐ後ろに控える。
三人が落ち着いたのを見届け、謙造が口を開いた。
「遠路、よく参られた」
琉成は姿勢を正し、丁寧に一礼した。
「矢上家の次男、矢上琉成でございます」
落ち着いた声音だった。
礼を終え、顔を上げた琉成を、沙耶は穏やかな表情で見つめていた。
その膝の上では、重ねた指先がわずかに握られている。表情には出さずとも、初めて正式に顔を合わせる相手への関心が、その小さな仕草に表れていた。
その後ろでは、雅が興味深そうに琉成の姿を見つめている。黙ってはいるものの、好奇心を隠しきれない様子だった。
そして、弥月は表情を変えることなく、正面に座る琉成を見据えていた。
相手の身なりや振る舞いだけで、人物のすべてが分かるわけではない。だが、初対面だからこそ、わずかな仕草や目の動きにも注意を払う必要がある。
弥月の視線には、相手を見定めようとする鋭さがあった。
「表を上げよ」
謙造の声に、琉成は顔を上げた。
そのとき、正面から向けられる視線に気づいた。
わずかに目を動かした先にいたのは、無表情のまま鋭くこちらを見つめる女剣士だった。
飾り気のない装いに、隙のない佇まい。広間に控える者たちの中でも、その存在はひときわ目を引いた。
琉成は一瞬、視線を留めた。
その視線の先で、弥月もまた琉成の目を捉えていた。
二人の視線が交わる。
ほんの一瞬、広間の空気が止まったようだった。
――次話冒頭――
琉成は一同の前で姿勢を正すと、深く頭を下げた。




