第22話「再び敵地へ、鳴り響く蹄の音」
――前話末尾――
館の門を出た弥月は、待たせていた馬に跨がった。千景たちもそれぞれ馬上の人となり、四人は揃って杉田館を後にした。
その頃、青峰館では、館全体に張り詰めた空気が漂っていた。
兵たちが慌ただしく廊下を行き交い、槍や弓を運び、武具を整えている。館のあちこちから、兵たちの短い掛け声や足音が響いていた。
近習詰所へ戻っていた烈と銀丸は、その光景を深刻な面持ちで見つめていた。
「……本当に始まるのか」
銀丸が低く呟く。
烈は館内を行き交う兵たちから目を離さず、重々しく頷いた。
「殿は本気だ」
その一言に、銀丸は口をつぐんだ。
止める者も、諫める者もいない。このままでは、本当に戦が始まってしまう。
銀丸は拳を握りしめ、琉成の居室がある方へ目を向けた。烈もまた、その視線を追うように顔を向ける。
二人の主は、今もこの館に閉じ込められている。
その琉成は、自室の座卓に肘をつき、両手で頭を抱えていた。運ばれてきた膳には、ほとんど手をつけていない。
あの夜から、頭の中を同じ思いが巡り続けていた。
弥月に拒絶されたこと。どれほど言葉を尽くしても、信じてもらえなかったこと。
琉成は顔を伏せたまま、深く息を吐いた。
襖の向こうからは、絶え間なく兵たちの足音が聞こえてくる。武具を運ぶ音に、短く交わされる声。その一つ一つが、ただならぬ事態を告げていた。
「父上……」
思わず漏れた呟きに、琉成は顔を上げた。
「父上は、何をなさるおつもりですか……?」
しばらくして、襖越しに冷たい返事が返ってきた。
「琉成様は、知る必要がございません」
それきり、向こうからは何の声も聞こえなくなった。
父が何を企てているのか、館で何が起きているのか。何ひとつ知らされず、ただ時が過ぎていく。
膝の上で握った拳に、力がこもる。焦りばかりが募るなか、琉成はただ、閉ざされた襖を見つめ続けた。
*
杉田を発った弥月たちは、朝靄の残る街道を馬で駆けていた。
先頭を走る弥月の後ろを、千景、凛、ゆきが続いている。蹄が土を蹴る音と、頬を打つ風の音が絶え間なく響いていた。
しばらく走ったところで、凛が弥月の隣へ馬を寄せた。
「本当に、私たちだけでよろしかったのでしょうか?」
「人数が多ければ、それだけ目立つ。今回は、気づかれずに館へ入りたい」
弥月は前を向いたまま答えた。
千景が続ける。
「宗馬殿は予定通り、国境砦へ向かっております」
「ああ」
弥月は短く応じた。
「烈殿の策、本当にうまくいくでしょうか……」
凛の声には不安が滲んでいた。
弥月はすぐには答えず、街道の先を見据えたまま馬を走らせた。
「……失敗すれば、私が強引にでも連れ出す」
淡々とした口調だった。
凛たちは思わず弥月に目を向けたが、本人はそれ以上何も言わない。やがて手綱を握り直すと、馬の速度をさらに上げた。
その背中を追いながら、凛は小さく息をつく。
弥月が無茶をするつもりなのは、今の言葉だけでも十分に伝わってきた。
それでも、今は立ち止まっているわけにはいかない。
四人は青峰館を目指し、街道をひたすら駆け続けた。
*
太陽が頭上に昇る頃、青峰館の館下町に続く街道脇の木陰で、烈と銀丸は身を潜めていた。
二人は何度も街道の先へ目を向けている。待ち合わせの場所に人影はなく、風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえていた。
「まさか、来ないなんてこと……」
烈が不安げに呟く。
「弥月はそんな奴じゃねぇ」
銀丸は腕を組んだまま、きっぱりと言った。
「来ると言ったら来る。来ねえと言ったら、誰が頼んでも来ねえ」
烈は横目で銀丸を見た。
「あやつ、嫌そうな顔をしてたぞ。凄い剣幕で睨んでたし……」
「だが、話は聞いてくれた」
銀丸はそう返したものの、ふと考え込むように黙り込んだ。
「来ると……言ったよな?」
「重信殿は承知してくれたが、あやつは無言だったような……」
烈の歯切れの悪い返事に、銀丸は眉を寄せた。
そのときだった。
街道の先から、馬の蹄の音が聞こえてきた。
銀丸が顔を上げ、勢いよく立ち上がる。やがて道の向こうから四頭の馬が姿を現すと、その顔がぱっと明るくなった。
「来た!」
銀丸は隣の烈の肩を勢いよく叩いた。
「痛っ!」
烈が顔をしかめるのも構わず、銀丸は木陰を飛び出して街道へ駆け寄った。
「弥月!」
呼びかけに応じ、弥月たちは二人の前で馬を止めた。四人が馬から降りると、弥月はすぐさま烈に向き直った。
「状況は?」
挨拶を交わす間もなく問われ、烈も表情を引き締める。
「兵はすでに国境に向かいました。間もなく、琉玄様と琉真様も出立されるはずです」
「分かった。では、手筈通りに進める。琉成殿を連れ出し、国境へ向かう」
弥月の言葉に、烈は懐から折り畳んだ地図を取り出した。
「もう一度、確認しておきましょう」
地面に地図を広げ、烈は館の配置を指でなぞった。
「裏門から入り、ここを通って若様の部屋へ向かいます。裏門には見張りがいて、北東と北西の櫓にも二人ずつ。その他の配置は、ここに記してある通りです」
弥月は身をかがめ、地図に目を落とした。
「千景、ゆき。二人は塀を越えて中へ入り、まず東西の櫓を押さえてくれ。その後、周囲の見張りを」
「御意」
千景とゆきが頷いた。
「裏門は私と凛が開ける。二人が櫓を押さえたことを確認してから動く」
「承知しました」
凛も短く答えた。
弥月は次に烈と銀丸へ目を向ける。
「お前たちは正面から入り、ここにいる二人と、こちらの四人を押さえてくれ。その後は、この場所で周囲を警戒してほしい」
「承知」
烈が頷く。銀丸も真剣な面持ちで続いた。
「任せとけ」
「私は裏から琉成殿の部屋へ向かう。救出したら、街道の分岐点で合流する。そのまま国境へ向かうぞ」
弥月は一同を見渡した。
「いいな。状況が変われば、無理に動くな。騒ぎになるのが一番まずい。危うくなったら撤退しろ」
「御意」
一同の返事が重なった。
打ち合わせを終えると、それぞれが馬へと戻った。千景とゆきは先に木々の間へ姿を消し、烈と銀丸も決められた持ち場へ向かうために馬首を巡らせる。
弥月は凛と目を合わせ、小さく頷いた。
兵はすでに国境へ向かっている。残るは、琉玄と琉真が館から出るのを待つだけだ。
二人が出立し、館の警備が手薄になったところで動く。
弥月は青峰館の方角を見据え、手綱を握り直し馬を走らせた。
――次話冒頭――
青峰館の外壁へ、二つの影が近づいていた。




