第23話「緊迫の脱出劇、震える肩」
――前話末尾――
弥月は青峰館の方角を見据え、手綱を握り直し馬を走らせた。
青峰館の外壁へ、二つの影が近づいていた。
木陰に身を伏せた千景とゆきは、周囲の様子を窺いながら、見張りの動きをじっと見定めていた。やがて兵の一人が外へ目を向けたのを確認すると、千景が腰に下げた鉤縄を取り出す。
縄を壁の上へ掛け、手応えを確かめてから、二人は音を立てぬよう慎重に壁を登った。
先に上へ出た千景は、北西の櫓へと身を寄せる。見張りの兵が背を向けた瞬間を逃さず、その背後へ忍び寄った。
次の瞬間、千景の手刀が兵の首筋へ入る。兵は声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
ほぼ同時に、北東の櫓でもゆきが動いていた。こちらも見張りの背後へ回り込み、一撃を加えて静かに倒す。
二人は倒れた兵を物陰へ寄せると、周囲に異変がないことを確かめ、次の持ち場へと向かった。
*
一方、主殿の表側では、烈と銀丸が兵たちに紛れ、何食わぬ顔で門番の前を通り過ぎようとしていた。
二人が門番の脇を抜けた、その瞬間だった。
烈と銀丸は同時に振り返り、それぞれ門番の腕を掴んだ。相手が声を上げる間も与えず、そのまま建物の中へと引きずり込む。
扉が閉じられると、銀丸が素早く閂をかけた。
二人は顔を見合わせ、言葉を交わすことなく頷き合う。ひとまず、正面からの侵入路は確保できた。
*
その頃、裏門では弥月と凛が身を潜めていた。
二人は周囲を見回し、見張りの位置と動きを確認する。やがて弥月が指先で合図を送ると、凛は小さく頷き、反対側へと回り込んだ。
次の瞬間、二人は同時に動いた。
弥月が一人の兵を背後から押さえ込み、凛がもう一人を倒す。声を上げられる前に二人を物陰へ運び込むと、弥月は裏門へ手を掛けた。
慎重に戸を開き、中の様子を確かめる。
その先に、兵の姿はなかった。
「行くぞ」
弥月は凛に短く告げると、主殿の中へ足を踏み入れた。凛もすぐさま後に続き、二人は琉成の部屋を目指して廊下を進んでいく。
*
閉ざされた部屋の中で、琉成はじっと外の様子を窺っていた。
先ほどから、館内を行き交う足音が増えている。普段とは明らかに違う気配に、何かが起きているのだと感じていた。
そのとき、襖の向こうにいる家臣の声が響いた。
「貴様、何者――」
言葉は途中で途切れた。
直後、襖が静かに開く。
琉成は驚いて顔を上げた。そこに立っていたのは、思いもよらぬ人物だった。
「弥月殿……!」
思わず立ち上がり、目の前の姿を見つめる。
「何故、あなたがここに……?」
問いかける琉成に、弥月は説明する間も惜しむように告げた。
「話は後だ。急げ」
その言葉を聞く間もなく、琉成は弥月を強く抱き寄せた。
「おい! 何をする!」
突然のことに、弥月は驚いて身を強張らせる。咄嗟に引き離そうとしたが、琉成の肩が小さく震えていることに気づき、その手が一瞬止まった。
思いがけない再会に、安堵がこみ上げたのだろうか。
弥月には、琉成の胸の内までは分からなかった。それでも、今は振りほどくことができず、ほんの一瞬だけ身体の力を抜いた。
「も、申し訳ありません……」
我に返った琉成が慌てて腕を解く。
弥月は気まずさを振り払うように背を向けると、何事もなかったかのように歩き出した。
「ついて来い」
それだけ告げて廊下へ出る。琉成は戸惑いを残しながらも、すぐにその後を追った。
*
廊下を進んでいた弥月が、不意に足を止めた。
凛もその気配を察し、すぐさま立ち止まる。
奥から複数の足音が近づいていた。巡回の兵が二人、こちらへ向かっている。
弥月が凛へ目を向けると、凛は小さく頷いた。
やがて兵たちが角を曲がり、姿を現した。
その瞬間、凛が一人の口を塞ぎ、背後へ引き込む。弥月も同時に踏み込み、もう一人の懐へ飛び込むと、刀の柄を鳩尾へ叩き込んだ。
「ぐっ……」
兵は声にならない息を漏らし、その場に崩れ落ちる。
凛も相手を静かに床へ寝かせると、弥月と目を合わせた。
一連の動きに、琉成は息を呑んでいた。
弥月たちがこれほど危険を冒してまで自分を救い出そうとしている。その事実を、目の前で突きつけられたような気がした。
弥月は倒れた兵を壁際へ寄せると、琉成へ振り返った。
「行くぞ」
琉成はすぐに頷き、再び二人の後に続いた。
*
主殿の裏口へ辿り着くと、弥月は戸をわずかに開け、外の様子を窺った。
人の気配はない。
「今だ」
弥月、凛、琉成の三人は、素早く外へと抜け出した。
だが、裏口から離れようとした矢先、遠くから再び足音が聞こえてきた。
弥月は足を止め、暗がりの向こうへ目を凝らす。巡回の兵が三人、こちらへ向かってくるのが見えた。
「……誰かいるぞ」
兵の一人が声を上げる。
気づかれた。
弥月はすぐさま二人を振り返った。
「走れ!」
琉成と凛が駆け出す。弥月はその後ろにつき、追手を食い止めるために足を止めた。
「待て!」
兵たちが追いすがる。
弥月は反転して刀を抜いた。斬りかかってきた兵の刃を受け流し、その勢いを利用して柄を鳩尾へ叩き込む。
一人目が地面へ崩れ落ちると、二人目が槍を構えて迫った。
弥月は身を翻して攻撃をかわそうとした。だが、その瞬間、傷の残る右肩に鋭い痛みが走る。
「……っ!」
動きがわずかに鈍った。
その隙を逃さず、槍の穂先が再び迫る。弥月は間一髪で身を引いたものの、次の一撃をかわす余裕はなかった。
そこへ、凛が横から飛び込み、兵の足を払った。
兵が体勢を崩したその隙に、弥月が踏み込み刀の峰を叩き込んだ。
兵が倒れる。
残る一人が弥月へ向かってくると、弥月は痛む肩をかばいながら刀を構え、鋭い眼差しで相手を睨みつけた。
その気迫に押されたのか、兵の足が一瞬止まる。
弥月はその隙を逃さず、後ろへ飛び退いた。
「凛!」
「はい!」
二人はすぐさま駆け出し、先で待つ琉成に追いついた。
背後から怒号が響き渡る。
「侵入者だ! 若様を連れて逃げたぞ!」
たちまち館内にざわめきが広がり、兵たちの慌ただしい足音が重なっていく。
*
青峰館の裏門の外には、三頭の馬が繋がれていた。
弥月が一頭へ飛び乗り、凛も続いて馬上へ身を置く。
琉成は馬に乗る前に、ほんの一瞬だけ振り返った。
目に映ったのは、兵たちが行き交い、騒然となった青峰館の姿だった。
「急げ!」
弥月の声に、琉成は我に返ったように頷き、残る一頭へと跨がった。
三頭の馬が一斉に駆け出す。
蹄が地面を打ち、土煙が舞い上がる。三人の姿は、たちまち青峰館から遠ざかっていった。
その直後、館から鐘の音が鳴り響いた。
――次話冒頭――
青峰館に、けたたましい警鐘が鳴り響いた。




