第21話「残る悔恨、意を決す」
――前話末尾――
重信は黙って耳を傾け、時折短く問いを返す。烈と銀丸も、必要なことを一つずつ説明していった。
やがて話を終えた二人は、重信に一礼し、屋敷を後にした。
二人が去り、屋敷に再び静けさが戻った頃。
重信は居室の畳に横たわり、静かに目を閉じていた。身体にはまだ傷の痛みが残っている。無理をすべきではないと分かってはいたが、考えなければならないことは山ほどあった。
やがて、襖の向こうから声がかかる。
「父上」
重信はゆっくりと目を開け、身体を起こした。
「入れ」
襖が開き、弥月が姿を現す。父の前に座ると、いつものように背筋を伸ばし、口を開いた。
「明朝、宗馬が警固衆の半数と杉田の兵を率いて、国境砦へ向かいます。館は守備を強化し、館下町には残りの警固衆を向かわせる手筈です」
重信は娘の報告に耳を傾けていたが、ふと、その先を促すように問いかけた。
「……お前はどうするのだ?」
弥月は一瞬だけ目を伏せた。言葉を選ぶような間があったものの、やがて顔を上げる。
「私は……千景とゆき、凛を連れて、矢上へ向かいます」
「……そうか」
重信は娘の顔をじっと見つめた。
弥月は迷いを振り切るように、真っ直ぐに父を見返した。
「杉田のためです。戦を止めねばなりません」
その声には、確かな決意がこもっていた。
だが、言葉はそこで途切れた。
弥月はわずかに視線を逸らし、ためらうように口を開く。
「それと……」
重信は何も言わず、娘の言葉を待っていた。
「琉成殿には、まだ聞かねばならぬことがあります」
言い終えると、弥月は父の顔を見ようとしなかった。
重信はそんな娘をしばらく見つめていたが、やがて口元をほんの少し緩めた。
「そうか」
その声に含まれたものを察したのか、弥月は気まずそうに目を逸らした。
「では、支度があります故、これにて」
いつもより早口にそう告げると、弥月は立ち上がり、父に一礼した。そのまま足早に部屋を出ていくと、襖が静かに閉じられた。
重信は、しばらくその襖を見つめていた。
やがて、口元にかすかな笑みが浮かぶ。
娘が何を思い、何を確かめようとしているのか。そのすべてを聞かずとも、父には分かることがあった。
*
翌朝。
朝日が差し込む杉田館の大広間には、いつになく重い空気が漂っていた。
上座には謙造が座り、その少し前に与一が控えている。下座には沙耶、その手前には弥月が座り、さらに後ろには千景、凛、ゆきの三人が控えていた。
謙造はしばらく弥月を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「本当に行くのだな」
「はい」
弥月は迷いなく答えた。その返答を聞き、与一が厳しい眼差しを向ける。
「矢上は敵地だ。容易なことではないぞ」
「承知しております」
弥月の声に揺らぎはなかった。
一方、沙耶は不安を隠せない様子で、じっと弥月を見つめている。何か言いたげな表情を浮かべていたが、口を開くことはなかった。
謙造はしばし黙っていたものの、やがて弥月を真っ直ぐに見据えた。
「弥月。危ういと思うたら、すぐに退け。これは命だ。よいな?」
「……御意」
弥月は深く一礼した。
謙造はその姿を見届けると、それ以上は何も言わなかった。引き止めたところで、弥月の決意が変わることはないと分かっていたからだ。
やがて弥月は立ち上がり、千景たちを伴って大広間を後にした。
廊下へ出ると、一行はそのまま館の出口へ向かって歩き始めた。すると、背後から慌ただしい足音が追いかけてくる。
「弥月!」
呼び声に、弥月が足を止めて振り返った。
駆け寄ってきたのは沙耶だった。
「先に行ってくれ」
弥月が声をかけると、千景、凛、ゆきは沙耶に一礼し、そのまま先へ進んでいった。
三人の姿が廊下の向こうに消えるのを待ってから、弥月は沙耶に向き直った。
「どうした?」
「ずっと、気になってたの。あの日以来、弥月と会えなかったから」
沙耶は弥月の顔を見つめた。再会できた安堵と、ずっと胸に抱えていた不安が入り交じった眼差しだった。
「与一殿に休めと言われて、屋敷にいた」
「重信様のご容態は? 弥月も、まだ怪我が治っていないんでしょう?」
案じる声に、弥月は右肩へ意識を向けた。傷はまだ癒えきっていない。けれど、それを沙耶に悟らせるつもりはなかった。
「父上は安静にしておれば問題ない。私も、この通りだ」
そう言って右腕を動かしてみせる。動かした瞬間、肩に鈍い痛みが走ったが、弥月は顔色ひとつ変えずに腕を下ろした。
「だから、案ずるな」
「……分かった」
沙耶は小さく頷いた。それでも心配は尽きないのか、弥月から目を離そうとしなかった。
その様子を見て、弥月はふと尋ねた。
「……あの男が気になるのか?」
沙耶の瞳が揺れた。
すぐには答えられず、唇を結ぶ。やがて、意を決したように顔を上げた。
「私は……琉成様を信じたい」
小さな声だった。
「これまでのことが、全て偽りだったなんて思いたくないの」
その言葉を聞き、弥月は静かに息を吐いた。
琉成が自分のもとを訪れたときの姿が、脳裏をよぎる。必死に何かを伝えようとしていた彼の言葉を、あのときの自分は受け入れられなかった。
それでも、烈と銀丸から聞いた話が、胸の奥に小さなしこりを残している。
「……分かってる」
弥月は沙耶を見つめた。
「連れてくるから、待ってろ」
沙耶は頷きかけたものの、すぐに表情を曇らせた。
「でも……弥月が戻ってこないのは、嫌だよ」
声がかすかに震えた。
弥月は何も答えず、沙耶を見つめた。いつもは気丈に振る舞う沙耶が、今は不安を隠しきれずにいる。
やがて弥月はわずかに視線を伏せると、そっと腕を伸ばし、沙耶を抱き寄せた。
腕の中で、沙耶の身体が小さく震える。
弥月はその背に手を添え、低い声で告げた。
「必ず戻る」
短い言葉だった。それでも、そこには沙耶を案じる気持ちと、必ず帰るという確かな決意が込められていた。
しばらくして、弥月はそっと腕を解いた。
沙耶は何かを言おうとしたが、結局、言葉にはならなかった。
弥月はそんな沙耶に一度だけ目を向けると、踵を返して歩き出した。
沙耶はその背中を、ただ静かに見送った。
館の門を出た弥月は、待たせていた馬に跨がった。千景たちもそれぞれ馬上の人となり、四人は揃って杉田館を後にした。
――次話冒頭――
その頃、青峰館では、館全体に張り詰めた空気が漂っていた。




