第20話「捨身の来訪、隠せぬ動揺」
――前話末尾――
その頃、館の内では兵を集める準備が進められていた。琉玄の命のもと、戦へ向けた動きが着々と形になり始めていた。
翌朝、青峰館の近習詰所では、烈が腕を組み、縁側に腰を下ろしていた。
その傍らを、銀丸が落ち着かない様子で何度も行き来している。庭へ目を向けては、館の奥へと視線を戻す。その動きには、焦りがありありと表れていた。
「殿は……戦を始めるつもりなのか……」
銀丸がぽつりと呟いた。
烈はすぐには答えず、腕を組んだまま庭を見つめていた。やがて、重い口を開く。
「そうだろうな。もう婚儀どころの話じゃない」
「若様は、戦など望んではおらぬのに……」
「そんなことは分かってる」
烈は短く答え、再び庭へ目を向けた。
館の中には、昨日までとは違う張り詰めた空気が漂っていた。廊下を行き交う兵の姿も増え、普段なら聞こえてこない指示や足音が、方々から響いている。戦支度が始まっていることは、二人にも明らかだった。
銀丸がようやく足を止めた。
「若様に知らせねば」
「無理だな。部屋の前には見張りが立ってた」
烈は苦々しく顔をしかめた。琉成が軟禁されている以上、こちらから近づくことさえ難しい。
「何か手はないか……」
銀丸の問いに、烈は答えられなかった。
二人は黙り込んだまま、しばらく考えを巡らせる。やがて銀丸が、思案するように口を開いた。
「我らに手を貸す者はおらぬか?」
烈は苦い顔で首を振った。
「下手したら首が飛ぶ。殿に逆らえる奴はいないだろう……」
「琉真様は、話を聞いて下さらぬだろうか?」
「あの人は……殿と近い考え方をしてるからな」
銀丸は考え込むように俯いた。ほかに頼れる者はいないかと、懸命に思いを巡らせているようだった。
やがて、何かを思いついたように顔を上げ、烈をじっと見つめる。
「何だよ……」
訝しげに眉を寄せる烈に、銀丸はためらいなく告げた。
「……弥月は?」
「はあ?!」
烈は思わず声を上げた。
だが、銀丸は動じることなく続ける。
「この館に頼れる者がおらぬなら、あいつらを頼る他ないだろう」
「いやいや、お前、状況分かってるのか? この館で襲撃されたばかりなんだぞ。何で我らに手を貸すんだよ。即刻、首を刎ねられるだけだ」
烈は呆れたように言い返した。敵地へ赴き、助力を求めるなど、正気の沙汰ではない。
しかし、銀丸は首を傾げた。
「何故だ。杉田殿の助けにもなる話だ」
「お前……それは……」
烈は言葉を詰まらせた。
銀丸の言う通りだった。
琉玄が兵を動かせば、杉田にも再び戦火が及ぶ。今ここで動かなければ、琉成の身だけでなく、杉田の人々まで危険に晒すことになる。
銀丸は烈の顔を見据え、さらに言葉を重ねた。
「若様は杉田へ赴き、弥月と話しているはずだ。無事に戻られたではないか。他に手はないだろう」
烈は額に手を当て、深いため息をついた。
しばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりと顔を上げる。
「これは矢上への裏切りにもなる。杉田へ行ったとて、生きて戻れるとも限らん。我らは危うい橋を渡ろうとしているんだぞ」
銀丸は黙って烈を見返した。
「覚悟はあるのか?」
問いかける烈の声には、先ほどまでの軽さはなかった。
銀丸は迷うことなく頷いた。
「若様の助けになるなら」
その言葉に、烈は小さく息を吐いた。もはや引き返せない。そう覚悟を決めるように、二人は静かに顔を見合わせた。
*
その頃、琉成の居室では、琉成が机に向かい、筆を走らせていた。
書状を書き終えると、筆を置き、墨が乾くのを待つ。やがて紙を丁寧に折りたたむと、立ち上がって襖の前へ向かった。
「烈と銀丸を呼んでください」
襖の向こうに控える家臣へ声をかける。
しかし、返ってきたのは冷ややかな返答だった。
「申し訳ございません。誰もお通しすることは出来ません」
琉成は襖を見つめたまま、しばらく動かなかった。
やがて小さく息を吐き、手にした書状へ目を落とす。そこに記した言葉を誰かに託すことさえ、今の自分には許されない。
琉成は書状を握り潰すこともなく、ただ静かに机へ戻った。
*
その夜、矢上領の街道を二頭の馬が駆け抜けていた。
烈と銀丸である。
月明かりが照らす街道を、二人は一心に馬を走らせていた。背後を振り返ることはない。行く手に何が待ち受けていようとも、今はただ、先へ進むしかなかった。
「はっ!」
烈が馬を急かす。
蹄の音が夜の静けさを破り、二人の姿はやがて闇の向こうへと消えていった。
*
翌朝、重信の屋敷には穏やかな朝の光が差し込んでいた。
縁側には重信の姿があった。傷を負った身体を気遣うようにゆっくりと腰を下ろし、庭を眺めている。顔にはまだ疲労の色が残っていたが、こうして外の空気に触れられるまでには回復していた。
そこへ廊下を歩いてきた弥月が姿を見せた。
重信を見つけた瞬間、その足が止まる。
「父上!」
弥月は慌てて駆け寄った。
「何をしているのです! まだ起きては――」
「そう騒ぐな」
重信は苦笑を浮かべ、娘を見上げた。
「寝てばかりおるのも辛いのだ」
「ですが、あれほどの傷を負って……!」
「動かねば傷も開くまい」
「……父上」
弥月は言葉を失い、顔を伏せた。無事に戻ってきた父を前にしても、あの時の光景が脳裏から離れない。
しばらくして、ためらいがちに口を開いた。
「あの時、私が……私が――」
「私が油断した」
重信は娘の言葉を遮った。
弥月が顔を上げると、重信は真っすぐにその目を見つめていた。
「お前は、お前のやるべきことを成し、姫を守り切った。我らは互いに最善を尽くしたのだ。そうだろう?」
「ですが……」
なおも言い募ろうとする弥月に、重信は静かに首を振った。
「娘を守れぬ父になど……なりとうはない」
そう言って、重信は庭へ目を向けた。
朝の風が木々を揺らし、葉擦れの音が二人の間を通り抜けていく。
「間に合って良かった。心から、そう思う。二度も同じ目に遭うなど……御免だ」
「父上……」
弥月はそれ以上、何も言えなかった。
その時、庭先から下男が近づいてきた。重信の前まで来ると、恭しく一礼する。
「重信様、矢上家の烈という者がお会いしたいと」
弥月の表情が一変した。
「何だと……」
鋭い目をして勢いよく立ち上がる。
「父上、私が追い払って参ります」
「待て、弥月」
重信が静かに呼び止めた。
「話を聞こう」
「何故です! あいつらは敵なのですよ!」
「だからこそだ」
重信は娘を見据えた。
「相手は捨て身でこの地へ馳せ参じたのだ。話ぐらい聞いてやっても良かろう」
「父上……!」
弥月は不満を隠そうともせず、重信を見つめた。だが、重信の表情は変わらない。
「その者をこちらへ」
重信が下男へ命じる。
「かしこまりました」
下男が一礼して去っていくと、弥月は渋々その場に腰を下ろした。腕を組み、いかにも納得がいかないという顔で庭先を睨んでいる。
「騒ぐなら離れていろ」
「……はい」
弥月は短く返事をしたものの、不満げな表情は消えなかった。
やがて、再び下男が姿を見せた。その後ろには烈と銀丸が続いている。
下男が一礼して去ると、弥月は二人を鋭く見据えた。
烈と銀丸はその視線を受け止めながら重信の前まで進み、揃って膝をついた。
「無礼を承知で推参いたしました。通してくださり、誠にありがたく存じます」
重信は二人を見下ろした。
「其方らとは知らぬ仲ではないが、この状況である故、歓迎は出来ぬぞ。手短に話せ」
「はい」
烈は顔を上げた。
「此度の件、若様は何も知らされておりませんでした。我らも気付いた時には、既に事が始まっており……。姫様を歓迎する場で、このような事が起きるとは思いも寄りませんでした。お信じいただけぬとは存じますが、誠のことにございます」
重信は何も答えず、烈の目をじっと見つめていた。
烈もまた、目を逸らすことなく言葉を続ける。
「若様は謝罪をするため、先日、単身で杉田へ赴きました。ですが、そのことで琉玄様のお怒りを買い、今は館の一室に軟禁されておられます」
弥月の表情が強張った。
琉成が、あの後どうなったのか。気にかけていなかったわけではない。だが、敵となった男を心配する必要などないと、自分に言い聞かせていた。
重信は静かに頷いた。
「そうか……」
「それと……琉玄様が兵の準備をしております」
烈の声が低くなる。
「整い次第、泉穂国へ進軍なされるおつもりです」
重信の表情が変わった。
「何だと……」
「止められるとすれば、若様しかおりません。ですが、若様には近付くことも出来ず……。おそらく若様も、琉玄様のお考えをご存知ないはずです」
烈が言い終えると、隣にいた銀丸が深く頭を下げた。
「無礼を承知で申します。我らに手を貸して頂きたい」
重信は二人を見つめたまま、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「私も、琉成殿には恩義がある」
弥月の視線が重信へ向いた。
「私が杉田へ戻れたのは、琉成殿のおかげなのだ」
弥月の目が、わずかに揺れた。
重信はあの時のことを思い返すように、ゆっくりと言葉を続ける。
「誠の敵であるならば、あの場で私を討てばよい話……。それをせず、兵を退かせた」
「……どういう事ですか……?」
弥月の声がわずかに震えた。
「お前が館を出た後、琉成殿がお見えになったのだ。それ故、私はあの場から逃れることが出来た」
弥月は俯いた。
握り締めた手に、少しずつ力がこもっていく。
私は敵ではないと、琉成は確かにそう言った。だが、弥月はその言葉を信じなかった。
重信はそんな娘の様子を一瞥した後、烈へ目を向けた。
「……私は動けぬ故、無謀な真似は出来ぬ。何か策はあるのか?」
「はい」
烈は頷くと、重信へと策を話し始めた。
重信は黙って耳を傾け、時折短く問いを返す。烈と銀丸も、必要なことを一つずつ説明していった。
やがて話を終えた二人は、重信に一礼し、屋敷を後にした。
――次話冒頭――
二人が去り、屋敷に再び静けさが戻った頃。
重信は居室の畳に横たわり、静かに目を閉じていた。




