第19話「分かつ二人、届かぬ想い」
――前話末尾――
そこには、琉成が立っていた。
二人の視線が交わる。
夜の静けさの中、道場には張り詰めた沈黙が満ちていた。
弥月は険しい眼差しで琉成を睨みつけると、手にしていた木刀を脇へ投げ捨てた。傍らに立て掛けてあった刀を抜き放ち、一気に間合いを詰める。
鋭い切っ先が、琉成の喉元に突きつけられた。
「……貴様、死にたいのか」
弥月は刀を構えたまま、琉成の背後へ目を向けた。
「外には兵がいたはずだ。ここまでどうやって来た?」
「兵に見つからず、館を出入りするのは慣れていて……」
琉成は怯むことなく弥月を見つめていた。やがて、その視線が血の滲む右肩へと落ちる。
「怪我をされたのですか……」
「白々しい」
吐き捨てるように言った弥月に、琉成はわずかに表情を曇らせた。それでも目を逸らすことなく、慎重に言葉を続ける。
「重信殿のご容態は……」
その名を聞いた弥月の眉が、ぴくりと動いた。
「貴様……どういうつもりだ?」
「あなたと話をしたくて参りました」
「話すことなどない」
間髪入れずに返された言葉にも、琉成は引き下がらなかった。
「どうか、私の話を聞いてください」
弥月の手が動き、刀の切っ先がわずかに琉成の喉元へ近づく。
「私は、お前を殺しかねない。……消えろ」
「このまま戻る訳にはいきません」
「……消えろと言った」
低く押し殺した声が、道場に響いた。
それでも琉成は動かなかった。何かを言おうと口を開きかけたものの、弥月の冷たい眼差しを前に、言葉を探すように唇を結ぶ。
しばらくの沈黙の後、弥月は刀を引いた。
足元に落ちていた鞘を拾い上げ、刀を納める。もう話すことはないと告げるように琉成に背を向け、そのまま道場の出口へ向かった。
「ならば!」
背後から響いた声に、弥月の足が止まった。
「ならば、どうすれば……!」
琉成の声が震えていた。
「どうすれば、あなたは……私の言葉に耳を傾けてくださるのですか……!」
張り詰めていたものが、ついに堪えきれなくなったかのような声だった。
それでも弥月は振り返らない。
「何故、私がお前の弁明など聞かねばならん」
「私は言い逃れをしようなどとは考えておりません!」
琉成が一歩、弥月へ近づいた。
「父を止められぬのも私の責。ただ、私はあなた方の敵ではない。それだけは……信じてほしい」
その言葉を受け、弥月はゆっくりと振り返った。だが、向けられた眼差しに温もりはなかった。
「お前の父は沙耶を狙った。それは変えようのない事実だ。……その息子であるお前の、何を信じろと言う」
琉成は言葉を失った。
握り締めた拳に力がこもる。何かを返そうとしても、弥月の言葉を覆すものは何一つなかった。
弥月はそんな琉成を見据え、冷ややかに告げた。
「首を刎ねられぬ前に消えろ。ここにはお前を歓迎する者などおらん」
琉成はしばらくその場に立ち尽くしていた。
月明かりが差し込む道場には、二人の間に残された沈黙だけが横たわっている。
やがて琉成は深く一礼すると、踵を返した。足音を忍ばせるようにして、静かに道場を後にする。
遠ざかっていく足音を、弥月は黙って聞いていた。
やがて入口から目を離し、足元に転がった木刀を拾い上げる。その手はわずかに震えていた。再び構えようとしたところで、右肩の傷がずきりと疼いた。
「っ……」
思わず息を詰め、弥月は木刀をゆっくりと下ろした。傷口を押さえる手に力が入る。痛みが引くのを待っても、すぐには再び構えることができなかった。
*
翌朝、青峰館の広間では、琉玄が険しい顔で琉成の帰りを待っていた。
その前には烈と銀丸が控えている。二人とも顔を伏せ、主の機嫌を窺うように落ち着かない様子で座っていた。
「も、申し訳ございません……」
烈が深く頭を下げる。
「若様に頼まれたとはいえ、我らも手を貸してしまい……」
隣にいた銀丸も、慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません……」
琉玄は二人を鋭く睨みつけた。
「琉成が戻らねば、お前たちもただでは済まんぞ」
「は、はい……!」
二人が身を縮めた、その時だった。
広間の入口から足音が響き、琉成が足早に姿を現した。
烈と銀丸が顔を上げる。
「若様……!」
二人の姿を認めた琉成は、すぐさま琉玄の前へ進み出ると、膝をつき深く頭を下げた。
「父上、この者たちに責はございません」
琉玄の顔が、いっそう険しくなる。
「私が頼んで手を貸してもらったのです。罰するのであれば、私だけにしてください」
琉成は頭を下げたまま、父の返答を待った。
やがて琉玄が、ゆっくりと立ち上がる。
「貴様……」
次の瞬間、琉玄の足が琉成の身体を蹴り飛ばした。
不意を突かれた琉成は、床へと倒れ込む。
「若様!」
烈と銀丸が思わず身を乗り出した。
だが、琉成はすぐには二人を振り返らず、痛みをこらえながら身体を起こした。乱れた息を整える間も惜しむように、再び父の前で深く頭を下げる。
「申し訳ございません!」
琉玄は平伏す琉成を、冷徹な眼差しで見下ろした。
「敵本陣へ単身で向かうなど、愚行極まりない! 貴様、自らその首を差し出すつもりか!」
「そうではございません。私はただ、此度の――」
「貴様の言い分などどうでも良い!」
琉玄の怒声が広間を震わせた。
「矢上家の首が晒されるなど、あってはならん事だ!」
琉成はゆっくりと顔を上げた。
「父上……」
その声には、まだ訴えたいことが残されていた。だが、琉玄は聞く耳を持たない。
「当面の間、貴様は部屋に籠もっておれ!」
「父上!」
琉玄は琉成から目を逸らし、控えていた家臣へ命じた。
「琉成を部屋へ。外へ出すでないぞ」
「はっ!」
「お待ちください! 父上! 話を――」
琉成は立ち上がり、父の前へ出ようとした。しかし、家臣たちが両脇から腕を取り、その動きを封じる。
「放してください! 父上! 話を!」
必死に呼びかける琉成を前にしても、琉玄は振り返ろうともしなかった。
「連れて行け」
「はっ!」
家臣たちに引き立てられ、琉成は広間の外へと連れ出されていく。
「父上!」
その声が廊下の奥へ遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
琉玄はしばらく入口の方を見据えていたが、やがて残された烈と銀丸へ視線を移した。
二人の肩が、わずかに強張る。
「貴様らも妙な動きをするでないぞ」
「はっ!」
烈と銀丸は深く頭を下げた。
琉玄は二人から目を離すと、傍らに控えていた柴田へ向き直った。
「柴田。兵の準備を急げ」
「承知しました」
柴田が一礼する。
琉玄はそれ以上何も語らず、広間の奥へと目を向けた。
その頃、館の内では兵を集める準備が進められていた。琉玄の命のもと、戦へ向けた動きが着々と形になり始めていた。
――次話冒頭――
翌朝、青峰館の近習詰所では、烈が腕を組み、縁側に腰を下ろしていた。




