第14話「微笑みの奥、重なる違和感」
――前話末尾――
琉玄は一人、揺れる灯火を黙って見つめていた。
朝の光が、青峰館の館下町を照らしていた。
通りには早くから人が行き交い、あちこちから槌を打つ音が響いている。鍛冶屋の店先では、赤く熱せられた鉄が火の粉を散らし、職人たちが黙々と槌を振るっていた。
その隣には、農具や刃物、鍋などを並べた金物屋が軒を連ねている。向かいでは刀の手入れを請け負う店が客を呼び込み、武具を扱う店の軒先には槍の穂先や刀の柄、弓具などが並んでいた。
今日は市の日だ。普段よりも人の数が多く、商人の呼び声に荷車の軋む音、鉄を打つ音が重なって、館下町は朝から活気に満ちていた。
その人波の中、琉成を先頭に一行が歩いていく。
琉成のすぐ後ろには烈と銀丸、その隣には雅が続いていた。少し離れて沙耶と弥月が並び、その後ろを凛と宗馬が歩いている。さらに離れた場所では、千景が町人たちに紛れ、一行の動きを見守っていた。
雅は歩きながら、左右の店先へ忙しなく目を向けていた。
「あっ、あれ見て!」
思わず足を止めかけた雅を、銀丸が振り返る。
「今日は市の日だな」
「だから人も多い」
烈が周囲を見ながら答えると、雅は納得したように頷いた。
「なるほど!」
「いいから前を見て歩け」
烈に呆れたように言われ、雅は笑いながら再び歩き出した。
その少し後ろでは、沙耶も店先に目を向けていた。色鮮やかな反物が風に揺れ、淡い色から深い色まで、さまざまな布が朝の光を受けて柔らかな光沢を放っている。
「綺麗……」
沙耶が足を緩めると、琉成が振り返った。
「この辺りでは評判の店です」
「そうなんですね」
沙耶は並んだ反物を眺め、穏やかに微笑んだ。琉成もその表情を見て、静かに笑みを返す。
その間も、弥月の目は絶えず周囲を巡っていた。
行き交う人々の顔だけでなく、屋根の上や路地の奥、店先に立つ者たちにも目を向ける。賑わいに紛れた不審な動きはないか、人の流れが不自然に変わった場所はないか。歩みを緩めることなく、細かなところまで確かめていた。
ふと、前を歩いていた琉成が振り返った。
視線が重なる。
琉成は何も言わなかった。弥月もまた、何事もなかったように目を逸らす。ほんの一瞬のやり取りだった。
その様子に気づいた沙耶が、二人へ視線を向けた。けれど、何も言わず、再び町並みへと目を戻した。
やがて一行は人の多い通りを抜け、少しずつ町の外れへと向かっていった。
しばらく進んだところで、琉成が前方を見ながら口を開いた。
「この先に、眺めの良い場所がございます」
雅がすぐに反応した。
「眺めの良い場所?」
「はい」
「行ってみたい!」
弾むような声に、銀丸が笑った。
「相変わらず元気だな」
「だって、せっかく矢上に来たんだもの」
雅はそう言って、足取りも軽く先へ進んだ。
その時だった。
「きゃっ!」
突然、女の悲鳴が上がった。
続いて、男の怒鳴り声が通りに響く。
「盗人だ!」
ざわめきが一気に広がった。人々が振り返り、通りの中央で人の流れが乱れる。
弥月は反射的に沙耶の前へ出た。
「沙耶、私から離れるな」
「うん」
凛と宗馬もすぐに動き、沙耶を囲むように位置を取る。琉成も足を止め、騒ぎの起きた方へ目を向けた。
「何事でしょう」
銀丸が人混みの向こうを指差した。
「あいつだ!」
一人の男が、人々の間を縫うようにして駆け抜けていく。その後ろから、二人の男が追っていた。
烈が身構える。
「追うか?」
弥月は逃げる男と、その後を追う二人を一瞥した。それから、周囲へ視線を巡らせる。
「放っておけ。そのうち捕まる」
「はぁ!? 何を悠長な……」
銀丸が駆け出そうとした瞬間、弥月はその腕を掴んだ。
「見えんのか?」
「何がだ?」
「そこら中に見張りがいる」
弥月は顔を動かさず、目だけで周囲を示した。
「今、追っている二人も警固衆だ」
銀丸は足を止め、改めて辺りを見渡した。
よく見れば、町人に紛れて周囲を警戒している者が何人もいる。騒ぎに乗じて動く者がいないか、通りの様子を見張っているようだった。
烈もそれに気づき、納得したように頷いた。
「……確かに」
琉成も静かに口を開く。
「市の日は、いつもより多く警固衆が出回っています」
「そ、そうでした……」
銀丸は気まずそうに頭を掻いた。
すると、張り詰めかけた空気を断ち切るように、雅が明るい声を上げた。
「それなら案ずることはないね! その人たちにお任せして、私たちは先へ行きましょう!」
そう言うなり、雅は銀丸の腕を掴んで歩き出した。
「ほら、行こう!」
「そ、そうだな! がははは!」
銀丸は引っ張られるまま、何事もなかったかのように歩き始める。
その様子を見て、琉成が思わず笑みをこぼした。
「いつの間にやら、仲が深まったようですね」
「はい」
沙耶もつられて微笑んだ。
弥月は呆れたように息をつきながら、その後を追った。前を歩く烈に声をかける。
「お前も大変だな」
烈が振り返った。思いがけない言葉だったのか、すぐに顔を輝かせる。
「分かってもらえますか!?」
「ああ」
弥月が短く答えると、烈は嬉しそうに笑った。後ろでは凛と宗馬も顔を見合わせ、かすかに笑みを浮かべている。
再び歩き始めた一行は、やがて町を見下ろせる高台へと辿り着いた。
眼下には、先ほどまで歩いていた館下町が広がっている。屋根が幾重にも連なり、その間を人々が行き交っていた。遠くには田畑も見え、その向こうまで矢上の領地が続いている。
雅は身を乗り出すようにして、町を見下ろした。
「あそこが矢上家の館だね。ここから見ても大きい」
視線の先には、青峰館の屋根が見えていた。
弥月は景色を眺める一方で、高台の周囲にも目を配った。
「良いのか? ここは防衛の要所であろう」
琉成は穏やかに答えた。
「構いません。ここは知る者も多い場所です」
烈が町を眺めながら口を挟む。
「若様は、館を抜け出してよく来られていましたね」
「はい」
琉成はすぐには言葉を続けず、眼下の町を見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「……何故か、館より落ち着く場所です」
風が高台を吹き抜け、衣の裾を揺らした。
沙耶は琉成の横顔を見つめた。
「琉成様が、琉成様でいられる場所なのですね」
琉成は沙耶へ顔を向けた。
その言葉を受け止めるように、ほんの少し目を細める。そして、小さく微笑んだ。
弥月はその横顔を見ていたが、やがて視線を眼下の町へ戻した。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
風が吹くたび、衣の裾が静かに揺れる。眼下では人々が行き交い、館下町のざわめきが遠く響いていた。
やがて琉成が身を翻した。
「そろそろ戻りましょう」
一行もそれに続き、高台を下りて再び館下町を抜けていく。
町は相変わらず賑わっていた。店先からは商人の呼び声が聞こえ、人々はそれぞれの用事を済ませるために通りを行き交っている。
けれど、弥月の警戒は解けなかった。
歩きながら何度も後方を振り返り、最後尾まで目を配る。少し離れた場所では、千景も人の流れに紛れ、静かに一行を見守っていた。
その姿を確認すると、弥月はようやく前を向いた。
やがて一行は、青峰館へと戻ってきた。
表門では家臣たちが待ち受けていた。
「琉成様、お帰りなさいませ」
琉成は頷き、沙耶たちへ目を向ける。
「姫様方を離れへ」
「かしこまりました」
家臣が一歩進み出て、沙耶たちを迎えた。
「こちらでございます」
沙耶は小さく頷き、雅たちとともに家臣の後に続いた。弥月もその後ろへつこうとしたが、一人の家臣が琉成に駆け寄る姿が視界に入った。
柴田だった。
「若様、殿がお呼びです」
「承知しました」
琉成は短く答え、館の奥へ向かって歩き出した。烈と銀丸も続こうとしたが、柴田が二人を制した。
「あなた方はここで」
烈と銀丸は顔を見合わせ、それから琉成へ視線を向けた。
琉成は一瞬だけ二人を振り返り、小さく頷く。二人もそれに応じ、足を止めた。
そのやり取りを、離れへ向かいながら弥月は見ていた。
胸の内に、小さな引っかかりが残る。
ふと館内へ目を向けると、表門から見える範囲だけでも、先ほどまでとは様子が違っていた。
立っている兵の数。
配置。
そして、こちらへ向けられる視線。
弥月の目が細くなった。
「宗馬」
「はっ」
「千景を父上の元へ向かわせろ」
「御意」
宗馬は一礼すると、すぐさま踵を返し、静かにその場を離れていった。
弥月はその背を見送り、再び館へ目を向けた。
町へ出る前にはなかった変化が、確かにそこにあった。
――次話冒頭――
青峰館の中では、先ほどまでとは違う緊張が漂っていた。




