第12話「故郷の地、巡る眼差し」
――前話末尾――
一行は、静かな山道をさらに奥へと進んでいった。
山道を抜けると、視界が大きく開けた。
山々を背にして、堂々と建つ館が姿を現す。幾重にも重なる屋根が陽を受け、遠目にも矢上家の威容を感じさせていた。
「こちらが矢上家の青峰館です」
琉成が振り返って告げる。
弥月は馬上から館を見据えたまま、何も答えなかった。険しい山々に囲まれた土地。その奥に構える館は、杉田館とはまた違った重々しさをまとっている。
一行が表門へ近づくと、琉成や烈、銀丸が馬から降りた。それに続いて弥月たちも馬を降り、従者たちがそれぞれの手綱を受け取っていく。沙耶の乗る輿も、ゆっくりと門前へ進んできた。
弥月はその間も、表門から目を離さなかった。
門の造り、周囲に立つ兵の数、彼らの立ち位置。視線を巡らせながら、ひとつひとつを確かめていく。門を守る兵たちに目立った動きはなく、こちらを迎える者たちの様子にも、表立った不審な点は見当たらない。
それでも、弥月の目はわずかな変化も見逃すまいと、周囲を捉え続けていた。
「どうぞ、お入りください」
琉成に促され、一行は表門へと足を進めた。
やがて門が開かれ、その向こうから数人の人影が現れる。先頭に立つのは、嶺賀国国主・琉玄。その隣には嫡男の琉真が控え、後ろには家臣たちが整然と並んでいた。
琉成は二人の前まで進むと、深く一礼した。
「父上、兄上。ただいま戻りました」
「ああ、ご苦労であった」
琉玄が穏やかに応じる。琉真も笑みを浮かべ、琉成の肩を軽く叩いた。
「息災そうで何よりだ」
「はい」
短いやり取りを交わしたあと、沙耶が一歩前へ進み、丁寧に頭を下げた。
「泉穂国国主・杉田謙造が娘、沙耶にございます。此度はお招きいただき、誠にありがとうございます」
「よう参られた。道中、疲れたであろう。どうぞ我が家と思い、ゆるりと過ごされよ」
琉玄は柔らかな笑みを浮かべて応じた。
「ありがとうございます」
沙耶も微笑み、再び頭を下げる。その傍らでは、雅が物珍しそうに館を見上げていた。
「わぁ……」
思わず漏れた声に、沙耶が振り返って小さく微笑む。
一方、弥月は周囲から目を離さなかった。門を守る兵たちだけでなく、館内を行き交う者たちの姿や表情にも、ひとつひとつ目を向けていく。
表立って不穏な様子はない。
それなのに、どこか静かすぎる。
杉田館では、家臣や侍女たちの声が絶えず聞こえ、誰もがそれぞれの務めに追われていた。ここにも人の行き来はある。だが、その動きには妙に隙がなく、行き交う者たちの表情にも、どこか張り詰めたものが感じられた。
「さあ、中へ」
琉玄に促され、一行は館の中へと足を進めた。
大広間へ案内された沙耶たちは、そこで改めて挨拶を交わした。道中の苦労や道の様子など、当たり障りのない話が続き、ひとまず和やかに時が流れていく。
しばらくすると、琉玄から館内を案内するよう言いつけられた琉成が、一行を庭園へと導いた。
色とりどりの花が咲き、池では鯉がゆったりと水面を泳いでいる。山に囲まれた土地とは思えぬほど手入れの行き届いた庭を前に、沙耶は思わず足を止めた。
「綺麗な花がたくさん咲いてるね」
「そうだね〜」
雅も嬉しそうに頷き、咲き誇る花々へ目を向ける。
そんな二人の様子を見て、銀丸が横から口を挟んだ。
「お前、花なんか興味ねぇだろ」
「ちょっと! 失礼ね! 私だって花くらい嗜むよ!」
「そうか? 食い物しか興味なさそうだが」
銀丸が悪気もなく返すと、烈がすかさず口を挟んだ。
「お前もだろ」
「おう。早く飯食いたい」
即答する銀丸に、烈は呆れた口調で受け流した。
「はいはい」
そのやり取りを見ていた沙耶や雅も思わず笑みをこぼす。張り詰めていた旅の疲れが、ほんの少し和らいだようだった。
その輪から少し離れたところで、弥月だけは別の場所へ目を向けていた。
庭そのものではなく、周囲に建つ建物や廊下の位置、庭へ通じる出入口。万が一の際にどこから人が現れ、どこへ抜けられるのか。視線を巡らせながら、館の造りを確かめている。
その様子に気づいた琉玄が、縁側からゆっくりと歩み寄ってきた。
「護衛とは、休まる暇がないものだな」
声をかけられ、弥月は軽く頭を下げた。
「務めですので」
「そうか」
琉玄は穏やかに笑い、少し離れたところにいる沙耶へ目を向けた。
「沙耶殿は、おぬしを信頼しておるのだな」
弥月もつられるように沙耶へ目を向ける。沙耶は花を眺めながら、雅と楽しそうに話していた。その横顔には、旅の疲れも忘れたような笑みが浮かんでいる。
「……はい」
短く答えた弥月に、琉玄は満足そうに頷いた。
「沙耶殿は、よい護衛を従えておられる」
「……恐れ入ります」
弥月は静かに一礼した。
琉玄はなおも沙耶の方へ目を向け、穏やかな笑みを浮かべている。その横顔を、弥月は黙って見つめていた。
「だが、おぬしは少々顔に出すぎであるな。時には、腹の内を見せぬことも必要であるぞ」
前を向いたまま告げられた言葉に、弥月の目がわずかに揺れた。
何も答えずにいると、琉玄は口元にかすかな笑みを浮かべた。
「覚えておくとよい」
そう言い残し、琉玄はその場を去っていった。
弥月は伏せていた目を上げ、その背中を見送った。穏やかな物腰も、柔らかな言葉も、表向きには何ひとつ不自然ではない。
それでも、先ほどの言葉が胸に引っかかっていた。
やがて、琉玄と弥月が話していることに気づいていた琉成が、父の姿が見えなくなったのを見計らって近づいてきた。
「父上が何か失礼なことを申しましたか?」
「別に」
弥月は短く答えた。
いつもと変わらぬ素っ気ない返事のはずなのに、声にはわずかな硬さが残っていた。琉成はそれに気づいたようだったが、問いを重ねることはしなかった。
「そうですか……。では、そろそろ別の場所をご案内いたします」
そう言って、琉成は沙耶たちのもとへ戻っていく。
弥月はその後ろ姿を見つめてから、少し距離を保ち、静かに一行の後を追った。
庭園を抜けた一行は、やがて道場の前へ差しかかった。
「こちらが道場です」
琉成が告げたところで、稽古の様子を見ていた琉真が一行に気づき、こちらへ歩み寄ってきた。
「おや、こちらへ来られたか」
「案内の途中で立ち寄りました」
「そうであったか」
琉真は沙耶たちへ向き直り、穏やかに一礼した。
「慣れぬ場所とは存じますが、どうぞ、ごゆるりとお過ごしください」
「ありがとうございます」
沙耶が頭を下げると、琉真は小さく微笑み、そのまま兵たちのもとへ戻っていった。
ちょうど稽古を終えた兵たちが、一斉に礼をする。
琉真はその一人ひとりに声をかけていった。兵たちは背筋を伸ばし、緊張した面持ちで答えている。琉真が言葉をかけるたび、兵たちの姿勢がいっそう正されていくのが見て取れた。
やがて琉真がその場を離れると、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。中には、安堵したように小さく息を吐く兵の姿もあった。
その様子を、弥月は黙って見つめていた。
隣に立つ宗馬が、周囲に聞こえぬよう声を潜める。
「どう見ます?」
弥月はすぐには答えず、兵たちの姿を目で追った。稽古を再開する者、道具を片づける者。いずれも命じられた務めをこなしているように見える。
しばらくしてから、弥月は低く答えた。
「今のところ、不自然な点はないが……。ただ、少し息が詰まるな」
「同意です」
宗馬も短く応じた。
二人はそれ以上口にせず、道場の様子を見つめ続けた。
目に見える異変はない。
だが、青峰館に足を踏み入れてから、弥月の警戒が解けることはなかった。
――次話冒頭――
夕刻になると、一行は再び大広間へと通された。




