第11話「長閑な旅路、それぞれの想い」
――前話末尾――
月明かりに照らされた横顔には、まだ拭いきれぬ不安が残っていた。
それでも、弥月はもう何も言わなかった。
沙耶もまた、何も言わず、その隣に立った。
二人の間を、静かな夜風が通り過ぎていった。
それから数日後の朝。
杉田館の表門前には、出立の支度を終えた一行が集まっていた。
小ぶりな輿と馬が並び、家臣たちが荷の積み忘れがないか確かめている。その後ろには警固衆と従者たちが控え、これから始まる旅に備えていた。
謙造や巴、与一、沙耶、雅が別れの言葉を交わす傍らでは、弥月が宗馬とともに輿の具合を確かめていた。荷の位置や馬具に目を配り、ときおり周囲へ視線を巡らせる。その目は、出立前のわずかな時間にも気を緩めていなかった。
弥月と宗馬が話をしていると、館の方から人影が近づいてきた。
重信だった。
弥月が気づいて振り返ると、重信はまっすぐ二人のもとへ歩み寄った。
「弥月、宗馬」
「父上」
弥月が向き直ると、宗馬も姿勢を正した。
重信は二人を見据え、いつになく真剣な面持ちで口を開いた。
「何があっても姫をお守りしろ。よいな?」
「御意」
宗馬が即座に答える。
弥月も重信から目を逸らさず、静かに頷いた。
「心得ております」
その眼差しには、普段以上の覚悟が宿っていた。
重信はしばらく弥月を見つめていたが、やがて小さく頷いた。それ以上は何も言わず、二人のもとを離れていく。
弥月はその背を見送ったあと、気持ちを切り替えるように身を翻し、謙造の前へ進んだ。
「殿、準備は整いました」
「うむ」
謙造は短く応じ、一行を見渡した。
その隣では、巴が沙耶の手を握っていた。いつも穏やかな母の顔には、隠しきれない不安が滲んでいる。
「沙耶、どうかご無事で」
「母上、御心配なさらず。無事に戻って参ります」
沙耶は穏やかに微笑み、握られた手をそっと握り返した。
やがて琉成が謙造の前へ進み、深く一礼する。
「それでは、行って参ります」
「うむ。道中はくれぐれも用心なされよ」
「承知いたしました」
謙造は頷き、今度は沙耶へ目を向けた。
「沙耶よ。矢上殿へしっかり挨拶をし、務めを果たしてまいれ」
「はい」
沙耶はまっすぐに返事をした。
続いて、謙造の視線が弥月へ移る。
「弥月よ。此度の件、采配をお前に託す。沙耶を頼んだぞ」
「御意」
弥月は深く頭を下げた。
そのやり取りを見ていた雅が、待ちきれないように一歩前へ出る。
「早く行こうよ〜!」
その横から、与一が穏やかな声を掛けた。
「雅」
「はい、父上」
「姫を困らせてはなりませんよ」
「もう、父上! 子どもじゃないんだから」
頬を膨らませる雅に、沙耶が思わず笑みをこぼした。
「ふふっ」
張り詰めていた別れの空気が、少しだけ和らぐ。琉成もまた、微笑ましそうにその様子を見つめていた。
やがて一行は謙造たちへ揃って一礼した。
それぞれが馬や輿へ乗り込み、家臣たちも持ち場につく。やがて表門が開かれると、一行はゆっくりと杉田館を後にした。
目指すは、矢上家の領地。
初夏の風が、街道を進む一行の間を吹き抜けていった。
*
しばらく進んだところで、雅が周囲を見回しながら琉成へ声を掛けた。
「ねぇねぇ、矢上領って、どんなところなんですか?」
「険しい山々に囲まれた山岳地帯です。鉱石や木材が採れるので、館下町には鍛冶屋や木工細工の店が多く並びます」
「へぇ~! 早く見てみたい!」
目を輝かせる雅に、銀丸が横から口を挟んだ。
「飯もうまいぞ!」
「また飯の話か」
烈が呆れたように言う。
雅が笑うのも気にせず、銀丸は指を折るようにして続けた。
「山菜も串焼きも団子もうまい!」
「全部食いもんじゃねぇか」
「おう。早く飯食いたい」
「はいはい」
変わらぬ二人のやり取りに、一行から笑い声が上がった。
その少し後ろでは、輿に乗った沙耶が簾をわずかに上げ、流れていく景色を眺めていた。見慣れた泉穂の風景も、進むにつれて少しずつ変わっていく。
輿の横を歩く弥月は、街道の先だけでなく、左右の林や道端にも目を配っていた。周囲の話し声に耳を傾けながらも、その歩調は変わらない。
ふと、琉成が振り返った。
視線の先にいる弥月と目が合う。
弥月は一瞬だけ琉成を見返したが、すぐに視線を周囲へ戻した。琉成も何も言わず、前へ向き直る。
一行はそのまま、矢上領を目指して街道を進んでいった。
昼を過ぎる頃には、周囲の景色も次第に変わっていた。
なだらかだった道は、いつしか山道へと入り込んでいた。木々が両側から迫り、枝葉の間から差し込む陽射しが、道の上にまだらな影を落としている。先へ進むほど道幅は狭まり、馬の歩みも自然と遅くなっていった。
一行はしばらく進んだところで足を止め、馬を休ませることにした。
銀丸と烈は道端に腰を下ろし、雅も少し大きめの石に腰掛ける。
「腹が減ったな……」
銀丸が腹をさすると、雅も疲れた様子で肩を落とした。
「眠たくなってきた……」
「まだ昼だ」
烈が冷ややかな口調で返す。
「ずーっと山道なんだもん」
「山国だからな」
二人がそんなやり取りを続ける間も、弥月は休まず周囲に目を配っていた。
道の先へ視線を向け、木々の間や斜面の様子を確かめる。やがて、狭まっていく道幅に目を留めた。
「……この先、道が狭いな」
隣にいた宗馬も、弥月の視線を追った。
「そうですね……」
弥月は道の先を見据えたまま、少し考え込んだ。それから踵を返し、沙耶の乗る輿へ向かう。
輿の前で足を止め、簾越しに声を掛けた。
「沙耶、少し歩けるか?」
簾の向こうで、沙耶が小さく頷いた。
「ええ、大丈夫よ」
弥月は頷き、今度は琉成のもとへ向かった。
「琉成殿」
「はい」
呼びかけに応じて振り向いた琉成へ、弥月は道の先を示した。
「ここから先は坂が急な上、道が狭くなる故、下馬し徒歩にて参りましょう」
琉成も改めて道の先へ目を向け、険しくなる山道を確かめた。
「承知しました」
弥月は短く頷くと、雅へ声を掛けた。
「雅、姫の側へ」
「はい!」
雅はすぐに立ち上がり、沙耶の輿へ駆け寄った。
ほどなくして簾が上げられ、沙耶が輿から降りてくる。雅がその手を取ると、沙耶は微笑んだ。
「ありがとう」
「うん!」
二人の様子を見ていた銀丸が、そっと烈の方へ顔を寄せた。
「弥月のやつ、いつもと様子が違うぞ」
烈は弥月へ目を向け、眉をひそめた。
「皆の手前だからだろ。普段からあのようにしておれば良いのに」
不満げに呟く烈をよそに、弥月は従者たちへ指示を出し、馬や荷の準備を進めていた。
やがて全員の支度が整うと、弥月が一行へ声を掛ける。
「参りましょう」
一行は再び動き始めた。
従者たちは馬を引き、荷を担いで山道を進む。先頭には宗馬、その横には弥月が付き、沙耶の後ろには雅、さらにその後ろを凛が歩いていた。
足場の悪い坂道では、皆が一歩ずつ確かめながら進んでいく。木々の間から差し込む陽射しが、彼らの行く手に揺れる影を落としていた。
一行は、静かな山道をさらに奥へと進んでいった。
――次話冒頭――
山道を抜けると、視界が大きく開けた。




