時量さん
「時量さん!宿題教えてー!」
昨日の時計屋での一件以来、私は遠慮していた日々が嘘のように時量さんに絡みまくっている。
「時量さん!梅の実収穫しよー!」
「時量さん!唐揚げつまみ食いしよー!」
「時量さん!お兄ちゃん持っていってー!」
ある日はおじいちゃんに頼まれた梅の収穫に巻き込んで、カイガラムシに泣き叫ぶ私に代わり梯子に登らせ、
ある日は揚げ物を食べたことないという時量さんに、お母さんの揚げたての唐揚げのつまみ食いを誘って、熱々の肉汁で口の中を火傷させ、
先日は私の部屋で、振り向いてくれないクール女子の恋愛相談をする兄を回収させ、代わりの相談相手に仕立て上げ、
とにかく話せなかった日々の鬱憤を晴らすように時量さんに絡みまくったけど、時量さんはなんだかんだでおじいちゃんとの仕事がなければ全部快く付き合ってくれた。
この前は、2人で広げた新聞紙の上に座って、爪楊枝で梅の実のヘタ取りをしている時。
私は時量さんに今回の時戻しの件については、あまりに非現実的すぎるし、今はまだ家族には言わないことをお願いして、時量さんも同意してくれた。
あの後、時量さんだけで時間屋で何度か16年前の資料を見ているらしいのだが、これといっておかしなものは今のところ無いらしい。
「そもそも、もしかしたら調べるべきなのは16年前ではないのかもしれません。私の年齢が約50年ほど巻き戻っているのだからそもそものズレはそのあたりの時軸にあるのかもしれません。50年前となると、私がちょうど時間屋の店主を継いだ頃です。私と先代、両方の記録を調べる必要があるので、もう少し時間がかかるかもしれません。」
そこまで言って黙って考え込む時量さん。
今、私は時量さんの客室に勉強道具一式を抱えて押し入って、数式を投げ出して畳に仰向けになっている。そんな私を暇と見做した時量さんが、ポツポツと時戻しの調査経過を話す声に耳を傾けている。
あの天井の模様、木の年輪そのまま使ってるのかな〜
「時量さんは、やっぱり元に戻りたいんですか?」
「え?」と、一瞬驚いた様子を見せてから、間を空けず「どちらでも」と即答する。
「どっちでもいいんですか?」
「正直なところ、そうですね。時計屋の仕事は嫌いではありません。たぶんそれなりに責任というものを持ってやっていたと思います。
ただ、離れた今、清太郎さんに毎日仕事を教わって、樹木の勉強をして、久谷家でみなさんと暮らす毎日も私にとって何にも変えられない時間です。」
「どっちでもいいのに、なんで調べるんですか?」
なんか時間屋か、おじいちゃんかって感じ。時量さんとおじいちゃんやたら仲良いんだよな〜、実年齢近いから?と思いながらもちょっといじけて口を尖らせて質問を返すと、
時量さんは器用にも片眉だけピクリと動かして、珍しくちょっと圧のある目線を私に向ける。
「…日陰植物というか、我慢が過ぎて太陽を欲しがることを忘れてしまったというか。」
「え、どういう意味?」
「私が調べている理由は、このままの状態で時を進めていいのかを確認するためですよ。一旦は正しい形に戻された故に大砂時計が動かなかったとしても、ズレの原因が分からない限りこのまま時を進めることで、どこかで何かをきっかけにズレたと判断され時軸の力が加えられるかも分からない。今度こそ一粒さんが排除されてしまうかもしれない。そうならないためにきちんと調べたいんです。」
「なるほどー、50年前の資料ってたくさんあるんですか?私も手伝えますか?」
「まぁ、少し古い文章ですが、普通に日本語の記録なので、ですが学生さんは勉強が忙しいでしょう。」
「勉強が忙しいのは時量さんも同じでしょ。」
私は今時量さんの客室に無理やり宿題一式を持って突撃しているわけで、奥の文机にはおじいちゃんから借りたであろう樹木に関する分厚い本が何冊も並んでいて、隣にはたくさんの書き込みがあるノートが開いてある。
初めの頃に簡単な仕事の補佐を手伝わせる中で、時量さんの膨大な植物への知識量に気づいたおじいちゃんは、早々に時量さんに仕事探しを辞めさせて、自分の樹木医の資格を取らせて仕事を引き継がせるべく、かなり本気で現場に連れ回している。
時量さんは博識だし頭が良い。
本人曰く、砂時計を作る以外暇すぎて本ばかり読んでいたからだと。
時間屋時代は、毎日の新聞に、食料品や日用品は週一回のカタログ販売、あとは砂時計の材料の材木屋、金物屋が3ヶ月に一度、唯一の娯楽は同じく3ヶ月に一度の本の通信カタログとのこと。
(ちなみに配達員さんは時間屋側から頼んだ場合はきちんと見つけて届けてくれるらしい。)
2月の新聞に掲載される、その年のセンター試験の問題を解くことがかなりの楽しみだったらしい。
そんなの載ってることすら知らなかった。
なので、そんな賢い時量さんに宿題を教わっているんだけど。
数式の解放を教えてくれた後、隣で問題を解く私の手元を見ていたはずの時量さんが肘をついたまま、こっくりこっくりと船を漕いでいる。
時計を見てもまだ22時前くらい。
「…時量さーん、眠いならもうおしまいにしますね、お布団で寝てください。」
「あ、いえ、まだ…」
そこまで言って、瞬きをして目を擦る。
そういう私も、シャーペンを握ったまま大きな欠伸をした。
時量さんはつい先日長かった髪を切った。
今は顎あたりで切り揃えているボブの私より短いし、すごく普通の髪型。
おじいちゃんと屋外の作業が多いせいか、前ほど色白じゃない。
だから、前ほどミステリアスという感じではない。
前よりあまりボーッとしてないし、全部受け流さなくなったというか、ちゃんと発言に時量さんの意思を感じる。
じっと無言で観察する私の視線に、何か勘違いしたのか、
「おじいちゃんだから眠いわけじゃないですからね。人間老いた方が夜は眠りにくいんですよ。これは、なんというか、毎日本当に新しいことが多くて、、」
つまり産まれたばかりの赤ちゃんが脳みそのためにとにかくいっぱい寝るやつか?と私なりに結論づける。
「時量さん、勉強楽しいですか?」
時量さんは眠そうな目のまま、何か言いたげな表情で私のことを目を細めて見つめるが、ため息をついて背を向けて追い払うように手を振った。
「とっても楽しいですよ。おやすみなさい、一粒さん。また明日。」




