塩川
7月の頭とはいえ、梅雨の雨雲はまだ抜け切っていなくて、
学校の教室でお弁当を食べながら窓の外を見ると、ちょうど昇降口の近くの藤棚の剪定をしているおじいちゃんと時量さんが見えた。
2人とも小雨の中、作業着の上からレインコートを着て作業している。
窓を開けて
「おつかれさまー!」
と声を掛けると、時量さんの方が先に気づいて大きく手を振ってくれる。
あとで自販機で飲み物買って差し入れ持って行こうかな。
向かいで同じくお弁当を食べていた玲奈ちゃんが。
「今日一粒のグランパ来てるの?」
おじいちゃんはうちの学校の植物の剪定も担当しているので、年に何度かこうして学校に来て剪定している。
初めておじいちゃんを見た玲奈は、イケおじだからおじいちゃんというよりグランパと、1人で決めてそう呼んでいる。
玲奈ちゃんも窓から身を乗り出して
「一粒のグランパー!おつかれさまー!」と手を振っている。
「え?え?!え?!」
無邪気に手を振っていた玲奈が急に下敷きを筒状にして、さらに窓の外を覗き込む。
「グランパの横に、イケメン(仮)がおる」
「何?イケメン(仮)って」
「遠くてカッパ着てるしちゃんと見えないけど、あの感じはたぶんイケメン。」
一粒も、もう一度見ても窓の外を見ても藤棚には今日はおじいちゃんと時量さんだけで、他の作業員は連れてきていない。
そうだ、時量さんイケメンだったわ。
「前に話した住み込みのおじいちゃんの弟子?みたいな人だよ。」
「住み込みのイケメン…」
「住み込みの弟子だよ。」
玲奈ちゃんの顔は完全に好奇心爆発寸前という感じ。
まぁ女子高生は三度の飯より、おやつとイケメンが好きだから仕方ない。
「住み込みのイケメンってなんだよ、意味わかんねー」
どこから現れたのか塩川がいつもの不機嫌顔で話に入ってくる。
「住み込みのイケメンじゃなくて、住み込みのお弟子さんの話。」
「今どき住み込みって、何なのそいつ?外国人?」
「塩川ー、つまんない話するなら入ってくんなよ」
玲奈ちゃんが足を組みつつ、塩川にドスの聞いた声で牽制する。
ちょっと怯みつつ、流石に自分がコンプラを無視しすぎたことを理解したのか、胸の前で組んでいた腕を組み替えてから
「あーはいはい、すみませんでした。で?なに?」
と話の続きを促す。
玲奈ちゃんが私の許可を伺うように視線を送る。
仕方なく先程の続きを話す。
「たまたま縁があってうちに住むことになった人。おじいちゃんが見込みがあるからって園芸の仕事一緒にやってくれてる。」
「へー、で、そいつがいるの?」
塩川も窓から外を覗いて「遠くて全然見えねーし」と文句を言っている。
一粒は塩川が苦手だ。
ツンツンしてる真っ黒の短髪も、吊り目も、こういう言動も、中学の時から時々こうやって絡んでくる態度も、なんというか、疲れる。
「ていうか、今日企画代表のクラス案まとめるからな。放課後残れよ。」
「え?今日?聞いてないし」
「俺今日自主練休みになったから、今日以外無理だし。」
「あーはいはい。」
せっかく早く終わるし、剪定終わったら一緒に帰れると思ったのに。
結局、放課後のクラス案は、言い出しっぺのくせに塩川の方が全くまとまってなくて、ぐだぐだでお開きになった。
流れで仕方なく塩川と並んで、教室から階段を降りて、踊り場を歩いていると、なんた向こう側から作業着の時量さんが肩にかけたタオルで汗を拭きながらやってくる。
私を探していたのか、目が合うとこちらに駆け寄ってきてくれる。
「時量さん!まだ居たんですね!」
「ちょうど、さっき作業が終了したので、清太郎さんがまだ一粒さんが居るなら拾ってから帰ろうと。会えて良かったです。」
「あの、学内入っていいんすか?」
塩川が会話に割って入ってくる。
ほんと今日は何なんだこいつ。
「あのさ、塩川…」
「これを着けていれば、今日中であれば学内はどこでも入っていいと言われています。」
言いかけた私を遮るように、時前さんが塩川に胸から下げた“学園入校許可証”を見せた。
人慣れしたとは言え、あまり口数が多い方ではない時量さんが人の会話に割って入るのは珍しくて、少し驚いた。
「あー、そうなんすね。」
非常に素直に対応されて塩川は剥けた牙の役目がなく、バツが悪そうにしている。
「君も車で送った方がいいですか?」
時量さんは親切で聞いたんだろうけど、塩川は私の方をちらっと見て
「危なそうなんで、遠慮しておきます。」
と返事をして、いかにも意味は分かるだろ的な視線を送ってくる。嫌なやつ。
「そうですか、さようなら。」
時量さんはとてもあっさりした返事をすると、塩川に背を向けて私の手を取ると、スタスタその場から立ち去っていった。
「時量さん?」
「一粒さん、振り向いてはいけませんよ。塩川歩さんは大地さん教えられた“一粒をいじめてくるやつリスト”の“ヤンデレ枠”に書いてありました。ヤンデレにはとにかく距離をとって無反応がいいらしいです。」
時量さんがアホの兄のせいで、どんどんおかしな知識をつけていく。
あれであいつが有名大学の法学部なの日本がほんと心配。
「時量さん、お兄ちゃんの言うことは8割妄想だから間に受けないでね。」
「まぁ、そうなんでしょうけど、面白いですよ。」
裏門から外に出ると、おじいちゃんが大型ワゴンで待っていてくれた。
車が時間屋のある通りを走っている時、おじいちゃんが、
「ここのあたりはみんな新築で綺麗な家しかないなー」と運転しながら独り言を言っていて、
少しドキッとしたけど、私には今も時計屋の古い木造の建物が見えてホッとした。
その日の夜も、私は時量さんの客室に押しかけて勉強していた。
勉強している時量さんと同じ空間で勉強すると非常に捗ることが分かったからだ。
塾の自習室みたいな効果だろうか。
「一粒さん。」
基本的に私が分からないことを聞く時以外、私たちが話すことはないのだが、その日は珍しく、ノートを広げてしばらくすると時量さんの方から話しかけてきた。自分から声をかけてきたにも関わらず、時量さんは、片方の肘で頬杖をついた姿勢のまま私の方をじっとみるだけで、なかなか口を開かない。
「なんですか?」
「一粒さん、最近は何か危険な出来事はありました?」
最近か…最近最近、と手元のシャーペンをカチカチしつつ、記憶の糸を手繰り寄せる。
「そういえば、無いですねぇ!前は丸2日何も起きないと奇跡レベルだったのに!あ!これも時戻しの効果?」
「人の噂も七五日。」
「??」
「あなた自身を顧みずに、あなたの周囲の出来事だけ悪しくいう方など、真っ直ぐに進んでゆくあなたとは違う道にゆきますよ。」
「ん??」
「私は、外に出て、最初に会えたのが一粒さんで、とんでもなくラッキーでしたね。」
時量さんの脈絡のない発言が、全く理解できなくて、心の中は大量のハテナだらけだった。
でも、時量さんがこの上なく優しい顔を、私に向けるもんだから、もうその後の勉強は教科書を眺めているだけで何も頭に入ってこなかった。
時量さんは客室で2人きりの時は、そんなわけ無いと思うけれど、少し、なんだか意地悪な気がする。




