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ドン・バ・ラ(短編集『武田警部補はいつも忙しい』より)  作者: 吉田 晶


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 最後にやってきたのは、眼鏡をかけた、大人しそうな青年だった。


 差し出された名刺には、

【●●大学●●学部 特任助教 博士(学術) 須田スダ 篤郎アツロウ

 とある。


 特任助教という身分が、単なる助教とどう違うのか。

 古山は少し気になったが、尋ねるのはやめておくことにした。


 「センセー」と「ヤクザ」の肩書には、軽々しく触れるべきではないのだ。



                § § §



 須田は、刑事二人と目を合わせることなく、訥々と語った。


 森脇と同じく、オセアニア一帯の民族音楽学を専門としていること。

 先ほどの学生たちの指導も、これから引き受けることになりそうだということ。


 被害者の話をしているうち、須田の口調もだいぶ滑らかになってきた。

 森脇には相当振り回されてきたらしい。

 直接口にはしなかったが、彼女の死を深く悼んでいるようには見えなかった。


「そう言えば、もし心当たりがあれば教えていただきたいのですが――」


 武田が、いかにも何気ない様子で切り出した。


「森脇先生の周りに、乱杭歯の方はいらっしゃいませんでしたかね」

「らんぐいば、とは?」

「ああ、失礼しました。最近はあまり使わない言葉ですものね。

 歯並びが悪くて、デコボコに生えている状態のことです」


 しばし沈黙が流れて――


「さあ。いなかった……ように記憶していますが」


 武田警部補の経験と勘が、押しどころだと判断したのだろう。

 須田の言葉尻に被せるように言った。


「どんな些細なことでも構いません。

 実は、須田先生だけに内密に申し上げるのですがね、その乱杭歯の誰かが、 

 森脇先生殺害に関わっている可能性が非常に大きいのです」


「……」


「故人の無念を晴らすためにも、どうにかご協力いただけないでしょうか」


「しかし、たぶん無関係だと思いますよ」


「ああ、どうかご安心を。須田先生からお聞きしたとは誰にも言いませんから。

 なにとぞ、なにとぞ」


 須田はしばらく考え込んでいたが、やがて観念したように、小さく息を吐いた。


「うーん、なら、まあ。

 だけど、聞いてから馬鹿にするような真似はやめてくださいよ」



              § § §



 あれは、つい一週間ほど前のことでした。

 私と森脇先生は、研究のために南太平洋のとある島を訪れたんです。


 本当だったら、学生も連れて行きたかったのですがね、

 なにぶんお金もかかりますし、その……

 森脇先生は人気がなかったから、学生たちも一緒に行きたがらなくて。

 結局私が、体のいい荷物持ちとして同行することになりました。


 ……失礼。

 愚痴はこれくらいにしておきましょう。


 今回の目的は、島で十二年に一度行われるという祭りを取材するためでした。

 普通だったら、部外者の参加は一切お断りなんですけど、

 そこは森脇先生が、その国の官僚に結構な “心づけ” を渡したとかなんとか。


 いかにも辣腕な、彼女らしいやり方です。


 ともかく。

 私たちは飛行機と船を乗り継いで、その島に到着したわけです――


 なんて、随分おおげさに言っちゃいましたけどね、

 別に秘境というほどでもありません。

 車も走っていますし、電気も通っている。

 スマートフォンだって普通に使えます。


 現地の顔役への挨拶とか、細々した話は省きますよ。

 今回の事件とは、たぶん関係ありませんから。



               § § §



 さあ、祭りの夜がやってきました。


 祭りは、現地の言葉で【ドン・バ・ラ】と呼ばれていました。

 気になって調べてみたのですが、その語自体に、特に意味はありません。


 祭りに鳴らす囃子が、三拍子で

 「ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ」って聞こえるから。

 ただのそれだけなんです。



               § § §



 私たちは、祭りの会場に向かいました。

 村の中心から少し離れた丘の上――

 近づくにつれて、手拍子や打楽器の音が大きくなっていきます。


 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ

 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ


 丘を登り切った広場で、ひとつ問題が発生しました。

 責任者……いわゆる巫覡シャーマンと呼ばれるような人が、

 我々に手持ちの電子機器をすべて預けるように求めてきたのです。


 最近、祭りは観光資源になっていることがほとんどだから、

 こうした要求をされることは珍しい。


 けれど、そもそも【ドン・バ・ラ】は秘祭ですからね。

 私は、言われるままにしました。


 ところが、森脇先生は違った。

 動画を撮らせろと食い下がったのです。


 シャーマンも譲りませんでした。

 お金をちらつかされても、コネで威圧されても決して引かない。


 最終的には、森脇先生のほうが根負けして、スマホを差し出しました。



               § § §



 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ

 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ


 あのお祭りを、なんと表現したらいいのでしょう。

 浮遊感? 高揚感?

 どこか盆踊りに似た雰囲気なのですが、なにより――


 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ

 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ


 あの三拍子のリズムが、心を震わせ、離さないのです。


 落ちてきそうな星明かりの下、

 踊る人々や揺れる焚火をぼんやりと眺めていました。


 すると、おかしなことに気が付いた。

 群衆の中に、なにやら妖しげな者が紛れ込んでいるのです。


 ……え? どう妖しかったのかって?

 それが、わからないのです。

 ちゃんとした人の姿をしているのに、人ではない。

 そうとしか言いようがない。


 私は、ドブロクのようなお酒に囲まれて上機嫌のシャーマンのもとへ赴き、

 その存在について尋ねました。


 ……ああ、あの辺りでは英語が共通語みたいになっていまして

 おかげで通訳なしでも、なんとか意思疎通ができるのですよ。


 と、それはさておき、

 シャーマンは私の言葉を聞くと、とても嬉しそうでした。


「最近は【精霊】を知覚できる者が本当に少なくなった」

「あれは、隣の島から渡ってきた【鳥の精霊】だ」

「ほら、向こうの背の高いやつは【ココナッツの精霊】だよ」


 そうやって、様々な精霊を紹介してもらったのですが、

 急にシャーマンの表情が曇りました。


「ごらんなさい。あそこにひときわ大きな霊がいるだろう」

「あれが、今回の祭りの主催者だ。【音楽の精霊】だ」


 彼が示した先には、この島の正装をまとった男が立っていました。

 まさしく偉丈夫と呼ぶに相応しい、威厳に満ちた姿でした。


 精霊は厳しい様子で、誰かに詰め寄っているようでした。

 目を凝らしてみれば、その相手は森脇先生でした。

 けれど森脇先生本人は、そのことにまったく気付いていない。


 シャーマンは、悲しそうな顔で言いました。


「彼女は、なにか邪悪なことをしている」

「このままでは、あの罪深い女は裁かれることになるだろう」

「今はまだいい。けれど【あるべきところ】から離れた精霊は、

 慎みを忘れ、悪しき存在になる」

「そのことを、あの女にもよくよく言っておきなさい」



               § § §



 祭りの夜も更けて、我々は宿に戻ってきました。


 ロビーで腰を下ろすやいなや、森脇先生は、

 ジャケットの内側からスマートフォンを取り出しました。


「大した祭りじゃなかったけど、あの音楽だけは良かったね」


 それから二言三言、声を掛けられた気がしますが、よく憶えていません。 

 ――シャーマンの警告を、どう彼女に伝えたものか。

 そのことで、頭がいっぱいだったのです。


 するとどこからか、あの三拍子が聞こえてきました。


 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ

 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ


 最初は、悩みすぎたせいで幻聴が聞こえたのかと思いました。

 けれど、よくよく耳を凝らしてみれば、確かに現実の音です。

 音の出どころを追えば、それは森脇先生のスマートフォンから

 聞こえるではありませんか。


「よし、ちゃんと録音できている」

「スマホを二台用意しておいて、一台だけ渡す。

 これ、録音禁止オフ・レコ取材の基本だからね」


 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ

 ドン・バ・ラ、ドン・バ・ラ


 その時、見たのです。

 先生の背後に【音楽の精霊だったもの】が立っていました。


 祭りで見た威厳ある装束は、もはやボロ布と変わらなくなっていました。

 あれほど精悍だった面影も、見る影もない。

 目は死んだ魚のように濁り、開いた口の中にはガタガタの……


 そう、さっき話題に上がった乱杭歯ってやつでしたよ。


 精霊は、人間の邪な思惑によって穢されてしまったのです。


 ――なんと無礼なことを。


 私は慌てて、音楽を止めるように言いました。


「なぁにビビってんのよ。私たち以外に聞こえやしないって」


 いつもはイエスマンで腰巾着に過ぎない私が、

 大声を上げたので驚いたのでしょうね。

 ブツブツ言いながらも、森脇先生はデータの再生を止めました。


 その瞬間、【音楽の精霊】の姿は、夢か幻のように消え失せたのです。




 あのとき私は、何がなんでも彼女のスマホを取り上げ、

 木端微塵に打ち砕いてしまうべきだったんです。


 けれど、できませんでした。

 こんな話、どうせ信じてくれないだろうと思ったから……

 いや、違うな……

 結局は、自分の立場かわいさに、見捨てたんです。

 精霊のことも、森脇先生のことも。




 話はこれでお終いです。

 どうです、なんの参考にもならなかったでしょう。


 犯人、早く捕まるといいですね。

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