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ドン・バ・ラ(短編集『武田警部補はいつも忙しい』より)  作者: 吉田 晶


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 刑事部捜査第一課所属、武田タケダ 甚八ジンパチ 警部補は、報告書からゆっくり顔を上げた。

 眉間には、心底不快そうな皺が寄っている。


「つまり被害者は、何者かに身体中を噛まれてお亡くなりになった、と」


 相棒の古山フルヤマ ノドカ 巡査部長もまた、負けず劣らずのうんざり顔で頷いた。


「朝、食卓に姿を見せない娘を心配して、母親が家中を探し回ったそうです。

 すると、離れに設置されたホームシアタールームで、

 全身血まみれになって倒れている被害者を発見したのだとか」


 室内には、完璧な防音処理が施されていた。

 だから悲鳴ひとつも外へ漏れず、家族も犯行にはまったく気づかなかった。


「あと、念のため補足しますが、損傷があったのは【全身】ではありません。

【衣服で覆われていなかった箇所すべて】ですね」


 顔、首、腕、脚――

 露出した部分が執拗に食い破られていた。


 刃物といった道具による傷ではない。

 犬だの熊だのといった、動物の仕業でもない。


「鑑識によれば【傷は全て同一の人間の歯によって付けられたもの】だそうです」

「そりゃまた、犯人も頑張ったというか、何というか……」


 そこまで言って、武田は被害者の写真に手を合わせた。

 不謹慎な発言であったことに気付いたのだろう。


 場の空気が若干緩んだところで、古山がポツリとつぶやいた。


「とはいえ、証拠はしっかり残っています。これほど特徴的な凶器も珍しい」

「ああ、【重度の乱杭歯】でしたか。まあ、犯人特定も時間の問題でしょうねえ」







 ――ところが、捜査は開始早々、暗礁へ乗り上げてしまった。

 

 いくら関係者を洗っても、鑑識結果と一致するような乱杭歯の人物が、

 一人として見つからなかったのである。



                § § §



 被害者、森脇モリワキ 英梨エリ、三十八歳。

 都内に位置する●●大学に勤務。


 専門はオセアニアの民族音楽学。

 南太平洋の祭礼音楽や民謡を研究し、四十を待たずして教授の座に就いた俊英。


 ――ところが、学内での評判は芳しくない。


「アカハラとパワハラで何度も問題を起こしている」

「教授のポストは、裕福な実家のコネとカネで得たものである」


 そんな証言が、聞き込みを始めるや否や、あちらこちらから上がってきた。


「実力はともかく、人間性には難あり……ですか」


 武田警部補がつぶやくと、古山はひとつ頷いて、


「少なくとも、人望は薄かったようです」

「なるほど。恨みを買う理由には事欠かなかった」

「ただ、それでも彼女の周囲に【重度の乱杭歯】の被疑者が見つからないんです」

「最近は、歯列矯正がだいぶ普及しましたからね。私が子どもの頃は――」


 また始まった、と古山は内心で苦笑する。

 武田の懐古癖は、一度火が付くとなかなか止まらないのだ。


「ご近所にも、個性的な歯並びをした人が溢れかえっていたのですよ。

 二枚歯の鮫島さんとか、ゲソッ歯の万代さんとか――」


 こんな職場に身を置いているとは思えないほど、武田の物腰は柔らかい。

 部下に対しても、被疑者に対しても、果ては子供に対してまで柔らかい。


 もっとも、その理由が、

「相手によって態度を使いこなすのが面倒なだけ」

 であることに古山は気づいている。


(武田さんったら、AIにもめっちゃ丁寧な敬語で質問するんだよなあ……)

(それって、逆に面倒なんじゃないの?)


「おーい、古山さん、聞いていますか」

「は、はい!?」

「今日は大学に伺って、関係者から事情を聞く予定でしたっけ」



               § § §



 大学は、夏休みを目前に控えていた。

 ひと昔前であれば、この時期の講義棟などは閑散としていたものだ。

 だが最近は、学期の最終週まできっちり授業が行われることが多い。


 おかげで、森脇教授の指導学生と面会するのは難しくなかった。


 なお、森脇教授が面倒を見ていた指導学生は大学院生四名のみ。

 この大学では、学部生と院生を合わせて二、三十人を指導する教員もいるというから、かなりの少人数と言える。


「森脇ゼミは少数精鋭」


 大学の公式サイトには、そんな紹介文が踊っていた。

 彼女を弁護するなら、研究分野そのものがニッチであったことは事実である。


 しかし学生から話を聞く限り、その苛烈で癖の強い指導が敬遠されていたこともまた事実であった。



              § § §



「――ところで」


 学内の一室で、四人目の院生から事情を聴いていたときのこと。

 武田警部補が、いつもの穏やかな口調で尋ねた。


「耳を怪我されているようですが、どうされたのですか?」


 学生は、右耳の絆創膏にそっと手を当てた。


「それが、ネズミか何かに噛まれちゃったみたいで」

「おや、それは災難でしたね」


 なんでも、部屋でレポートを書いていた際、突然耳に痛みが走ったとのこと。

 出血していたので病院で診察を受けたところ――


「歯形が付いているって言われたんです。たぶん動物の……」


 彼女はそう言って、わずかに身を震わせた。


「それにしても、歯形ですか……」

「え? あの、なにか?」


 不安げな学生に、武田は柔らかく微笑んだ。


「いえいえ、何でもありませんよ」



                 § § §



「妙ですねえ」と武田。

「耳の怪我ですか」と古山。


「四人の学生さんのうち、三人が耳を怪我していたんですよ。

 一人目には尋ねそびれましたが、二人目は、

 『気が付いたら切れていた』って言っていました」


「偶然にしては、ちょっと重なっていますね」


 学生たちには、森脇の死因は伏せてある。

 鑑識結果は警察内部で保留しているので、森脇教授が【噛み殺された】ことを知る者は限られるはずなのだが……


「まあ、森脇先生を襲ったのは人間です。

 一方、さっきの学生は『たぶん動物』って言っていました。

 直接の関係はないでしょうけど」

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