32.前に戻った
気が付くと窓の鎧戸の隙間から、わずかに朝日が射してきていた。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ランプの灯はとうの昔に消えたようで、煤だけをその中に残していた。
窓の鎧戸を開けて、外の空気をとりこむ。
いつの間にか晴れて澄んだ空は、少しだけ世界の終わりが延びたように思わせる。
「今日は、いい天気みたいだね」
雨が続くと憂鬱になる。晴れて本当に良かったと思う。
なんだか気持ちも軽やかになっていた。昨日までの自分が何を悩んでいたのかもわすれてしまった。
そうだ。今日は何を作ろう。
朝だからオムレツとかいいかもしれない。ふわふわでやわらかくて、口の中でとろけるような。そんな美味しいオムレツを作ろう。
フェルくんもきっと美味しいっていってくれるだろうし。
気持ちが前向きに変わって、私は朝の空気を吸い込む。
大きく背伸びをして、身体をほぐしていた。
猫用のドアから、ルナが入ってくる。
「ステラ。良かった。生きていたんだね」
ルナがしっぽを体にまきつけながら、大きく息を吐き出していた。
「うん。まぁね。なんかフェルくんは戻って行っちゃった」
「良かった。本当に心配していたんだ。キミがくるなと命令するから、朝までこの部屋に入れなかっただろ。まったく、心配かけさせるんじゃない」
悪態をつきながらも、ルナの言葉にはあまり棘を感じなかった。
確かにルナには悪いことをしたかもしれない。
「いいじゃない。結局何もなかったし。でも残念だった。フェルくんが私を殺してくれるのかと思っていたのに」
「キミは、またそんなことを言う。いいか。魔女だってちゃんと生きていていいんだ。ステラとしてのキミと、ボクはまだ一緒にいたいんだよ」
「あら。珍しいこというね。ルナがそんなこと言うなんて」
これは奇跡的なものを聞いたような気がする。
普段は皮肉めいたことばかり告げるのに、こんなに直接的に話をしてくるなんて、ステラとしてだけでなく、昔の人生を含めても初めてきいたかもしれない。
「ボクはこれでもキミの使い魔なんだ。キミのことを心配するのは当たり前だろ」
「でも普段は皮肉屋の使い魔さんだよね。私の脳みそが虫なみとかいうし」
「そこまでは言ったことはないが、まぁ、いい。キミが生きていたなら、それでいいんだ」
ルナは心底安心したようで、大きく息を吐き出したかと思うと、私の顔を細い目で見つめる。
それからすぐに私のベッドの上にとびのって、全身の毛をなめて毛繕いをはじめていた。
何度も繰り返した人生で、ルナとはもう長いことずっと一緒にいる。使い魔は普通の猫やカラスなどとは違って精霊的なものだから、寿命もかなり長い。というよりも、もしかしたらないのかもしれない。
魔女は使い魔のことは忘れない。だからルナとの記憶はみんな残っている。
長く一緒にいてくれた私の相棒。
皮肉屋で、たまにはめんどうくさいこともいうけれど、私のことを思っていてくれる、ただ一人の存在。
ルナがたまには珍しいことを言ってくれたから、私も素直にその気持ちに応えよう。
「私もルナと一緒にいられると嬉しいよ。いつもありがとうね」
「ふん。キミと一緒にいると、本当にいつも大変で疲れるよ」
ルナは私とは顔を合わせずに、まだ毛繕いをつづけていた。
でもしっぽが震えるように小刻みに動いていた。猫が嬉しさで興奮しているときの動きだ。
ふふん。感情が隠せてないよ。私も顔がほころんでいく。
「さてと、まずはごはんでも作ろうかな」
部屋の外に向かおうとする。
でもルナは何も言わずに毛繕いをつづけていた。
あれ。なんかおかしい。
何がおかしいのかはピンとこなかったけれど、何か違和感を覚える。
少し頭をひねると、すぐにその違和感の正体に気が付いた。
いつものルナであれば「寝衣のまま部屋をでるな。着替えてからいけ」というはずだった。
でも今日のルナは何もいわない。
いや違う。いつものルナであれば「何も言わない」のが正しい。
私とルナしかいないのだから、食事を作るまでは寝衣でいても、それはそれで許していた。
違っていたのはフェルくんがきたから。フェルくんの前に、寝衣で出るなと言っていたんだ。
だから。いまは「前に戻った」んだ。




