31.君が魔女だなんて
「ステラ、寝ているの?」
聞こえるか、聞こえないか。いや普通なら聞こえないだろうくらいか細い声で、フェルくんは私へと問いかけてくる。
フェルくんが何を考えているのかはわからない。
だけど私はそのまま眠ったふりを続けるだけ。
私は何も応えない。私は聞こえなかった。
フェルくんのナイフを、ただ待ち続けた。
「まさか君が魔女だったなんて、思ってもみなかった。こんな魔女がいるはずないって思っていたから」
フェルくんは消えてしまうような声で、私へとつぶやきをぶつけてくる。
私の顔をじっと見つめている。
どこか不安の入り交じった、壊れそうな表情をしていた。
「こんなに無防備でいたら、簡単に殺せちゃうよ」
私へと語り続けている。
フェルくんが何を考えているのかはわからない。
やっぱり魔女を殺すのは不安があるのかもしれない。魔女には不思議な力がたくさんあるから。
だけどそんな風に思う私をよそに、フェルくんは私の姿をなでるように見つめている。
「なんだか、いつもと違うね」
こぼれるような声。
不安が入り交じったような、かすれる言葉。
フェルくんの手が小刻みに震えている。
「金色の髪がほどけて波打っている。三つ編みをしていた時には気が付かなかったけど、とても綺麗な髪をしていたんだね」
フェルくんは思ってもみないことを気にかけていた。
どうして髪の毛のことなんて気にしているの。
フェルくんは私を殺しに来たんだよね。
だったら私のことなんて気にせずに、そのナイフを突き立てればそれで終わるのに。
魔女は命を失ったとき、魔女の命の結晶を残す。それは一般によく知られていること。だから結晶と魔女服でももっていけば、確かに私を殺した証拠になる。間違いなく金貨はもらえるから。それでフェルくんのお母さんは救われるんだよ。
心の中でフェルくんに話しかける。
だけどもちろんその声は聞こえない。
私は眠っているのだから、声を出すことはできない。
ただフェルくんがナイフを突き立ててくれることを、じっと待ち続けた。
私は、ステラは死に方を選べるんだ。だから、その刃が私を侵すことを祈るように願う。
「寝るときは白い寝衣なんだね。いつも紺色の服ばかりだったから、なんだか不思議だよ。いつものステラと、違って見えるよ」
まだフェルくんは誰も応じない会話を続けていく。
決心がつかないのだろうか。恐れているのだろうか。
その胸の内は、私にはうかがい知れない。でも私は待つことしかできない。
「ステラはいつも笑っていて、美味しいごはんを作って、食べて。そればかり考えていて。でもすごく僕に優しくしてくれて。よく知りもしない僕のために。君を殺しに来た僕のために、なんでなのかな」
フェルくんの声が震えて、同時にその顔が崩れそうに歪んでいく。
どうしたらいいのかわからなかった。この言葉をきいていては、いけないような気がした。それでも私は目を覚ますことはできなかった。
「ステラが魔女だなんて、嘘だよね。本当は僕の勘違いなんだよね。こんな馬鹿みたいな魔女がいるはずないもの。自分を殺しに来た人間と一緒に暮らす魔女なんて、そんなものいるはずないよ」
フェルくんは手にしたナイフを、強く握りしめる。
両手で包み込むようにして、ナイフに力を入れた。
その手は小刻みに揺れていた。
「……でも君はやっぱり魔女なんだよね。だってそうでもなきゃ、おかしなことばかりだ。こんな場所で一人で暮らすことなんて、普通の女の子にできるはずないもの。だから、僕は」
フェルくんがひとりつぶやいていた。
そうだよ。私は魔女だよ。世界を滅ぼす宵闇の魔女。
だからそのまま思い切り突き立てれば、私の命は終わり。フェルくんは魔女を殺せる。
それでいいの。
私もそれを望んでいるの。
だから、思い切って、ナイフを落とせば。それで全部救われるよ。
「魔女のシチューだなんて自分から匂わせて。僕に疑念を抱かせたね。でも優しくて美味しかった。森の木の実のパイ。ジャムなんて初めて食べた。お母さんにも食べさせたかった。パンケーキの複雑な味は美味しくて、でもお母さんの料理が恋しくなって。お魚があんなに美味しいだなんて、君に初めて教えてもらったね。知らなかったよ。だけど、フレンチトーストは贅沢で。こんな雨の中じゃあり得なくて。だから、だからさ」
フェルくんが私の作った料理の話を繰り返した。
ぜんぶ記憶に残っていてくれたのだろうか。
料理を作っても食べてくれる人はいなかった。
少しは報われたような気がする。
「君との記憶は料理のことばかりだ。おとぼけで、何も考えていないみたいで、でもいつも笑顔で、美味しいものが好きで。君と一緒にいて僕は。楽しかった」
フェルくんは、大きく首を振った。
私との日々を振り払うように。
「それでも。それでも!」
声が荒く変わる。
何かを決心したかのように、フェルくんの手に力が強く入る。
いよいよ。終わりの時間がきたのかもしれない。
私は少しだけ目を強く閉じる。
「君が魔女なら。僕は。僕は。お母さんを救いたいんだ。だから、だから、ごめん。ステラ。僕は」
大きくナイフを振りかぶる。
ありがとう。フェルくん。私は、もう満足だよ。
だから。それでいい。
私の想いに応えるように、フェルくんは思い切りナイフを振り下ろして。
吐き出した息が私の頬をなでた。
空気を切り裂く音が響く。風が私の髪を揺らす。
フェルくんの手がベッドに激しくたたきつけられて。
どくんと強く心臓が跳ね上がった。
そしてカランと音を立てて、ナイフが床に転がっていた。
ばくばくと胸の音が私を打ち付ける。
室内からそれ以外の音が消えていた。
「できない。できないよ。君が魔女だったとしても、きっと悪い魔女じゃない。君が世界を滅ぼそうとしているだなんて、どうしても思えないよ。僕には、僕に、こんなに優しくしてくれる悪い魔女なんて。いるはずがないよ」
フェルくんはその場に崩れ落ちていく。
その顔をぐちゃぐちゃにゆがめて、ぼろぼろと涙をこぼした。
どうして。どうして泣いているの。
泣かないで。もうちょっとで君の目的は果たせるのに。
どうしてなの。なんでフェルくんは泣いているの。
「違う。やっぱりこんなの違う。こんなことをしても、お母さんは喜ばない。お母さんの前に胸を張って立てない。だから。だから」
フェルくんは頭を抱えるようにして、それでも涙を止められないでいる。
私の部屋がフェルくんの涙で濡れていく。
私は困惑を隠せなかった。
フェルくんが泣いている理由の見当もつかない。
ただフェルくんが泣いていることが悲しくて、私もなぜか泣きたくなった。
泣かないで欲しかった。
フェルくんには笑っていてほしかった。
だってフェルくんが泣いていたら、私もこんなにも悲しいから。
「僕には殺せない。ステラを殺すことなんてできない」
フェルくんは転がっていたナイフを拾い上げる。
「ごめん……ステラ……ごめんね。僕の方が悪い人間だった」
最後にそうつぶやいて、ゆっくりとフェルくんは部屋の外に向かっていく。
フェルくんはどうして私を殺さなかったのだろう。
わからない。わからなかった。
フェルくんは私を殺さなかった。
私に死に方を選ばせてくれるのだと思ったのに。
私を殺して欲しかった。
なのになぜか、胸の中で小さく温かく思う気持ちが残ることに、不思議と満たされている自分も感じている。
自分の気持ちが理解できなくて、どこかもやもやとしてこのあともずっと眠れずにいた。




