29.結び目の刺繍を編みこんで
気が付いたらもうずいぶん時間が経っていた。
何となく始めていた刺繍も完成している。途切れない一本の糸で作られる結び目の形の刺繍。永遠を意味する古くから伝わる模様だ。
指を刺したりして手間取ってしまったけれど、それなりに綺麗にできたと思う。
ハンカチに施した刺繍は銀色に輝いて、星の刺繍と対になるようにも見えた。
無心で作業をしていたのは、自分にとっても良かったんだと思う。
なんとなく心が落ち着いたような気がする。
そろそろ夕食の時間だ。
何かごはんを作らないと。
そう思うのだけど、なんだか気乗りしなかった。
簡単なものですまそうかな。
そうだ。スープを作ろう。ことこと煮込んだ、優しいスープ。
少しは落ち着くかもしれない。
リビングに向かうと、食卓には誰もいない。ルナが戸棚の上で丸まっていたけれど、私をみつけて耳をピンと立てたものの、それ以上の反応はしなかった。
だけど私が用意した固いビスケットはなくなっていた。フェルくんが食べてくれたのかもしれない。ほっとして息を吐き出す。
でも固いビスケットは携帯食でもある。だからただ荷物に入れただけかもしれない。
普段ならこのままキッチンに向かうのだけれど、何となく玄関の方に向かってみる。
玄関の外套かけに私のものの他に、フェルくんの外套が残っていた。
まだ家の中にいることを確かめられて、そっと胸をなで下ろした。
フェルくんの外套は、嘆きの森を抜けてきたせいか、ちょっと汚れていたり、破けたりしている。
なんとなくちょっと汚れをはらってみた。破けている部分は、繕ってあげた方がいいかな。
うん。食事を作ったら、縫い物を再開しよう。少しはまた心が落ち着くかもしれない。
考えていたら、やっと気持ちが落ち着いてきていた。
目的ができたからかもしれない。
野菜と根菜を使った塩のスープ。
きゃべつやにんじんやたまねぎに、だいこんやかぶをそれぞれ刻んで、ことことこと煮込んでいく。
野菜の旨味が少しずつあふれてくるように、ゆっくりじっくり火を通す。
きのこも少しだけ入れましょう。香りづけにハーブも少し、ローリエの葉をいれましょう。
このスープはとにかく時間をかけて、じっくり煮込むのがポイント。
しばらく煮えたらお塩をくわえて、それでもまだまだことこと煮込む。
長い時間をしっかり煮込みまして。完成です。
今まで作った料理に比べたら、ちょっと素朴な味わいかもしれない。
でもフェルくんは、お母さんの料理はシンプルな味付けだって言っていた。きっとこういう料理の方が好きなんだと思う。
だからきっと美味しく食べてくれるよね。
食卓の上に準備をして、それからすぐにフェルくんのいる部屋に向かう。
なんだか妙に心臓が落ち着かなかったけれど、大きく息をすいこんで、ノックをしてみる。
「あのね。夕ごはんができたんだ。良かったら食べてほしいな」
声をかけたけれど、反応はなかった。
寝ているのかもしれない。
「食卓においておくからね。後でもいいから食べてね」
声をかけてまた食卓へ戻っていた。
仕方がないので、鍋から自分の分だけ注いでみる。
口にしたスープは優しくて、染みるような味わいだった。落ち着いた味。
美味しくできている。シンプルでも味付けは十分。素材の旨味を引き出している。
でもそのはずなのに、なぜか私には物足りなかった。
「味付けは問題ないはずなんだけどな」
目の前の席へと自然と目をむけていた。
ほんのすこしの間だけれど、そこに座っていたフェルくんのことを思い出して、少しだけ息が枯れたような気がする。
「そうだ。起きてきたとき、温かい方がいいよね」
キッチンにもどって、かまどの中を火バサミであさる。
みつけた熱した石をいくつか集めて、少し深みのあるフライパンの中に入れて。
今度はフライパンを鍋敷きの上において、さらにその上にスープを入れた鍋をのせる。
即席の保温器のできあがり。これでしばらくの間はある程度は温かいまま残せるはずだ。
お風呂に使う分の石が少なくなっちゃったけれど、これだけあればたぶん足りると思う。
残った石は鉄のバケツにいれて、まだ冷えないうちにお風呂に運んでしまいましょう。
そのまますぐにお風呂へと向かう。
少しでも心の垢も一緒に落としてしまいたかった。




