28.固い固いビスケット
お昼まで私は部屋の中にこもっていた。フェルくんがどうしているのかはわからない。
でもこの雨の中だから、きっとどこにもいっていないはずだ。
それに警戒の魔法もある。だからこの家の周辺に誰かが入れば反応する仕組みだ。逆に言えばフェルくんが外に出ても同じだということ。
だからまだフェルくんはここにいる。この家にいるはずだ。
「まだうじうじしているのかい?」
ルナがつまらなさそうに私を見つめていた。
「だって、だって」
「だってじゃないよ。遅かれ早かれ、こんな風になることは目に見えていたんだ。これだけの証拠がそろっていて、キミが魔女だって気が付かない方がどうかしている」
ルナは厳しく私の言葉をはねのける。
「ま、フェルだって、今までも何度も気が付きそうになっては否定していたようだけど。まぁ、自分を殺しに来た人間を家に招き入れるようなお間抜けな魔女がいるだなんて、普通は思わないだろうからね。無理もない」
ルナの言葉がズキズキと私に刺さってくる。
確かに私は間抜けだったのだろう。
フェルくんが私のことをどう思うかなんて、全く考えていなかった。
そもそもずっと思っていたから。
もしも殺されたなら殺されてもそれでいいって。
ステラとしての人生はおしまい。でも魔女の人生は繰り返す。
アウロラとして生まれ変わるのも悪くない。またもういちど繰り返すだけだ。
なのにいつの間にか私は、ステラはフェルくんと一緒にいる時間が楽しいと思っていた。
自分を殺しに来た人間と過ごすのが悪くないって感じ始めていた。
深く息を吐き出す。
「どうするべきなのかな」
思わずたずねた言葉に、すぐにルナは答える。
「そんなことは決まっているだろう。いますぐこの家から追い出すんだ」
「今はひどい雨だよ。そんなことできないよ」
「フェルはもうキミが魔女だと気が付いている。この家においておくのは危険だ」
「……危険でもいいよ。どうせ殺されても、また生まれ変わるだけだから」
「また、キミはそういうことを言う」
ルナが呆れて眉をひそめた。
だけど私の気持ちは、以前と同じではなかった。
殺されたなら殺されてもいい。
その気持ちは変わらないはずなのに、私の中にある気持ちは確かに違っていた。
何が違うだなんて説明はできないけど。確かに何かが変わってしまっているんだ。
「そろそろ。お昼かな」
お昼ごはんを作らないと。何を作ろう。
今日は、何を。
何も。何も浮かばない。
いつもなら何を作るかすぐに決められるのに。
きのこのスープ? 焼いた根菜? それとももっと凝った料理を?
わからない。決められない。
何も思いつかない。
何も、食べたくない。
でも、食べなきゃ。
食べないと魔力が回復しない。
魔法の力を回復させておかないと。いざという時、守れない。
誰を。何を守るの。
ステラは別に守るものなんてない。だから守る必要なんてないじゃない。
ごはんなんて食べなくてもいい。
食べなくて。
ああ。でも、フェルくんには、何かを用意しておかないと。
わからない。
作れない。
何も、できない。
私はぽんこつになってしまったの。
宵闇の魔女の異名のように、暗闇に入り込んでしまったの。
何も、できない。
私はふらふらとキッチンに向かう。
戸棚の中に保存食の固い固いビスケットがあった。普段は滅多に食べないけれど、いざというときの備え。甘くもない。柔らかくもない。携行食としても使われる、腐らない乾いたパン。
固い固い歯がかけそうになるビスケット。
フェルくんのために、何枚かお皿にだしておく。
私にも一枚だけ用意しておいた。
食卓には誰もいなかった。お皿をおいて、私はそのまま部屋に帰る。
何もする気がしなかった。
固い固いビスケットをかじる。
固くて固くて歯がたたない。
もともと水やスープでふやかして食べるものだ。そのまま食べる人なんていない。
でも私はただかじり続けた。
唾液でいつしかふやけて口の中に入る。
何も味がしなかった。美味しくない。
ごはんは幸せな時間のはずなのに。だけど美味しくはなかった。
でもどうしてもごはんを作る気になれなくて、固いビスケットを口にし続けていた。
だけど美味しくもなければ、食べる気もしない。
ただ気持ちを切り替えようと、裁縫道具をとりだして、ひさしぶりに刺繍を作り始める。
いつもは魔女服にいれる星の刺繍を縫っていた。
輝くような空に浮かぶ数々の星は、いつでも私の心を満たしてくれた。
でも今日縫うのは違うもの。何を縫っているのかも自分ではわからない。
ただ無性に何かをしていたかった。
いつもと違う何かを作ろう。
何かしようとしているかわからないけど、ただ銀の糸を縫い続ける。
気が付くと何となく古い詩歌をつぶやいていた。もうずっと昔に流行った忘れられてしまった詩。何回目の人生で聞いたのかもわからない、古い古い詩だ。
「銀の針、ためいきを、縫い込んで、謳うのは、誰かしら。
胸元に、ひとしずく、色あせた、銀の糸、過ぎし日の、鐘の音。
謳うのは、誰かしら」
銀色の恋なんて題名だっただろうか。すれ違う恋人同士の詩だった気がする。
どうしてこんな詩を覚えていたのかはわからない。でも不意に口ずさんでしまった。
私とフェルくんは恋人同士でもなければ、友達でもない。
ただ三日間一緒にいただけの、うたかたのような関係。
銀の針で、私のためいきを縫い込んでしまおう。
ただ無心で針をすすめていく。
だけど不意に私の指に痛みが走った。
珍しく、針で指先を刺してしまったようだ。
「いけない。血がつかないようにしないと」
慌てて指先をぬぐってみる。
ほんのちょっと指先に傷がついただけでたいしたことはない。
だけど刺繍をしていて、指先を刺してしまっただなんて、いつぶりのことだろうか。
刺してしまった指先をじっと見つめる。
血が少しだけにじんでいて、やがて流れ落ちる。
胸元で手を握りしめた。
喉がひどく渇いて張り付いてくる。気が付くと呼吸することすら忘れていた。




