26.世界樹が泣いているみたいで
頬に何かぺしぺしと柔らかいものが当たる。
「あと五分……」
寝ぼけ眼でつぶやくと、すぐにルナの叱責する声が響いた。
「そういっても、キミはいつも起きないだろ。夜更かししているからだよ」
ルナがさらにぺしぺしと肉球を私の頬に当ててくる。
柔らかくてくすぐったい。
このまま眠れそうもないので、仕方なく起き上がる。
ざぁざぁと窓の外から音が聞こえてきていた。
「今日は雨が降っているのかな」
鎧戸を開けると、今日は空がまるで闇のように暗い。朝とは思えないほどに光を通していない。
雨が立てる音が何度も響くけれど、いつもと違って雨粒が黒みを増していて、どこか不吉なものを感じさせる。
「世界樹が泣いているみたい」
ぼそりとつぶやくと、頭上にそびえる世界樹の枝葉を見つめる。
まだ特に力を失いきったというわけでもなさそうだけれど、少しずつ力が消えていこうとしているのは感じ取れた。世界から力が失われている証拠だ。
「私のせいじゃないよね?」
昨日のことを思い出して、ちょっとだけばつが悪くなる。
枯れつつあるとはいえ、まだまだ大量にある世界樹の葉を一枚もらったからといって、それほど変わりはしないはず。
それよりもどこかに根本的な原因があるはずだった。それを解決しなければ、世界樹が枯れていくのは防げないだろう。
そこまで考えて、思い直す。
まぁ、そういうのは勇者とかの仕事で、私の関知するところじゃないよね。
思い直して気にしないことにする。おそらくは自分のせいではないし、たまたま天気が悪くなっただけのことだ。
そんなことより、今日の朝ごはんは何にしようかな。
朝らしく目覚めのいい一品がいいよね。
私はすぐに思い立って、扉を開けようとした。
その瞬間、ルナが再び私へと声をかけてくる。
「昨日も同じ事いったばかりだろ。着替えてから行きなさい。キミはまったく鳥類と同じくらいしか脳を使っていないのかい」
「三歩歩けば忘れるわけじゃないよ。それにカラスとかけっこう賢いよ」
少し憮然とした顔で答えると、ルナは大きく息を吐き出した。
「カラスと賢さくらべをするつもりかい。希代の魔女が、カラス並みの知能とは嘆かわしいね」
「もー。そういうことじゃないよ」
「だったら、さっさと着替えたらどうだい。フェルを誘惑するつもりなら止めないけどね」
ルナはぷいっと顔を背ける。どうにもお怒りらしい。耳が後ろにピンと倒れている。
別に寝衣でもいいと思うんだけどなぁ。魔女服と大して変わらないし。
違うのは色くらいだよね。白い寝衣と、濃紺の魔女服。それほど見た目も変わらない。まぁ魔女服には銀糸で施された小さな星の刺繍があって、少しだけ飾られているくらいだ。
でもそんなこと言ったらまたルナに怒られる。
うーん。いちおう着替えますか。
私がいつもの魔女服を手にとると、すぐさまルナのつっこみが入る。
「違う服を着てもいいんだよ」
「いいよ。魔女服で。この家にいる時はいつもこの服。そう決めてるの」
私の答えに、でもルナはそれ以上には何も言わなかった。
おしゃれをしたい訳でもないし。魔女服だって可愛い。
三角帽子をしていないだけ、マシだと思う。
魔女服に着替えると、リビングの方に向かう。
フェルくんはもう起きてきていたようで、食卓に座って何か考え込んでいた。
「フェルくん、おはよう」
私がかけた声に初めて気が付いたように、フェルくんが慌てて私の方へと振り返る。
「あ、うん。おはよう、ステラ」
フェルくんはそう言いながらも、外の方を気にしているようだった。
雨と天気が気になるのだろうか。
でもそういう風にも思えない。
「今日は雨だから、いつもの畑仕事はお休みだね。おうちでできることをしましょう」
「ああ、うん。そうだね」
私の提案にどこか気もそぞろといった感じで答えていた。あまり私の言葉が耳に入っていないようにも思えた。
「そういえば傷の方はどう?」
話を変えてみる。すると今度は私の方へと視線をむけて、はっきりと答えていた。
「もう痛みは全くない。ステラの薬のおかげだよ」
左手を普通に動かしてみせる。
確かに魔女の薬だから、普通の薬よりかは効果は高いはずだ。フェルくんの傷が完治していてもおかしくはない。
「だから、さ」
もういちどフェルくんは外を気にしていた。
「そろそろ僕はこの家からおいとまするべきだと思うんだ。ステラには世話になりっぱなしだし、僕はもうここにいるべきじゃないかなって」
フェルくんの思ってもいなかった言葉に、私は目をぱちくりとさせて、すぐに慌てたように答えていた。
「えっ。そんな急にどうして。あ、そうだ。今日はだいぶん雨ふっているし。旅立つには危険じゃないかな。明日にはやむと思うから、明日にした方が良いよ」
うんうんと私は自分を納得させるかのようにうなずいていた。
フェルくんが怪我が治れば出ていくなんてことは、最初からわかっていたことだった。
それなのに私はどうして慌てているのか、自分のことなのによくわからない。
ただ少なくともこの雨の中、外に出すのは危険だとは思った。普通の旅人だって、よほど急ぐのでなければ、わざわざ雨の日に出立したりはしない。
そう。だからいきなりフェルくんがいなくなったりするのは、ダメなんだ。
自分が何を言っているのかはわからなかったけれど、とにかくフェルくんが出て行くのは今日じゃないべきだった。
「うん。今日は一緒に家でお仕事しようよ。旅立つのは、明日にして」
そこまで告げて、唐突に胸の中が不安であふれていた。
明日。明日にはフェルくんは出て行ってしまう。
また元にもどるだけだというのに、なぜか寂しいと思う。
そうだ。寂しいって、こういう気持ちだった。思い出したよ。
ステラとして生まれてからはじめて感じる感情に、私は言葉を失っていた。
ルナの言う通り、気を許しすぎたのだろうか。
「……そうだね。確かに出立には天気が悪いかもしれない」
フェルくんが告げた言葉に、私は寂しさがかき消されたかのように思えて、すぐにぽんと柏手を打つ。嬉しかったのか、ごまかしたかったのか。自分の気持ちも曖昧になっていたけれど。
「うん。それに朝ごはんもまだだしね。よーし、おねえさん、腕を振るっちゃうぞ」
フェルくんに喜んでもらえるような、美味しいごはんを作ろう。
その気持ちをしっかりと心に刻み込んでいた。




