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第八話 カシアの筋肉痛





「あれ……どうしてだろ……心臓が……痛い」


 中庭で一人になって、ポカンとしているカシアの胸が、ひどく痛んだ。今まで経験したことのない痛みで、息も苦しい。思わず胸を押さえて座り込んだ。


「カシアっ!?」


「どうしたんだ、カシアっ!!」


 父と母の声が聞こえる。


「お父さま、お母さま、ここが……痛いの。苦しい!」



・・・*・・・*・・・*・・・*・・・




 慌てた両親二人に連れられて馬車に乗り込み、自宅へと戻る。


「顔色は悪くないし、呼吸も脈も問題ないから安心しなさい。ね、カシア。何があったの?」


 馬車の中で母に尋ねられたから、カシアは一連の流れを説明した。


 ライラを領地に戻したくなかったこと、ウィスタリアに助言をもらって実行したこと。マグナスが助けてくれたこと。もう演技は要らないと言いたくてマグナスに伝えたこと。その後のマグナスの様子。そして自分の胸の痛み。


「……筋肉痛かしら」


 カシアは呟く。心臓の機能に問題がないのであれば、周りの筋肉が痛いということなのかもしれない。


「……カシア、本気で言ってるの? それは……」


「筋肉痛だな! 天真爛漫な私の天使カシアがアレの痛みなど……お父さまは断固として認めない!」


「あなた……カシアはもう十六歳よ。お年頃よ!」


「いや、認めない! リアに続けてカシアまでなんて耐えられない!」


 両手で顔を覆う父に、カシアは首を傾げた。


「お父さま? どうなさったの? あ、私はきっと大丈夫。筋肉痛なら、その時こそ更に筋肉を鍛えるべき時っていうお父さまの金言、忘れてないわよ!」


「……あなた、本当にこれで……」


「いい! せめて今週いっぱいは筋肉痛これだと思わせてくれ!」


 父と母の会話の意味が分からないながらも、カシアはまだ酷く疼く胸の痛みに耐えていた。




・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


「お姉さま、何をしてらっしゃるの?」


 自室の中央のスペースに座り込み、カシアは胸の前で両手を合わせて、力の限り互いの手のひらを押し合っていた。


「胸が……筋肉痛で……だから、こういう時こそ更に筋肉痛めつけて我が力に……!」


「……正気ですか?」


「え? 何が? あ、リア、また足に乗ってくれる?」


「どうして?」


「なんだか、胸だけじゃなくて、みぞおち辺りも痛いから、その辺りの筋肉も痛めつけて更に強くならなきゃ」


 床に仰向けになり、膝を軽く立てる。お腹をのぞきこむように腹筋すればみぞおち辺りの筋肉にも効くはずである。


 リアが何も言わずに足を押さえてくれたから、カシアは礼を言って、腹筋を始めた。するとだんだんリアが圧し掛かるように身体を前にもってくる。


 そして。


 ゴツっ。


「いったぁぁぁ!!」


「お姉さまは筋肉だけでなく脳みそまでもが固いのですか!!」


 二人で額を押さえてうずくまった。リアが頭突きしてきたせいである。


「何するの!」


「お姉さまの目を覚まさせてさしあげたんです! なんですか筋肉痛って。子離れ出来ないお父さまのお言葉をそのまま受け止めたんですか? 二人揃って脳筋過ぎます!」


「え」


「お母さまから全部聞きました。お姉さま、その痛みは本当に筋肉痛ですか?」


「え?」


「筋肉を使うたびに、動くたびに痛むのですか? それとも、特定の誰かを想うと痛むのですか?」


「え……」


 ハッとしたように顔を上げると、ウィスタリアは、静かに微笑む。


「後はお姉さまがご自分でお考え下さい。では、おやすみなさい」


 ポカンとする姉を置いて、妹は出て行った。


 マグナスもウィスタリアも、頭の良い人はいつもそうでないカシアが理解するのを待たずに去ってしまう。


「わかんないよ。だって……まだ、穴があくんじゃないかってくらい、痛いんだよ……」


 カシアは滅多に口にしたことのない泣き言を呟くのであった。




・・・*・・・*・・・*・・・*・・・




 翌日、登校すると馬車停め近くにはライラとダリルの二人しかいなかった。


「おはよう、カシア。昨日は……ごめんね」


「う、ううん! こっちこそ……あの……マグナスは?」


「お兄さま? お兄さまは何か御用があるからと先に登校なさったわ」


「……そう」


 顔を合わせずに済んだことに、胸の痛みは変わらないが、少しだけホッとする。


 そして三人で歩き始めると、声がした。


「浮気して裏切っておいて、まだそのお二人の邪魔をするの?」


「厚顔無恥って言葉、知っているのかしら」


 先日の二股疑惑舞台のギャラリーたちだろう。いちいち説明するのも手間だろうと、カシアは聞こえないふりをしようとした。しかし。


「カシアは悪くない!」


 叫んだのは――ダリルだった。


「カシアは……僕たちを助けてくれただけだ! カシアもライラも悪くない、悪いのは勇気を出せなかった僕だけだ!」


 ひそひそ声の方に向かって、ダリルは真っ赤な顔で叫んだ。息も上がっている。


「ダリル……」


 自分の気持ちを何度も小声で言い聞かせることでしか、心を強く持てなかった幼馴染が、ライラとカシアを守るために大きな声を出してくれている。


 そして、ライラまでもがカシアを庇うように一歩前に出た。


「私たちの問題に、よそ者が口を挟む必要はなくってよ。文句を言っていいのは当事者だけ。部外者には黙っていていただきたいわ」


「ライラ……」


 ライラは陰口を叩いていた令嬢たちに向かって胸を張ってはいるけれど、手は震えていた。


「……二人とも、ありがとう。私は大丈夫」



 カシアは二人の手を取って、その場を辞した。真っ直ぐに、前を向いて歩くことができた。


(私も二人を見習って、マグナスと話さなきゃ)




・・・*・・・*・・・*・・・*・・・



 そう決意したというのに、カシアはマグナスに会えないまま日々を過ごしていた。


 あの日の言葉の取り違えを説明したいのに、謝りたいのに、会えないのだ。


(ライラの家に遊びに行くっていう体でマグナスに会えないかな……)


 そんなことを考えているうちに、好機が訪れた。


「あ……」


 馬車止めのアッシュフィールドの馬車の前で、ウィスタリアとマグナスが弾けんばかりの笑顔で話し込んでいたのだ。


「マグナスっ!」


 思わず大きな声で叫び、走った。


「……」


 けれどもマグナスは、ウィスタリアにひとつ頷いてからカシアが近づく前に伯爵家の馬車に乗ってしまう。必死で走ったけれど間に合わず、肩で息をしながらカシアはウィスタリアに問うた。


「マグナス……どうし……て……リア、何を話してたの?」


「……お姉さまには言えません」


 顔を真っ赤にしているリアを見た瞬間、走って熱くなったはずの身体が一気に冷えた気がした。


 その赤らめる顔、この表情を以前、見たことがある。ライラがダリルのことを話した時。つまり……。


(リアはマグナスが……好き?)


 一気に身体が重くなった。そんな気が、した。





次回(6/17 17:20)、リアのデコピン2。

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