33.
『一つは、健人は前に、その病院で心臓の検査を受けたことがある。その時のカルテが残っているはずだ、ってこと』
「大阪にいらしたんですか」
『そっちの大学にいたし、一旦は大阪で就職したからね、定期検診はそこの病院で受けてたんだよ』
なんだ、そういうことか。しかし、そんな理由で、先程の医者はそこまで驚くのだろうか。ただ単に、この病院に受診や検査の履歴がある、というだけで。僕は、もう一つの理由も聞いてみることにした。
「そうなんですか。で、二つ目、というのは」
『それなんだけど……あ、今病院の建物の中?』
「今、救急の待合にいます」
『なら、ちょっと悪いけど、一瞬だけ院外に出られるかな』
電話の向こうの声のトーンが落ちた。やはり話の雲行きが怪しいが、僕はとにかく情報が必要だ。彼の指示に従い、電話を理由に一旦救急の出口を出た。
「もしもし、外に出ました」
『ありがとう。これは他の連中には内密にしてほしい話なんだけど』
「分かりました。秘密は守ります」
『それなら君を信用しておくよ。……健人が医師免許を持っている、というのは知っているかい』
「はい、今朝ほど知ったばかりですが」
『実は僕も医者でね、今はお母さんが院長をしている病院で働いているんだけど、僕も健人も、最初は今君たちがいる病院で働いていたんだよ。さっきのお医者さん、心臓外科の斉藤さんでしょ? あれは昔の僕たちの同僚だよ』
「そうなんですか」
なるほど、それなら合点がいく。あの医師があれほどまでに驚いていたのは、運ばれてきた患者とその兄が、元・同僚だったからだ。
しかし、僕はそこで、一つの不自然な点があることに気付いた。
――元・同僚なら、名前を聞いた瞬間、いやそれ以前に、健人の顔を見た時点で気付くものではないか?
それについて問おうとしたが、その前に彼は発言した。
『でもね、僕たち、問題を起こして、そこの病院から追放されたんだよ』
「……え?」
耳を疑った。また何か面倒なことに巻き込まれていそうな、そんな感じを覚えた。
『だから、あまり良くは思われていないかもしれないね。まあ、詳しくは後で、着いてから話すよ。長い話だし、あんまり人に聞かれたくもないからね。そうだ、もし緊急手術になったら、僕はOKだと伝えておいてくれるかな』
「あ、はい。――あ、その」
先程覚えた不自然な点について聞こうとしたが、その前に向こうから一方的に電話を切られた。どうやら健人の実兄は、一筋縄ではいかない相手らしい。
僕は院内に戻った。救急の処置室の前にあるソファーに座っていると、斉藤医師がまたばたばたと現れた。後ろに看護師もいる。
「野島さん、お待たせしました」
「はい」
「検査の結果ですが、川崎病の後遺症による急性心筋梗塞で間違いありません。えと、こちらの病院での受診歴もございました。今から緊急手術になりますが、実のお兄さんとは連絡はつきますか」
「先程話をしたのですが、手術になったら同意すると言っておりました」
「えと、それでもすいません、念のため本人と話をしたいのですが」
僕は通話履歴から彼の番号を呼び出した。携帯電話を医師に渡し、少し話をしてから、通話を切って僕に戻してきた。
「確かに本人の同意が取れました。ですが、親族の方への手術についての説明と、同意書へのサインが必要ですので、それは野島さんにしてもらってもよろしいでしょうか。実のお兄さんからの許可は得ましたので」
愛香の時は、法的な夫として医師から説明を受け、書類に記入したが、今度は健人の偽の義兄として、命に関わるサインを求められている。
――いいんですか、健人さんのお兄さん。
彼には、愛香の件で健人がついた嘘と辻褄を合わせるために、僕が健人の義兄であると病院側に偽っていることを伝え、どうせそちらに親族もいないから、とりあえずそれで通してくれ、とチャットのやり取りで許可はもらっているが、本当に僕は、このまま突き進んでしまってもいいのだろうか。
そんな迷いが、一瞬生じた。しかし、健人は時々相手の虚をつくようなところもあるが(この実兄の性格を見ると、兄弟だなと思う)、一緒に働いていて楽しい、大切な同僚だ。今、彼の命を救うゴーサインを出せるのは、僕しかいなかった。
「……分かりました。私が引き受けます」




