32.
また、昨日とは違う看護師が、入院の手続きの書類を持ってやってきた。僕は親族だ、と嘘をついている。愛香の件と二重に嘘をつくとややこしくなるので、僕は義理の兄で、僕よりも彼の事情に詳しい彼の実兄が、今から来るとだけ伝えると、僕が分かる範囲でいいので、と言われたので、とりあえず名前や、僕と同じ住所などを書き、実兄とチャットアプリのアカウントをショートメールで交換し、そのアプリで連絡を取り合いながら僕が記入欄を埋めていった。
彼がベッドに載せられたまま処置室から出て、どこかへと運ばれていく。検査室にでも行くのだろう。僕はまた警察にお世話になるかもしれない、愛香の件の担当の柿沢さんの連絡先を携帯電話に登録し、しばらく待っていると、医師が一人、待合室にやってきた。首から提げた名札には、斉藤、とある。
「すいません、鎌谷さんのお兄さんですか」
「義理の兄の野島です。実の兄は現在こちらに向かっています」
「そうですか。私、心臓外科医の斉藤と申しますが、実のお兄さんはいつ頃いらっしゃいますか」
昨日の今日だ、移動していなければ、まだ小諸にいるだろう。小諸からなら、しなの電鉄で軽井沢に出て、それから新幹線、だろう。今は午後二時過ぎ、今日中には来れるだろうが、五時間ぐらいはかかるのではないだろうか。
「あの、彼の実兄は長野県の小諸というところに住んでいるんです。もう家を出たと聞いていますが、早くても夕方になるかと」
「夕方ですか……えと、健人さん、ですか、子供の頃に川崎病に罹って後遺症があるとのことですが、心臓のどこに問題があるかは詳しくは検査をしてみないと分からないのですが、見た感じではその後遺症による心筋梗塞でほぼ間違いないと思われます。確定診断が出ましたら、すぐに緊急手術ということになるのですが、実のお兄さんとはすぐに連絡が取れる状態ですか」
緊急手術、とは、穏やかではない。だが、これも現実。受け入れろ、きっと助かると祈りつつ、返答する。
「大丈夫です。書類の記入も、チャットでやりとりしながら記入しましたので」
「そうですか。では、検査結果が出るまでここでお待ちください」
「はい」
斉藤医師は足早に去って行こうとする。彼が一歩踏み出したとき、マナーモードにしていた僕の携帯電話が震えた。鎌谷の兄からだった。僕は部屋の外に出ながら、その電話に出る。
「もしもし」
『あ、大事なことを言っていなかったのを思い出して。今、近くに医者か看護師はいませんかね』
「今さっきまで話してたのですが」
『大至急代わってくれませんか』
「あ、はい」
僕はエレベーターを待っていた、斎藤医師の背中に声をかけた。
「斉藤先生!」
「あれ、どうしましたか」
「鎌谷の実の兄からです。大至急お伝えしたいことがあると」
僕は医者に携帯電話を渡した。エレベーターは来たが、彼はそれには乗り込まなかった。
「はい、代わりました、アンドウ記念病院の心臓外科医の斉藤です。……ええっ!? 本当ですか!?」
医師はいきなり、大きな声を上げた。すぐ近くにいた僕のみならず、周りにいた人も、一瞬その声に振り返るほどの声量だった。
「……はい、はい、分かりました。すぐに調べてみます。連絡ありがとうございます」
医者は僕に、ありがとう、と一言だけ言って、携帯電話を返してきた。すぐに電話中に行ってしまったエレベーターのボタンを押し直し、今度は院内専用らしい端末で電話をかけ始めた。
「もしもし、斉藤です……」
エレベーターはすぐにやってきて、それに乗り込んで行ってしまった。僕の電話はまだ通話中だった。
「……えと、お兄さん、お医者さん、すごく驚いていたんですけど、何があったんですか」
『そうだね、理由は二つあるんですけど……その前に、今は義理の家族をやってもらってるから、聞かれたら変だし、砕けた口調で話してもいいかな』
おまかせする、と返すと、電話口の向こうは一息ついて、言った通り敬語を外して話し始めた。




