29.
「えと、愛香さん、お姉様がいらっしゃるのですか」
柿沢さんが聞いてきた。僕は知っている限りの情報を話すことにした。
「話だけは聞いたことがあります。結婚していて、大阪に旦那さんと一緒に住んでいらっしゃると」
「え、そうなんですか。お名前とか、連絡先とか、何かご存じなんですか」
「それが、分からないんです。お姉さんの名前も、彼女の夫の名前も。連絡先も全く僕たちは知りません。ですから、私たちがわざわざ軽井沢から来たのですが……」
「そうなんですか……」
しかし、異常な量である。半分ほど出し終えて、机の上にはピンクの封筒の山が築かれていたが、『お姉様へ』以外の文字が書かれているものや、何も書いていないものは見当たらないらしく、それらを選り分けている様子もない。
「……ねえ、まさかだけど」
「ん?」
鎌谷が引きつった表情で、その封筒の一つを取った。
「愛香ちゃん、レズビアンだって言ってたよね」
「うん、そうだけど」
……ん? レズビアン? 女性同性愛者? いや、まさか。僕は一つの仮説に辿り着いたが、目の前にある封筒は、その仮説を証明するものなのだろうか?
「……もしかして、これ、全部」
警察官二人が、手を止めてこちらを見ていた。その視線に気付いたか、それとも気付いていないのか、鎌谷は手に取った封筒の、テープでされていた封を切った。封筒の裏には、つい数ヶ月前の日付が書かれていた。
「そう。仮説だけど、今は恋人はいないと言っていたとはいえ、愛香は女性同性愛者、それなら、同じ女性である姉に、恋心を抱いていてもおかしくない……これらは、本人に渡すことができなかった恋文、とか……」
封筒の中からは、三枚の縦書きの便箋が出てきた。
「……読み上げてくれませんか」
柿沢さんが言う。鎌谷は一瞬、彼らの方を見てから、便箋に視線を戻した。
「はい……『愛すべきお姉様へ。最近はいかがお過ごしでしょうか。私からのあなたへの恋心は、留まることを知りません。』って、この書き出し、完全にラブレターじゃん!」
僕たちの予想は当たってしまった。愛香はあろうことか、実姉に恋愛感情を抱いていたのだ。これでは僕たちに、最初から勝ち目はないはずだ。警察官らも驚きを隠せず、動きが止まる。
「……えと、その続きはどうなってます?」
「あ、はい。……『今年の軽井沢の夏は、いつもの夏に比べて少し暑いように感じます。窓を開けて入ってくる風も、生温いことがありますので、扇風機や冷房を使う日も時々ございます。お姉様のいる天国の夏はどんな感じなのでしょうか、いつか教えてくださいまし。』……え、天国?」
天国? ちょっと待て、それは死後の世界を指す単語ではないだろうか。
「ちょっと、見せて」
「いや、本当にそう書いてるって!」
僕は目が見開かれたままの鎌谷から、便箋を全部受け取った。しかし、そこにはやはり確かに、お姉様のいる天国はどうですか、と書いてあるのだった。
「え、すいません、ちょっとその部分、確認させてもらってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
その便箋を警察官らに渡して、彼らも文面をチェックする。その眉間の皺が、ますます深くなっていく。
「……という、ことは、よ?」
鎌谷から向けられる視線に、僕は深呼吸をした。状況を整理しようとする。僕と鎌谷は愛香の家政夫でありながら、愛香はレズビアンで、僕たちに振り向かない。その愛香は、誰にも恋していない、と言いながら、実は結婚した実姉に恋をしていた。しかもその実姉は、既に亡くなっているらしい――
僕はたまたま持っていた、病院からもらった封筒を出した。鎌谷に筆記用具を借り、その封筒を机の上に置いて、ボールペンの芯を出した。
愛香は三角形の頂点。そこから出ている、二つの辺の先に、僕と鎌谷。僕と鎌谷は、同じ職場で働いている同僚として、点と点を線で結べる。そして、僕らと愛香には、片想いの矢印が向いている。これで三角形の出来上がり。
だが、実際にはそれで終わらなかった。愛香から下に、僕と鎌谷を結んだ線と直角に交わるように縦の線を引く。その先に愛香の姉がいて、愛香から姉に向かって矢印が伸びている。そしてその姉は既婚者なので、夫がいる。姉の横に彼女の夫を置き、二人を線で結ぶ――
「……傘だ」
「ほんとだ……」
それはまさしく、傘だった。僕と鎌谷とを結ぶ線以外は、すべて恋愛感情によって輪郭が構成されている。幸せな二人なら、開いた傘の下に、傘の柄を挟んで、その双方の名前が描かれるのだろう。そして、それは、『相合傘』と呼ばれ、お幸せに、と周りから祝福されるのだろう。
だが、ここにある傘は、誰も、落書きでは幸せを祈る二人の名前が書かれるべきそこに、どのカップルの名前も描かれない。人物と人物とである点と点とを繋いだとき、恋愛関係では持ち手のところだけが、法律上の関係では姉妹を結ぶ中棒と、姉夫婦の持ち手だけが認められている、世にも奇妙な傘。しかも唯一、恋愛的にも法律的にも結ばれている二人のところは、片方が既に故人という、この時点で誰も幸せではない、輪郭だけは完璧なのに、中身は空っぽの傘――




