16.
僕は鎌谷の質問の意味が理解できなかった。どうして、僕が彼女に恋愛感情を持つと解釈したのだろうか? 彼女はレズビアンであり、男性である僕には、決して振り向かないはずなのに。それに、僕は恋愛をしたことがない、恋愛の「れ」の字すら知らないのだ。
僕の反応は、彼にとっては予想外だったらしい、逆に気の抜けた顔をされた。
「え、違うの?」
「……根拠は」
僕は逆に尋ねた。何をもって、僕がそんな感情を彼女に対して抱いている、と判断したのか。
――確かに、ここ最近、心に引っかかっていることはあるし、それによって仕事に影響は少なからず出ている、が。
すると彼は、その表情のまま、ぺらぺらと喋るのであった。
「だってさ、お前、最近変だな、って。料理中にケガするし、食材焦がしたりするし、お皿も二つ割ったし、廊下で滑って転ぶし、掃除中にどうしてかびしょ濡れになってるし……たまになら分かるけどさ、最近多くね? って」
「その頻度が、か」
「そうそう。だから、何かに目覚めたのかな、もしかしたらあの子に恋でもしてるのかな、ってちょっと思っちゃったんだけど、違った?」
やはり、その僕の落ち着きのなさに気付かれていたらしい。だが、僕は当然ながら、返答に困った。どうしてそうなってしまったのか、自分でも原因が分からないからだ。
――相談するか……
今まで、何か――例えば勉強や進路に悩んだときには、いつも側に、相談できる人がいた。両親、友人、学校の先生、アルバイト先で知り合った人、等々。
けれども、ここには三人しかいない。一人は自分、一人は同僚、そして一人は雇い主。雇い主から聞かされたことが、一つの引き金である、ということは自覚していたので、雇い主には相談できない。そうなると、必然的に話をできる相手は、目の前にいる、僕とは性格が正反対の同僚だけだ。
僕は腹をくくることにした。問題が相手によって話題に上ってしまった以上、話を何とかうまくまとめなければ、彼をこの部屋から追い出して、安らかな眠りにつくことはできなさそうだった。
「……ここに、訳の分からない感情がある」
「お?」
「彼女の笑顔を見ると、心に痛みを覚える。いつもそうだ。僕はその感情の名前を知らない。彼女に、今は恋人はいないけれど、自分は同性愛者で、男に恋はしないんだとカミングアウトされてから、どこかそわそわしている。足が地に付かない感覚がある。君は、その感情を、現象を何と言うのか、知っているのか」
ほとんど、頭では何も考えずに、さらさらと水のように溢れ出した言葉を言い終わってから、その台詞を言っている間、敢えて見ていなかった彼の顔を見ると、好奇心からかこちらに身を乗り出した姿勢と表情のまま、完全に固まっていた。
「……えっと、彼女が同性愛者って、いつ知ったの」
そのまま、口だけを動かしたような形で、彼は僕に問うた。そういえば、彼にはまだ、その件については話していなかった。彼女に、彼に何か言われれば伝えてもよい、とは言われていたが、まさかぽろっとここで伝えることになるとは。
「その、君、一週間と少し前に、一緒に洗濯を干してるとき、『どうして女一人なのに、男を二人雇ったんだろう』って話になっただろ? その夜に聞いたら、そんな返事が返ってきて、納得したんだが、どこかそれを完全に受け入れられていない感じがしている自分もいるから困っている」
すると、彼はようやく姿勢を元に戻した。それから、一気にグラスの中を飲み干したかと思うと、酒は好きだがあまり強くはない鎌谷は、もう酔ったのだろうか、真っ赤な顔で、突然、僕の両肩を掴んできた。
「……あの、鎌谷さん?」
「それ、完全に恋愛物語としてジ・エンドじゃん……」
「どういう、ことですか」
その言葉の意味も、またもや解せなかった僕はそう尋ねたが、あいつは、ここまでひっそりとしてきた酒の席に似つかわしくない大声で叫んだ。
「お前は、あの女に恋してんの! オレはあの女に一目惚れして、ここで働くって決めたの! そしたらお前もいて、男二人に女一人、何かが起きると思ったら起きちゃったの! 男が二人とも、その女に惚れるって事態が! そしたら女の取り合いだ、って思ってたら、その女はビアンで、絶対にオレたちに振り向かない! 悲劇だよ、これは!!」
鎌谷はそのまま、泣き出してしまい、持ち込んだワインボトルもチョコレートも置いたまま、バタバタと僕の部屋を出ていった。すぐに隣の自室に入ったのか、ばしっ、と激しい音を立てて引き戸を閉めた。
僕は部屋に、一人、残された。グラスの中には、まだ赤ワインが残っているし、ボトルも完全には空になっていなかった。
隣から泣き声が聞こえる。僕は彼の言ったことが、すぐには腑に落ちなかった。




