観測者(第93話)
ドクン。
地下の奥底から、再び重い鼓動が響いた。
それは耳で聞く音ではなかった。足元の石床を震わせ、胸の内側を直接叩くような、不快な脈動。キーリは星剣を構えたまま、暗闇の先を見据えた。
空気が重い。湿った地下空間に満ちていた静寂が、今の鼓動ひとつで別のものへと変わっていた。まるで、この場所全体が巨大な生き物の体内になったかのような錯覚。
そしてキーリは気づく。
先ほどまで余裕を崩さなかった銀眼の男も、同じ方向を見ていた。
「……まだ早い」
男の呟きは小さかった。
だが妙に耳へ残る。その声音には、初めてわずかな焦りが滲んでいた。
「ねえ」
キーリは男へ声を投げた。
「今のはどういう意味?」
男は視線すら向けない。
「気にするな」
「気にするなって言われて気にしないわけないでしょ」
苛立ちを隠さず返す。
だが男は淡々としていた。
「そうか」
そして。
「なら、戦いながら考えろ」
銀色の瞳が光った。
次の瞬間、男の姿が消える。
「来る!」
レオンの警告が響いた。
反射的にキーリは星剣を横へ構える。
ガキィン!!
火花と共に激突音が鳴り響いた。
想像を超える衝撃。男の拳が星剣へ叩き込まれていた。
腕が痺れる。骨まで揺さぶられた感覚にキーリは歯を食いしばった。
「ぐっ!」
一撃だけでは終わらない。二撃。三撃。四撃。
銀色の残像だけが視界を切り裂く。
異常だった。男の動きに無駄が一切ない。避ける位置。防ぐ方向。踏み込む場所。すべて、先回りされている。まるで未来が見えているかのように。
「くそっ!」
キーリは大きく後方へ跳んだ。
しかし男は即座に追ってくる。
だが、その瞬間。
「そこ!」
ミナが飛び込んだ。
黒い影のような速度。鋭いナイフが男の肩を狙う。しかし男は首を少し傾けただけだった。刃が空気を裂いて通り過ぎる。
「読まれてる!」
ミナが舌打ちした。
冷や汗が額を伝う。
「なら、これはどうだ!」
今度はカイト。反対側から短剣が閃く。男は一歩下がる。そしてその足元に。
「逃がすか!」
レオンの剣が落雷のように振り下ろされた。
男の銀眼が輝く。わずかに。ほんの僅かにだが、レオンの剣筋が逸れた。
だが。
「今だぁ!」
ガルドが踏み込む。
巨大な大剣が横薙ぎに唸った。男が初めて大きく後退する。白い外套の裾が宙を舞った。
切れている。ほんの少しだが確かに届いていた。
「……連携は悪くない」
男が呟く。
余裕を崩さないその態度に、ミナのこめかみに青筋が浮いた。
「上から目線なのが腹立つ!」
「同感だな」
カイトも苦笑する。
しかし彼の視線は鋭いままだった。
「でも効いてるぞ。さっきより動いてる」
キーリも気づいていた。最初の男は微動だにしなかった。
だが今は違う。避けている。回避している。
選んでいる。
つまり──。
「……読めてない」
キーリは男を見据えた。
銀色の瞳。あの異様な眼。
「全部が見えてるわけじゃない」
男の視線がゆっくりキーリに向く。
興味を持ったような眼だった。
「気づいたか」
「お前が見てるのは俺たちの動きじゃない」
キーリは確信していた。
戦いの中で見えた違和感。
「私たちが取る可能性だ」
否定はなかった。それだけで十分だった。
「なら」
キーリは剣を握り直した。柄を握る手に力が入る。鼓動が速い。だが頭は不思議なほど冴えていた。
「可能性を増やせばいい」
男の口元がわずかに動く。
「ほう」
キーリは駆け出した。
「ルミナ!」
「分かってる!」
ルミナが両手を掲げる。
眩い白光が弾けた。
「光輪!」
光が地下空間へ広がる。だがそれは攻撃ではない。床に、壁に、天井に、無数の光輪が咲く。幻想的ですらある光景。
しかしその実態は罠だった。
男の眉がわずかに動く。
「何をするつもりだ?」
「さあね! いうわけないでしょ!」
キーリは笑った。
星剣を振り抜く。
「流星斬!」
黄金の斬撃が奔る。
男は右へ避けた。だがその先に光輪。
一瞬、男の動きが止まる。
その僅かな隙へ。
「もらった!」
ミナ。
男が身を捻る。今度は左。
「こっちだ!」
カイトが攻撃。後方へ退く。
「読めても!」
レオンの剣が振り下ろされる。
「全部は避けられない!」
ガキィィン!!
激突し地下空間が震える。
男は初めて押し込まれていた。
「なるほど」
男が静かに呟く。
「複数の可能性を同時に作ったか」
その瞬間、キーリは跳んだ。
空中。すべての軌道が収束する一点。
男の逃げ場が狭まる。
「これならどうだ!」
星剣が太陽のように輝く。
「天星斬!」
黄金の光が天より落ちた。
その時だった。男の銀眼が大きく見開かれる。
キーリの視界に無数の未来が流れ込んだ。
右へ避ける未来。左へ避ける未来。受ける未来。防ぐ未来。傷つく未来。数え切れない可能性。
そしてその中にただ一つ、剣が届く未来があった。
「──っ!」
男は腕を交差させた。
ズガァァァン!!
閃光。轟音。衝撃波が吹き荒れる。
地下全体が悲鳴を上げるように震えた。
キーリが着地すると砂煙が舞う。
「やった!」
ミナが叫ぶ。
しかし。
「まだです!」
リディアの声が飛んだ。
煙の向こうで白い影が立ち上がる。誰もが息を呑んだ。
男の右腕。破れた外套の下。そこに見えたのは、白銀の金属だった。
人間の腕ではない。人工物でも、生物でもない。異質な光沢。冷たい存在感。
「……やはり」
リディアが呟く。
「人間の腕じゃない」
男は自らの腕を見る。
どこか遠い記憶を見るような目で。
「そうだったな」
その言葉に全員が違和感を覚えた。
まるで、忘れていたことを思い出したかのようだった。
「お前、本当に人間なのか?」
キーリが問う。
男は少し考えた。そして答える。
「昔はな」
「今は?」
「さあな」
「またそれかよ……」
カイトが頭を抱えた。
しかし、その瞬間だった。男の顔色が変わる。銀眼が第二封印核を見据える。
「……まずい」
初めて見せる明確な焦燥。
ドクン。
第二封印核が脈打つ。
パキッ。
乾いた音。
核の表面に細い亀裂が走った。
「なっ……!」
キーリの背筋が凍る。
「第二封印核に亀裂が!」
オリオンの叫び。管理結晶が激しく点滅する。
「皆さん、下がってください!」
「どうするんだ!」
ガルドが吠える。
オリオンは必死に情報を解析した。
「封印核内部で複数の反応が衝突しています!」
青い光。黒い光。そして。
「もう一つ……」
オリオンの指が止まる。
顔が青ざめていた。
「第三因子です」
空気が変わる。誰も言葉を発せない。
キーリは核を見つめる。
「三つが中にあるのか?」
「正確には分かりません」
オリオンの声は震えていた。
「ですが反応は一点に集中しています」
男が低く呟いた。
「違う」
全員の視線が集まる。
「何が違う?」
男は核を見つめたまま言う。
「第三因子はそこにいるのではない──そこから来ている」
その言葉と同時に、地下の温度が下がった気がした。
背筋を這い上がる冷気。本能が警鐘を鳴らす。逃げろ、と。
「この封印は」
男が続ける。
「何かを閉じ込めるためだけのものではない」
キーリの胸が不安でざわつく。嫌な予感が止まらない。
「じゃあ何のためだ」
男は答えない。代わりにキーリを見た。
そして。
「見るな」
低い声。それは警告だった。
「今から起きるものを」
銀眼が揺れる。
「決して見てはいけない」
次の瞬間、亀裂から白い光が溢れた。
キーリの星が反応する。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
三つの鼓動。星。黒星。そして未知。理解できない何か。それが同時に脈打っている。
キーリは思わず後退した。暗闇の奥に何かがいる。姿は見えない。だが確かに、こちらを見ている。そんな感覚だけがあった。
そして白い光の中に、文字が浮かび上がる。星の文明の文字。懐かしいような、初めて見るような。不思議な感覚を伴う文字列。
そこには。
『選択者を、観測する』
と記されていた。
「……選択者?」
キーリがつぶやいたその瞬間、男の銀眼が大きく見開かれる。
今まで見せたことのない動揺。
「その文字を……」
声が震えていた。
「読めるのか?」
キーリは戸惑いながら頷く。
男は首を振った。
「私は読めない」
そして、初めて。本当に初めて。銀眼の男はキーリを見て驚愕した。まるであり得ないものを見たかのように。
「お前は……何者だ?」
だがキーリ自身にも答えられない。
なぜなら。手の中の星剣が勝手に輝き始めていたからだ。
共鳴率。
十七%。
表示が揺れる。
十七、一。
十七、二。
十七、三。
じわり。じわりと上昇していく。
制御不能な光。
「キーリ!」
ルミナの悲鳴。
「星が勝手に……!」
止められない。キーリ自身の意思ではない。まるで何かが呼びかけている。あるいは。向こう側から手を伸ばしている。
第二封印核の亀裂から、一本の黒い線が床へ這い出た。
生き物の影のように、静かにゆっくりと。
男はそれを見つめる。
そして、諦めにも似た声で呟いた。
「……始まったか」
「何が始まった!」
キーリが叫ぶ。
男は答えない。ただ銀眼を暗闇へ向ける。
その先、光の届かない深淵。そこから。何かが、一歩。また一歩。ゆっくりと確実に、こちらへ近づいてきていた。
まるで最初から。キーリを観測するためだけに待っていたかのように。
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