銀眼の男(第92話)
ドクン。
ドクン。
第二封印核が脈打つ。巨大な心臓が地の底で鼓動しているかのような重低音が、地下空間全体を震わせていた。
足元の石床が微かに揺れる。天井からは細かな砂塵が舞い落ち、青白い結晶灯の光がその中で揺らめいていた。異様な空気だった。呼吸をするだけで胸の奥に圧迫感が溜まる。まるでこの場所そのものが、自分たちを拒絶しているかのようだった。
キーリはゆっくりと星剣を構える。
黄金の刃が淡く輝き、周囲の闇を押し返した。その視線の先。白い外套を纏った男が立っている。雪のような長髪。白銀の装束。そして何より、右目だけが不自然なほど鮮やかな銀色に輝いていた。
男は動かない。ただ静かにキーリを見つめている。その瞳には敵意も怒りもない。あるのは観察者の冷静さだけだった。
「……来ないのか?」
キーリが問う。
平静を装った声だったが、その胸中では警戒心が膨れ上がっていた。
この男は危険だ。本能がそう告げている。
「私から行く必要はない」
男は淡々と答えた。
「お前が来るからだ」
「随分な自信だな」
「自信ではない」
銀眼が細くなる。
「確認だ」
「確認?」
「ああ」
男はキーリの星剣を見た。
「星の器が、どこまで星を扱えるのか」
試されている。そう理解した瞬間、キーリの中で熱いものが燃え上がった。
「私を試してるのか?」
「そうだ」
何の迷いもなく返された。
だからこそ腹が立った。
「だったら、遠慮はいらないってことだよね」
キーリは地面を蹴った。爆発的な加速。石床が砕け、身体が弾丸のように前へ飛ぶ。
「キーリ!」
背後でレオンの声が聞こえた。
だがもう止まれない。
いや、止まるつもりもなかった。
「流星斬!」
黄金の軌跡が走る。横薙ぎの一閃。男は避けない。
その瞬間、銀眼が輝いた。
キィィン!!!
甲高い金属音が響く。
「なっ……!?」
キーリの動きが止まった。星剣は確かに何かを斬った。しかしそこには何も存在しない。空間そのものが壁になったような奇妙な感覚。
「見えない壁……?」
レオンが眉をひそめる。
男は無言のまま右手を上げた。
次の瞬間、凄まじい衝撃がキーリを襲う。
「ぐっ!」
身体が吹き飛んだ。
視界が流れる。
ドォォン!!!
背中から壁へ叩きつけられた。肺から強制的に空気が吐き出される。鈍い痛みが全身を走った。
「キーリ!」
ルミナが駆け出しかける。
「来るな!」
キーリは咳き込みながら叫んだ。
壁に手をつきながら立ち上がる。痛みはある。だが戦えないほどではない。
「私は大丈夫」
そう言いながらも内心は驚いていた。
一体何をされた? 攻撃の予兆すら見えなかった。
男は静かに頷く。
「なるほど」
「何が?」
「思ったよりも強い」
「……それ、褒めてるのか?」
「事実を言っただけだ」
相変わらず感情の見えない声。その無機質さが余計に不気味だった。
ミナがナイフを構えながら顔をしかめる。
「なんかムカつく男ね」
カイトも短剣を抜いた。
「同感」
「全員、気を抜くな」
レオンが前に出る。
額に汗が滲んでいた。
「こいつは普通じゃない」
ガルドも剣を引き抜く。
「全員で行くぞ!」
その時だった。
「待ってください」
オリオンの声が響く。全員が振り返った。管理結晶が激しく明滅している。まるで警告するように。
「第二封印核の状態が変です」
オリオンの顔色は明らかに悪かった。
「この戦闘による衝撃で内部反応が変化しています」
リディアも結晶を覗き込む。
「内部反応?」
「はい」
オリオンは唇を噛んだ。
「星反応でも黒星反応でもありません」
「じゃあ何だ?」
「……分かりません」
その言葉に全員が息を呑んだ。
オリオンが分からない。それ自体が異常だった。
「ですが」
彼は震える声で続けた。
「以前確認した第三因子に近い反応です」
キーリは男を見た。
「お前」
男は黙っている。
「第二封印核の中に何がある?」
「質問をする余裕があるのか?」
男が一歩踏み出した。
瞬間、ルミナが叫ぶ。
「来る!」
男の姿が消えた。
「──ッ!」
レオンが反射的に剣を構える。
ガキィン!!!
激しい衝撃。突然目の前に現れた男の拳を辛うじて受け止めていた。
「速い……!」
レオンの顔が歪む。男はそのまま身体を回転させた。
剣を弾く。一瞬で背後へ回る。
「レオン!」
ミナがナイフを投げた。
だが、銀眼が向く。空中のナイフが止まった。まるで時間が凍り付いたように。
「えっ……?」
ミナの瞳が大きく開く。男が指を動かすとナイフが反転した。
「危ない!」
カイトがミナを引き寄せる。
ナイフが二人の間を掠めて飛び去った。
「今の何!?」
「俺に聞くな!」
カイトの額にも汗が浮かぶ。
男は静かに言った。
「お前たちの攻撃はすべて見えている」
キーリが剣を握る。
「見えている?」
「ああ」
「なら!」
再び踏み込む。
「流星断!」
渾身の縦一閃。男の銀眼が輝く。
その瞬間、星剣の軌道が僅かに逸れた。
ガァァン!!!
床が真っ二つに砕ける。
「……!」
キーリは目を見開いた。
自分で外したわけではない。何かに誘導された。そうとしか思えなかった。
「今のは惜しい」
男が言う。
「何をした?」
「見ただけだ」
「それだけで?」
「私の銀眼はただの眼ではない」
男は右目に触れた。
「お前の動きだけではない」
銀色の瞳がキーリを射抜く。
「その攻撃が、この先どうなるかを見る」
背筋を冷たいものが走った。
「未来が見えるってことか?」
「少し違う」
男は静かに首を振る。
「未来ではない」
「じゃあ何だ」
「可能性だ」
その瞬間だった。キーリの視界が歪む。
世界が捻じ曲がる。耳鳴り。浮遊感。
そして、一瞬だけ別の光景が見えた。倒れているレオン。血に染まった剣。膝をつくルミナ。苦しげに呼吸するミナ。崩れ落ちるカイト。
そして、砕け散る第二封印核。封印の奥から溢れ出す闇。全てを飲み込む絶望。
「──ッ!!!」
キーリは反射的に飛び退いた。
激しく鼓動する心臓。額を冷たい汗が伝う。
「どうした!」
レオンが叫ぶ。
「今……見えた」
「何が?」
キーリは荒れる呼吸を整える。
胸の奥に残る恐怖を押し込みながら。
「私たちが負けるところを」
誰も何も言えなかった。
男も何も言わない。ただ銀眼だけが静かに輝いている。
「それは未来じゃない」
男が告げる。
「可能性だ」
キーリは星剣を握り直した。
確かに怖い。だが、だからどうした。
仲間を見た。ここまで共に戦ってきた仲間たちだ。失わせるわけにはいかない。
「……だったら」
黄金の光が剣から溢れる。
「変えればいい」
男の表情がわずかに変化した。
初めて興味を示したように。
「ほう」
キーリの星が強く輝く。
「俺は見えた未来に従うつもりはない」
地下空間が黄金色に染まった。
ルミナが思わず息を呑む。
「キーリ……」
共鳴率は十七パーセント。
まだ限界には遠い。それでも、その光は確実に強くなっていた。
「なら見せてみろ──可能性を覆す力を」
キーリも構える。
空気が張り詰める。
そして、第二封印核が再び鼓動した。
ドクン。
今度は明らかに大きかった。
直後、オリオンの管理結晶から鋭い警告音が響く。
『第二封印核、内部反応上昇』
『未知反応、増加』
オリオンの顔が青ざめた。
「……まずいです」
「何が起きてる?」
キーリが振り返る。しかしオリオンは答えられなかった。
結晶に映る数値を見つめたまま、震えている。表示されていた第三の反応。それが急激に増幅していた。
「第三因子が……」
オリオンが呟く。
「目を覚まし始めています」
地下の奥底から。
ドクン。
鼓動が返ってきた。まるで何かが応答したかのように。
キーリは暗闇を見つめる。男も同じ方向を見ていた。その横顔から、初めて余裕が消える。
そして銀眼の男は小さく呟いた。
「……まだ早い」
その声には、これまで一度も見せなかった感情が混じっていた。
焦りだった。地下の闇の向こうで、何かが確実に目覚めようとしていた。
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