灰色の剣士(第82話)
ゴゴゴゴゴゴ──。
第四封印最深部の扉に刻まれた亀裂は、まるで生き物が苦しげに喘ぐように、刻一刻とその数を増やしていった。
星空のような空間全体が震え、星々の光が乱れ、空気はひどく重く濁っていく。
「封印が保たない!」
リディアが観測装置を見つめながら叫ぶ。
その指先は震え、額には冷たい汗が浮かんでいた。
「侵食率が急激に上昇してます! このままだと十分も持ちません!」
「十分だと!?」
レオンが思わず声を荒げる。
その声には焦りと恐怖が混ざっていた。
「思っていたより早すぎます……!」
オリオンの柔らかい声にも、隠しきれない緊張が滲む。
「アルクス。封印されているのは何者なんですか?」
レオンの問いに、アルクスは静かに目を伏せた。
その仕草は、長い年月を背負った者の重さを感じさせた。
「奴の名は──グラン」
「グラン?」
「ああ。千年前、星の文明最強と謳われた剣士だ」
「最強の剣士!」
「そして、私の親友だった男でもある」
アルクスの声音には、深い悲しみが滲んでいた。
その瞳の奥には、千年という時間では消えない痛みが宿っている。
「奴は誰よりも人を愛し、この世界を愛していた」
「ならどうして」
「灰化に侵されたのか?」
キーリの問いに、アルクスはゆっくりと首を横に振る。
「侵されたのではない」
「何?」
「奴は、自ら灰化を受け入れた」
「!!!」
その場の空気が一瞬で凍りついた。
「自分から? どうしてそんなことを!」
「守るためだ」
アルクスの答えは、あまりにも簡潔で、あまりにも重かった。
「守る?」
「千年前。星の文明は滅びの淵に立っていた。黒星だけではない。灰化もまた世界を蝕み始めていた」
アルクスの声は静かだが、言葉の一つ一つが胸に刺さる。
「その時、誰かが第四封印を守らなければならなかった。だからグランは、自ら封印の礎になることを選んだ」
「そんな……」
ルミナが悲しげに呟く。
その瞳には、グランという名も知らぬ英雄への哀しみが浮かんでいた。
「千年間ずっと、一人で?」
「ああ。誰にも知られることなくな」
その言葉は、あまりにも残酷だった。
誰も何も言えなかった。
ゴォォォォォォ!!
再び封印の奥から咆哮が響き渡る。
空間が歪み、星々の光が砕け散るように揺れる。
「この力……ラグナ以上かもしれない」
ガルドの額に冷や汗が流れる。
「いや」
アルクスは静かに答える。
「全盛期の奴ならば、七矮星全員を相手にしても勝っていただろう」
「なっ!?」
「そこまでなのか!」
「だが、安心しろ。今の奴は理性の大半を失っている」
「安心できる要素が一つもないぞ!」
カイトの叫びに、ミナも大きく頷く。
その時だった。
『緊急警告』
『第四封印障壁──残存率一五%』
『封印維持機能が限界に到達』
『封印解除まで──二百秒』
「二百秒!?」
「もう時間がない!」
オリオンが叫ぶ。
その声は震えていたが、仲間を守ろうとする強い意志が宿っていた。
「キーリ!」
「分かってる!」
キーリは星剣を握り締める。
だが、アルクスは静かに首を横に振った。
「駄目だ」
「何?」
「今のお前達では勝てない」
「だけど!」
「勝てない戦いに挑むことは勇気ではない」
「!」
「生きて未来へ進むこともまた、お前達の役目だ」
キーリは唇を噛み締める。
悔しい。力が足りない。
だが、アルクスの言葉は正しかった。
共鳴率は十六%。
今の自分達では、ラグナにすら本気を出させることができていない。
「なら、どうしたらいい!」
「私が残る」
「駄目!」
「それしかない」
アルクスは優しく微笑む。
その微笑みは、どこか父親のような温かさを持っていた。
「私は千年間、この時のために待っていた。星の器が現れた時、この場所を守るためにな」
「そんな!」
「キーリ」
「何」
「お前に託したいものがある」
アルクスは腰に下げていた小さな水晶を手渡した。
その中には、小さな星が静かに輝いている。
「これは?」
「星導結晶だ」
「星導結晶?」
「第二封印核へ繋がる道標になる」
「!」
「だが、お前の共鳴率が二〇%へ到達するまでは、その力は目覚めない」
「二〇%……」
「焦る必要はない。お前はまだ強くなれる」
アルクスは静かに微笑む。
「そして覚えておけ」
「何を?」
「誰かの言葉だけを信じるな」
「!」
「私も。オリオンも。フィリアも。セレスも。そして──黒霧のカインでさえもだ」
「カインも?」
「ああ」
「お前自身の目で見て、お前自身の答えを見つけろ。それが星の器に与えられた使命だ」
『封印解除まで──百秒』
巨大な扉が大きく砕け始める。
星の光が散り、空間が悲鳴を上げるように震えた。
「もう限界か」
アルクスが静かに剣を抜く。
白銀の刃が星光を反射し、まるで夜空に走る流星のように輝いた。
「オリオン」
「何でしょう」
「千年振りに頼みがある」
「聞きます」
「この子達を頼む」
「……承知しました」
オリオンの声は柔らかいが、強い決意が宿っていた。
「キーリ」
「何だ?」
「ラグナと戦った時のことを覚えているか?」
「ああ」
「奴はお前を高く評価していた」
「そうだった」
「それはな」
アルクスは少しだけ笑みを浮かべた。
「千年前の私達によく似ていたからだ」
「!」
「いつか、お前はラグナとも分かり合える日が来るかもしれない」
「敵なのに?」
「この世界には、本当の意味での悪人はほとんどいない。だからこそ難しい。だからこそ、お前が必要なんだ」
その言葉が胸に深く刻まれる。
『封印解除まで──三十秒』
「みんな!」
レオンが叫ぶ。
「退却するぞ!」
「でも!」
「キーリ!」
ルミナが真っ直ぐキーリを見る。
「今は生きよう」
「!」
「私達はまだ旅の途中なんだから」
「……うん!」
キーリは強く頷いた。
「アルクス!」
「何だ?」
「必ずまた会いに来るから! 約束!」
アルクスは穏やかな笑みを浮かべる。
「ああ。待っている」
『封印解除まで──十秒』
「行け!」
アルクスが剣を構えた瞬間、空間転移の光がキーリ達を包み込む。
星々が流れ、視界が白く染まる。
最後に見えたのは、巨大な封印の前に立つ一人の男の背中だった。
「星の器よ。必ず真実へ辿り着け。そして──世界を選べ」
その言葉を最後に、キーリ達の姿は光の中へ消えていった。
そして──。
パキィィィィン!!
第四封印が完全に砕け散る。
「久しいな、グラン」
アルクスが静かに呟く。
封印の奥から姿を現したのは、灰色の鎧を纏った一人の剣士だった。
その瞳からは、涙のように灰が零れ落ちている。
「……アル……クス」
掠れた声が響く。
その声には、千年の孤独が滲んでいた。
「まだ、お前は覚えていてくれたのか」
「当たり前だ」
アルクスは白銀の剣を構える。
「千年振りだな。親友」
「最後にもう一度、剣を交えよう」
灰色の剣士は、僅かに微笑んだように見えた。──その戦いを知る者は、まだ誰もいない。
こうして第四封印区画の戦いは幕を閉じ、新たな旅への道が開かれる。
第二封印核。星導結晶。
そして、眠れる星の真実。物語は、さらに大きな運命へと動き始める。
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